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「完全自殺マニュアル」
に書かれた主張は「こんな鬱屈した世の中、どうにもならなければあっけらかんと自殺する自由くらいあってもいいんじゃないか」というものだったような気がするのですが、世の中がすんなりとその主張を受け入れてしまった感もあり、ちょっと恐い気もします。死ぬのは勝手だけど他人に迷惑だけはかけないでね、という主張が正しいのか、あるいはそれに対抗する「自殺なんて絶対だめだよ」という強力なロジックが社会的に存在しているのか、知ってる人がいたら教えてください。 ちなみに私は別に死にたかったわけではなく恐いもの見たさと「(PC)完全自作マニュアル」とシャレで並べておきたかっただけの話です。気がついたら捨てられてましたが。
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>>自殺して死んだ場合、一人は呪い殺せるとか >>のルールがあれば、世の中もっとずっとよく >>なっているような気がします。 なるほど。おもしろいですね。 ところで、このご感想、順番を逆にすると実現可能です。 つまり「人を呪わば穴二つ」っていうことばがあって、これを信じるなら ・呪われた相手は死ぬ(墓穴のひとつめ) ・呪った本人も死ぬ(墓穴のふたつめ) ということになります。 だから、自殺したかったら誰かを呪い殺す、というのも手としてはあるのかもしれません。 いい加減なことをする人間が「総理大臣」だとか「官僚」だとか「弁護士」「医者」「会社社長」「会社部長」といった尊敬されるべき肩書きを持っているので(肩書きをもった者が悪いことをするから世の中だから)、だんだん、それ以下の社会的地位の人たちがくずれるのは、まあ当然といえば当然ですね。 自殺は、だから、今、悪魔の道具としてはもってこい、ってなところです。
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- sinjinhitozuma
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それが出版されてしばらくしてから、お祖父ちゃん(明治生まれ、兵隊歴有り)が自殺しちゃったんですが・・・ 散る文化って、昔からあるみたいですよ・・・ 乃木さんだって、明治の精神で殉職しちゃったでしょ。 自殺がダメって割りかし最近の人の言う事では? 参考までに・・・
お礼
調べたわけではないのですが、自殺の方法まで儀式化してその文化に内包しているのは日本ぐらいではないでしょうか。私の曾じいさんも太平洋戦争の敗戦のショックで割腹自殺しているらしいです。 私は人間性の当然の帰結として自殺を推奨するような文化にはとてもなじめません。たとえ自分が属するものでもです。そういう文化的な背景とはたぶん別なんでしょうが、「群発自殺」などの本を読んでいると何かしら恐ろしいものがすぐ隣にいるような気がしてならないんです。 ご回答に感謝します。
私もあの本読みました。何年も前なのであまり記憶にないのですが、「死のうと思えばいつでも死ねる」という安心感を得た気がします。 生きているから死について考えるのですよ。死ねば終われますからね。 霊の存在を信じる私としては、死んでも終わらない事もあるんだろうな、と思いとりあえず現在死ぬ理由もないから生きています。 人生のリセットボタンを押したら、今の私の存在が無くなりますしね。というか、やり直す体力はないです。人間関係って面倒な事多いし。
お礼
>死のうと思えばいつでも死ねる 私は逆でしたね。「こらあかん、まじめに生きな」ってな具合です。 >やり直す体力はないです。 いや、それは私も同じです。人生のリセットボタンがすぐそばにあって押せるものならそうしたい、と思ったことも正直ありますが、自分が世の中からいなくなることの根源的でなんとも理性では捉えがたい恐怖もあります。打ち負かされて立ち上がれない絶望的な気持ちで「死んでもいいや」とふっと思ったとき、その恐怖の正体と始めて対峙できる、いわば「ルーザーズハイ」といった心理状態に経験があります。うまくは言えませんが。 敗者は去るべし、という直線的に死を肯定することばは、最近やけに力があると感じます。これに対抗する理論的で前向きな言葉はどこかにないものでしょうかね。 ご回答ありがとうございました。
自殺を幇助する可能性がある、として、「公序良俗に反する」といわれた問題図書、それが「完全自殺マニュアル」です。まだ買えますが。 社会にある「ロジック」とはどういうことを意味していらっしゃるのかわかりませんが、それは多分「公序良俗」というヤツです。果たしてそれが強力なのかどうかは知りませんが。 自殺幇助が犯罪である以上、自殺が犯罪であるのは間違いのないことでしょう。 ただし、死んだ人を罰することはできないということと、日本人のメンタリティーの中に、「死んだ人を悪く言わない」というのがあるので(タタリを恐れる気持ちとか、そういうものが背景にありますが、これはまた別の話)、自殺したひと本人を罰することはありません。 また、残された人への精神的なダメージは、計り知れないものがあるそうです。 公序良俗は、だから、自殺を「悪いこと」「忌むべきこと」としているでしょう。 なお、自殺、殺人、援助交際、などについて倫理的に考察した 「なぜ人を殺してはいけないのか 新しい倫理学のために」小浜逸郎/著、洋泉社680円 をぜひご一読ください。
お礼
>「なぜ人を殺してはいけないのか 新しい倫理学のために」… いやもう買って持っています。内容は…、忘れました。もう一度読んでみます。 公序良俗、確かに民法80条にはそういうことが書いてありますね。公の秩序、善良な風俗に反する取引は無効とか。 私は不謹慎にも思うのですがね、自殺して死んだ場合、一人は呪い殺せるとかのルールがあれば、世の中もっとずっとよくなっているような気がします。実際は救いなどなにもない、だから自殺はいけないのだ、ということなんでしょうかね。(ううん漫画の見過ぎか) ご回答に感謝します。
- popupus
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自殺マニュアルを出す以上、「自殺なんて絶対だめだよ」というスタンスであることはありえないでしょう。本心でどこまで確信しているかはわかりませんが、世論の手前言えないけれど「死ぬのは本人の自由意志」と考えていると推測します。
お礼
早速の回答感謝です。あの本は結構狭い視野で書かれていてその主張については全く当てにならないと思います。自殺の仕方とゆがんでしまって元に戻らない奴らを列記してあるだけです。ただ、自殺者がこれだけ増えると、なんだかあの殺伐とした主張に、どこか力があるように思えてならないのです。私も絶望的に不幸な境遇の人を目の前にしてそれを救えない以上、きっぱりとこう断言はできません。「いきていればいいこともある」と。 逆に言うと私たちの人間としての「生」を支えるのは本当は何なのか是非とも知りたいところです。動物的な本能でないことは確かですが。
お礼
>自殺は、だから、今、悪魔の道具としてはもってこい、ってなところです。 なるほどうがった見方ですね。確かに、これはある意味非常に危険な側面を持ちます。それは「死ぬ気になれば誰でも殺せる」ということ。利害関係が錯綜する今日、殺人事件はむしろ極めてありふれたものとなるとの主張をこのサイトでも読むことができます。自爆テロなどを引き起こす心理状態もこれに近いと言えなくもありません。「悪魔の道具」という表現は言い得て妙ですね。死にたい奴はかってにどうぞ、という考えがこういうところにも出口を持っていると思うと震撼します。 ご回答ありがとうございました。