• 締切済み

学歴社会は間違っていない!

結局、世の中勉強した者が勝ちですよね? バカでは昇進も出来ないし、それどころかまともに就職する事も出来ない。 低賃金で過酷な肉体労働で一生終わってしまう。 ごく稀に商才があって起業して成功する人もいますが、きっと地頭は良い人なんでしょう。

みんなの回答

  • sayuliy
  • ベストアンサー率16% (207/1282)
回答No.17

こんにちは。 だいたい合ってます。

noname#176869
noname#176869
回答No.16

「勉強ができるバカ」というのがいるから困る

noname#171471
noname#171471
回答No.15

学歴社会の存在自体はそんなには否定しない。 万人に共通する、判断基準の要となるものが存在した方が社会全体として効率がいい。

  • fuku7500
  • ベストアンサー率21% (31/141)
回答No.14

悲しい考え方の持ち主ですね。 確かにテレビなどでもクイズ番組などでは、高学歴芸人とかお馬鹿タレントとか如何にも差別的に、面白がって視聴率を上げようと、アナウンサーでも大卒だしキャリアと言えば大卒みたいになってるけど、 本当の本物は誠実な努力に勝るものは有りません。其の人の真剣な研鑽と忍耐と努力が有って、信頼も技術も築けて一流と成って行くのです。 東京六大学や国立を出たって役にも立たず。人を騙したり悪い事を考えて生きてたり、大学での大切な勉強の時間が生かされないままに、不幸な人生で終わる人も多いのです。 其れに勉強は一生涯する物です。人生を幸福に誰もが尊重されて平和に成る様に、人生には様々な事を様々な場所で学べるのです。 気にしかない構成と素晴らしい才能を引き出して、人を敬い感謝を忘れずに努力すれば、人に依って時間は違えども結果は良く成るのです。

  • blue5586p
  • ベストアンサー率27% (1611/5842)
回答No.13

学歴社会など、もう遠い過去の話です。  もう定年退職されましたが、職場で大威張りだった、団塊世代の方は「オレは中学しか出ていないのだぞ」と、低学歴であることを、自慢されていたくらいです。  しかしこの方は、威張ってはいるけれど、仕事では、やり手です。  いくら高学歴でも、職場で何の力にもならなければ、全く意味がありません。  私は、高卒で就職して、31年になりますが、やりがいのある仕事をさせていただき、充実した会社人生を送らせていただいてます。  過酷な肉体労働こそ、実にやりがいのある仕事なのです。  もし、高学歴であるがゆえに、肉体労働に就業できないならば、それはむしろ気の毒です。  今は、学歴社会ではありません。

回答No.12

学歴社会が正しいかわからないけど、勉強はした方がいい。 ただ、人間って足らないものを他で埋めようとするもので、勉強が出来ない人はコミュニケーション能力が高かったりする。おバカタレントたちって、頭の回転すごく速くないですか? 勉強が出来るってことに安住しちゃうと、意外とダメな人になるのでは。 四十路を前にして私が思う成功する人は、欲のある人。欲が全てのパワーの源で、欲があれば努力するし、勉強もできる。 2人子供が居ますが、成績そのものよりも、努力した結果、世界が広がって面白い事がある、ということを感じてもらって、意欲の強い人に育てたいと思います。勉強は後からでもできるし、真の勉強は社会に出てから始まるから。 おおざっぱに言って、質問者さまの言うとおりだと思いますし、私の意見は戯れ言かもしれませんが、「勉強が出来なくても成功する人」はそんなに稀ではないと思う。

  • sporespore
  • ベストアンサー率30% (430/1408)
回答No.11

卒業証書は会社という門(関所)をくぐる通行証にしかすぎません。一度はいると後はスマートな人が勝っていくのです。ただ、スマートな人が高学歴とは限りません。 関所を抜ける通行証が卒業証書である限り学歴社会の構造は変えられません。

noname#204885
noname#204885
回答No.10

>結局、世の中勉強した者が勝ちですよね? はい、その考え方で良いと思います。 もちろん、世の中には勉強とか学歴などとは関係なく頭角を現す人も多い。 しかし、そういう人は、もともと人並み以上の才能があって、出てくるべくして出てきた人です。学歴社会であろうがなかろうが、必ず出てくるんだから、別に放っておけばよろしい。特に社会の方でどうこうお世話を焼く必要は無い。 一方で、大多数を占める凡人は、そういう訳にはいかない。放っておいたらどうしようもない駄目になるだけ。だから、社会で尻を叩いて、勉強させるのが良い。そうすれば、凡人でもそれなりに世の中の役に立てるようになる。 要するに、学歴社会と言うのは「才能のある人」ではなく、「才能の無い凡人」のために存在する制度なのだ。 もともと才能のある人には、学歴なんてなんの意味も無い。純粋に実力で勝負すりゃ勝てるんだもの。 実力で勝負できない奴は、こつこつ勉強して学歴で勝負するしかない。そこで頑張れば、本当に才能のある奴には勝てないまでも、二番手くらいにはなれます。 学歴社会とは、生まれた瞬間に差をつけられてしまった連中(=もちろん一般人の大多数)のための敗者復活戦なのです。

回答No.9

何をもって「勝ち」とするかはさておき、 学歴が、体力・外見・人間性・家柄・特技・経験等々と並んで「勝ち」のための要因、しかも最大要因の一つであることは確かですよね。 例えば人間性や社会経験など全く必要ない高賃金の知能労働は世の中いくらでもあるわけですし(金融分野での得意部署や、各種研究機関の研究職など)、そうでなくとも東証一部上場企業のいわゆる管理職クラスの仕事は相応の知能・記憶力が必要であるのが現実です。 また、高学歴者の奥さんは概して綺麗で家柄もよいお嬢様であることが多いですよね。 高学歴者=勝ち組 というほど単純なものではありませんが、高学歴が勝ち組となるための最重要要因の一つであることは否定できないでしょう。

  • Kirby64
  • ベストアンサー率27% (668/2450)
回答No.8

「結局、世の中勉強した者が勝ちですよね?」  そーかも知れないが、それは30年位前までの話ニャ。  その頃は貧乏人でも頑張って勉強すれば公立高校から、国公立大学に入って良い仕事に就くことが出来たニャ。  例えば昭和50年頃は国立大学の授業料は私立の1/5だったニャ。家が貧乏でも勉強が出来れば、第一線の研究者にも国家公務員にもエリート社員にもなれる道があったニャ。  でも今はどうニャ?国公立大学でも授業料は私学より安いとは言え、私学の6~7割掛かるニャ。  バブル以降、労働者派遣法や不況の影響で労働者の賃金は抑えられ続けて、子どもの学費はおろか日々の生活を支えるのが精一杯ニャ。  勉強した者が勝ちなのかも知れないが、能力はあっても勉強を続けることが出来ない…。こんな国は早晩に二等国に沈んでしまうと思うニャ。