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自分を許すことへのジレンマ
- 自分を許すことへのジレンマについて悩んでいます。
- 自分を受け入れて楽になりたいが、責任感を放棄するのではと恐ろしい。
- 自分を許す・許さないの二択から選ばず、認識を改める必要がある。
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質問者が選んだベストアンサー
例えば何かを許すか許さないかという両極端な答えの間には、 「許すことはできないが、許せない程ではない」という中間的な答えも存在します。 本来物事は二極化するような単純なものではありません。 もし質問文のような許すか許さないかという二極化で物事を判断した場合、 その間には意見が突然逆転する分岐点が出てきてしまいます。 これはつまり「許す」以外の選択は全て「許さない」ことになるということです。 例えば何かに失敗した人は努力を怠った人でしょうか? 性格の良い人の反対は性格の悪い人でしょうか? 真面目な方はよく自分が不出来なことを「悪」のように捉えることがあります。 それは出来が良いことを「善」とし、それ以外を全て「悪」と捉えているからでもあります。 まずは物事が単純に二極化しているわけではないということを認識してください。 次に許すか許さないかの出発点ですが、 これはありのままの自分を「悪」と捉えていることからの発想であり、 何かに努力していない状態は「罪」であるという強迫観念にとらわれているのではないかと思われます。 何かに努力するのは、その努力の先に獲得したい何かがあるからであり、 努力をしなかったことで失うものは本来ないのです。 ただ周りの環境が変化しているので、止まっていると置いて行かれているように感じるだけ。 決して後退しているわけではありません。 ある意味日本人たる国民性のようなものなのかもしれませんが、 (はみ出す者は悪、協調性が大切、のような) ありのままの自分が「罪」である理由はどこにもないのです。 自分が何のために努力して、何を得たいのかを明確にしてみてください。 何かに許しをこう選択というのは、前に進めているようで進んでいません。 自分の足りない部分を補うことも大切ですが、時には何かを伸ばす余裕があっても良いと思いますよ。 良ければ参考にしてください。
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- kh8491
- ベストアンサー率6% (6/100)
私には自分を許すと云う感覚が分かりません。 自分を認めると云うことは自身だけで成立する事ではなく、 他人との関係において相対的位置付けを理解することで、 それを進展させることが成長だと思います。 物事への情熱が薄れ始めるのに何かきっかけはあったのでしょうか? 年齢的にはありがちなことで、時間が解決してくれそうな気がします。 一つの方法として自分の周りにある事、物、人に対して 自分なりの価値観でそれぞれ意見を持つように心掛けるのも一つの方法に思います。 若いときにそんな事を心掛けてましたが、 参考になれば幸いです。
お礼
回答有難うございました。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
重要なのは悪循環を断つことです。 そして好循環を回すことです。 自分を責めて成果が上がるならそれもいいでしょう。 でもそのやり方でうまく循環せず行き詰るようになったなら やり方をかえるわけです。だって別に自分を責めることが 目的じゃないんだから。 目的はなんなんですか? 許すのは楽になることでよどんで止まっていた成長を また循環させるためです。 あるいは目的が楽して生きることなら 気負わず笑って過ごすこと自体を目指してもいいでしょう。 自分を責めること自体に執着をしても 自分の目的を見失った本末転倒でしょう。 だから自分の心とつながることが重要になるのです。 何が自分にとって大事なことで、何は変えてよくて 何は変えてはいけないのか。 それを決めるのが自分のハートです。 自分を責めることが好きなら好きなだけ自分に鞭をくれて 快感に浸ればいい。それはそれでアリです。 だってそれが目的なんだから。 自分が何が好きなのかってことですよ。 ハートでも理性でも納得できる自分の芯を見出すべきなのです。
お礼
そうですね。 自分の芯というものが、なかなか見い出せないのです。 回答有難うございました。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
それが青春時代ってやつじゃないかなあ。若者が空回りするのは当たり前のことだと思いますよ。私も若い頃は空回りしてばっかりだったし。やっぱり若いうちはエネルギーを持て余すんですよね。 私は基本的に自分を許すというか、受け入れることは良いことだと思います。私も若い頃は同じように悩んだのですが、ある日、「俺が俺の味方をしないと、いったい誰が俺の味方をしてくれるんだ」と思うようになって自分が自分の味方になろうと思いました。 しかし、自分を許すというのは一歩間違えば自分を甘やかすことにもつながりかねないわけでしょ。質問文を拝見すると、質問者さんは質問者さんなりに自分を成長させようともがいているようなので、そうやってもがいていればいつか自分なりの答えというか方向性が見えてくると思います。 ただし、それは数年後かもしれないし、30歳くらいになってからかもしれません。でも、今そうやって悩んでいられるのも若さの特権なんですよ。悩め苦しめ、若者よ。その苦しみが貴君の人格に深みを与えてくれるでしょう。
お礼
考える程難しいテーマです。 回答有難うございました。
- ni_si_ki
- ベストアンサー率19% (302/1586)
許す、というより今のありのままの自分を受け入れる方が先かな?と思います。 出来ないことは出来ないと認める。 しかし一方でこれならば自分にも出来るかも知れないと思えることもあるはずです。 諦めることはいけないことではありません。 新たな可能性に向けシフトチェンジしましょう。 あなたにとって今がその時なんだと思います。
お礼
回答有難うございます。
- kurikuricyan
- ベストアンサー率14% (440/3139)
19歳で、そんなに難しく考えているのですか? 人生は、ようするに「楽しめ」ば、いいのですよ。 「乗りたい電車に間に合った!!ラッキー!」「お隣の家の庭にチユーリップが咲いた!!可愛い!!」 「美味しい飲み屋を見つけた。また来よう!!」 「先輩が、助けてくれた!!ありがたい!!」って。 人生は、楽しいことばかりですよ!! 人生を楽しめるプロになりましょう。 何も、難しく考えることはありません。 ケ・セラ・セラ!!
お礼
回答有難うございます。
- m_3740
- ベストアンサー率26% (55/206)
41歳専業主婦です。子どもが2人おります。 高校を卒業して間もなく1年ということは、19歳くらいの方でしょうか。 随分難しいことを考えていらっしゃるのですね。 私がその頃なんて、暗い浪人生活から解放されて 遊ぶことと彼氏作ることと 親から解放されて一人暮らしができることしか考えていませんでしたが(笑) 自分を許すか許さないかについてですが、 それはまさにあなたのおっしゃるとおり 今の自分を受け入れるかどうかにかかっていると思います。 自分を成長させるためにはいろいろな方法があると思いますが まずは自分がどの位置にいるのか、 どのくらいの歩幅で、1日どのくらいなら歩けるかを知るためにも スタート地点である今の自分を受け入れることは大切なんだと思います。 今の自分からは相当時間がかかりそうなものを目標にして 自分を励まし、時には責めながらも近づいていく・・・というのも 1つの方法ではあると思います。 でも、もうあなたはそのやり方では苦しいだけで 実際は何一つ成長できていないことに気づいているはずです。 今の自分を受け入れて、本当に小さなことから始めませんか。 具体的に何を悩んでいるのかはわかりませんが、 ホント小さなことから・・・ そしてもし比べるとしたら、それは「昨日の自分」だけでいいです。 昨日の自分よりちょっと何かできたら、または頑張れたら、 そんな自分をうんと成長できたと褒めてあげてください。 そんな小さな、誰でもできるような頑張りの連続も 続けばあなたにとって将来大きな力になるはずだ、と私は考えます。
お礼
難しい事を考えても、その場限りで結局空回り…。 僕はニュートラル・ボーイだと自嘲してしまいます(笑) 確かに、自分を受け入れる(許す)ことを、スタートを知ると置き換えれば楽かも知れません。 方向を考えず我武者羅に走っても、徒労に終わってしまいますしね。 解答有難うございました。
- pigunosuke
- ベストアンサー率19% (1063/5529)
選択肢ってのは YES と NO だけではありません 今の自分にふさわしい選択肢を、 自分で見つけてみましょう 学校の勉強で、得意な物と苦手な物は有りましたか? 得意な分野は、良い点数も採れたし、 苦手な分野に比べれば、楽しく勉強できませんでしたか? 楽しい事は伸びるのです マンガは読みますか? 楽しいマンガは集中して読むことができませんか? 楽しい事は集中出来るのです 楽しむ事さえ出来れば、集中出来るのです 集中するためにも 人生を楽しみましょう 楽しむ方法を模索しましょう
お礼
有難うございます♪ どうも努力を、楽しい事を制限する「禁欲」と一緒に考えていたように思えます。 認識を改める事が出来ました。
お礼
回答有難うございました。