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性別を変えた人の座り方

性同一性障害や性分化疾患その他もろもろの事情でそれまでとは異なる性別で生活することになった人は、座り方について意識したり変化することはあるでしょうか? 意識的に変えようとしたのか、ごく自然にそう変化したのか、服装がそういう仕草を促すのか、性別変える前からそういう座り方だったのか。 私は普通に男であり、改まった席でもない限り床に座るときは胡坐であり椅子などに座るときも足を揃えることをそんなに意識してません。 しかし仮に性転換することになったら仕草も変えていくのかなとふと疑問に思いました。

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回答No.2

>座り方について意識したり変化することはあるでしょうか? 女性としてなら、他人の目もあるから、みっともない座り方は、その人の品格を疑われるから、控えることはあるとは思うのですが、今どきの女子高生の電車の中での座り方をみれば、ひどいありさまです。もし、真性の性同一性障害なら、性別を意識して、何かを変えるということはないと思います。性分化疾患は分かりません。 >仮に性転換することになったら仕草も変えていくのかなとふと疑問に思いました。 服装が変わったら、仕草を変える、ということは、それは、女装を趣味にしている人の話とかではありませんか? ここから本題になるのですが、「ジェンダー」というものは、いわゆる「社会的性」=「他人から見られる性」です。だから、本人が社会認識をしている限りは、「見られる性」の制約を受けるのはやむを得ません。しかし、「ジェンダー・アイデンティティ(性同一性)」というものは、古い日本語訳では「性自認」といい、「ジェンダー・アイデンティティ」自体が、服装などを変えて自己認識が変わるものだとは思えないのです。そんなに、スイッチのオン・オフのように人の心は切り替わらないと思います。 ボーヴォワールの『第二の性』で書かれているように、女性(セックス)が女性性(ジェンダー)を獲得するという考えなら、生物学的女性も性同一性障害の男性から女性になった人も、同じ条件だと思いますが、またボーヴォワールが言うように、伝統的な女性としての立場を引き継ぐのも女性であるわけで、生まれながらに、女性は、(典型的な)女性であるとはいえないのです。 ただし、こういう考え方は、現代の医学では否定的です。医学的には、女として生まれたものは、生まれながらの性質上の女の特性を持っているとされています。しかし、私は、そういう考え方には疑問があります。性別は女であっても、「典型的な女性」と「性を逸脱した女性」という二種類を作って、片方がノーマルで、もう片方をアブノーマルとでも呼ぶのだろうか、と思ってしまうのです。

05051036
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

05051036
質問者

補足

>服装が変わったら、仕草を変える、ということは、それは、女装を趣味にしている人の話とかではありませんか? いえ、変えるのは服装に限定せず、あくまでも性別です。 それに男性から女性というパターンにも限定せず、女性から男性、中性からどちらかの性というパターンも含めての話です。 趣味の異性装と、性同一性障害や性分化疾患の人が自分で選択した性別に即した服装をするのとでは意味合いが全然違ってくると思います。 更に言うなら仕事の制服など、TPOに合わせた衣服の選択が意識に与える影響は少なからずあるのだから男女の性でもそれはあるのではと思うのですが。 まあそんな難しい理屈抜きに、筋肉や脂肪のつき方の変化とか、スカートだとスースーするとかパンツが見えてしまうといった危機感から自然と女性的な座り方になるのかもとも思った次第です。 実験は非常に勇気がいるんでできませんが。

その他の回答 (1)

回答No.1

元から胡座が苦手、椅子でも揃えると不気味だろうし少しだけです。性転換までいかないまでもニューハーフでも多分より女性らしくしたい気持ちは有ると思います。最近は見ませんがタレントのピーターは男性なのに誰からもキレイと思わせる …凄くありませんか

05051036
質問者

お礼

回答ありがとうございました

05051036
質問者

補足

回答者様は男性または元男性で、男性だったときから胡坐で座るのは苦手、しかし見た目は完全に男性のソレであるゆえに椅子で座るとき揃えて座ると不気味に見えてしまっていた。 ということでしょうか? 感情を害されてしまったらすみません。