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厄払いの効果
40才男性です。 本厄や前厄だとか言いますが、そしてその災害を防ぐために御払いに1万円掛けていくように家族から強く勧められています。 神主が葉っぱをパラパラとやることが、酒を1杯飲む事が、私のこの1年の不幸をどのように回避してくれるのかがどうしても自分のこととして実感が湧かず、捉えることができません。 信じぬ者には益なし、ということなのでしょうが、皆さんは御払いをどのように心の中で捉えておりますか?
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私は前厄、本厄、後厄共に何も一切しませんでした。 前厄の少し前に離婚して独りで暮らしていたため、周りから厄払いの事に関して あれこれ言う人が居ない状況だった事もありますが、例え家族と暮らしていても、、、 やっぱりやらなかったと思いますね。 結果的に何か悪い事があった訳でもありません。 軽い頸椎のヘルニアになったり胃腸炎も経験しましたが、そんなのは誰しも 歳を取れば経験する事です。 そう言った事を全て厄のせいにする人には、私の様な考え方にはなれないでしょうけど。 そもそも宗教において身を清めようとするのに、何故お金が絡むんでしょう? 信心する心だけでは不足というのでしょうかね?(笑) それが本当に人を救おうという宗教の正しい在り方?? 全てひとつの経済活動として後からあれこれこじつけたからに過ぎないと思っています。 不信心者で済みません。
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僕は御払いをしてもらいました。気分的にすっきりしてなんだか心が洗われた気分で気持ちよかったです。後は自分次第だとおもいますす。僕の場合ですけど気分的にすごくよっかたです。結局自分しだいです
- ash_fxdash
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ははは・・・自分もお祓いして貰ったけど、どう なんだろうね。悪いことがなかったわけじゃ ないけど、人生が悪い方向に行くことはなか ったので、ご利益があったかな? お祓いしようがしまいが、運命が変わるわけ じゃないと思いますよ。 ただ、何かが起きそうな時に神様に守って貰 えているという安心感ってとこですかね。 心のボディガードってとこかな? 1日30円で守ってくれるなら安いもんだね・・・
- pct10968
- ベストアンサー率21% (641/2971)
鰯の頭でも信仰すればご利益があるかもしれません。 信じるか信じないかは、あなた次第でしょう。 私ならお祓いと称して、旨いものを食べに行きます。 ご利益は、満腹感でした・・
- qwe2010
- ベストアンサー率19% (2193/11074)
私も、信仰する気持ちは一切ありません。 神事、仏事等はただの行事として参加しています。 信じても、信じなくても、お金を積んでもそうでなくてもなにも変わらないと思っています。 (益もないし、害もないと思っています) 御祓いの時、なにも考えていません、無心です。 なぜ御祓いをして貰うのか、妻と、子供の気持ちのためです。 妻を不安な気持ちにさせないためです。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
どうも俗世の迷信に捉われて。神社でお祓いを受ければどんな困難も避けられると思っている人が多い。 もちろんここには2万社を抱える神社本庁の指導が不行き届きであることも否めない。 どうも神社本庁はこの半世紀、政治的な動きばかりで肝心の神社神道の本分を忘れているようだ。 ともあれ、他の神道は別として、神社神道では祭祀を第一としています。 もちろん清め祓えもその一環。しかし清め祓えは災難除けのマジナイではありません。 過去の罪咎をリセットして素の自分に戻るだけです。 例えば取りすぎた脂肪をリセットすればメタボでなくなるみたいな感じ。だけどだからって暴飲暴食すれば結局病気にもなればメタボもぶり返す。 神社本庁の「神道いろは」にはちゃんと「生活を正して言動を慎む」と書かれています。つまり努力しなければいくら祓ってもらっても同じ。それに信仰心がなければ御神徳を頂いたって無に帰すだけのことです。 神社本庁ではチャンと言っているのに不勉強な神社が多いのか、世俗の三流芸人や似非常識家の流言に煽られている人が多いのか、ともかくもぜんぜん伝わっていないのが現状なのです。 私自身は神社は感謝しに行くところと心得ているので、厄祓いなど行きません。 それに祈願と言っても「大難を小難に、小難を無難に」が神道の基本姿勢です。 船が進めば舳先には波が立ちます。この波は船のスピードを殺すだけではなく時には船を破壊する力を持っています。人生も同じ。人が前に進めば風を感じます。つまり障害があって当たり前なんです。 この世に活けるもの全ては障害を乗り越えることによってのみ進化してきました。障害のないところに進歩も進化もありません。障害がないのは前進していない証拠ただ澱んでいるだけです。澱みはやがて腐敗をもたらすだけです。 だから出来るだけ乗り越えられる大きさにして頂いて乗り越えて前進する。これが神道の祈願の基本姿勢(大難を小難に、小難を無難に)です。 嫌なものを避けるという考えは密教からきているもの。だから密教では神仏の力を借りて避けさせるようにと祈願するのです。 だから信仰する木もないなら無駄金を使う必要はありません。お祓いしないからって悪いことがおきるわけじゃありません。ただ守護がないから波が有るがままにぶつかるだけのこと。もちろん自分の力で乗り越えればいいだけのことです。 1万円は自分の為に有意義に使ったほうがマシだと思いますよ。
- ppring
- ベストアンサー率62% (5/8)
個人的な意見としては、あまり厄払いは関係ないと思います。 私は去年厄年で、念のため神社で厄除けをしてもらい御札も部屋に飾ってあります。 が、去年一年間地獄のような不幸に襲われました。 今も解決せずに苦悩の毎日です。 厄年のせいなのかどうかはわかりません。そうだったとしても厄除けしたのに…という感じで呆れてしまいます。 同じく去年厄年の友人や、年上の友人などに厄年のことについて聞いてみましたが、特に悪いことはなかったよ~という返事。 厄払いが面倒で今まで一度もしたことがないという友人も、平凡ですがどん底に陥ることなく人並みに生きています。 結局厄払いしようがしまいが不幸はやってくるし、厄年は関係ないんだと思います。 その人のその時のバイオリズムなんでしょうね。
- tellmewhy2012
- ベストアンサー率23% (3/13)
神職資格(正階)者です。 ※ペーパーです。 「言霊」という言葉を耳にされたことはありませんか? 穢れた言葉を口にすれば「陰」の気で穢れ、 呪いの言葉を口にすれば・・・、 逆に、 美しい言葉はその人に「陽」の気をもたらし・・・ なんて、オカルトじみて聞こえますか? 実生活ではどうでしょう? 人の陰口ばかり吹聴している人が美しく見えますか? 要は、お祓いによる、穢れを清める「言霊」を信じるかどうか、でしょう。 信じてないのなら、必要はないと思います。
- mac1963
- ベストアンサー率27% (841/3023)
少なくとも私は何もしていないですよ そして何も起きなかった