- 締切済み
友達を見下す私。謙虚になるには?
友達を見下す私。謙虚になるには? 女子高校生です。小さい頃から、どうしても友達を見下してしまいます。 私はテストなど他の子よりも短い時間の勉強で良い点を取れたり、敬語や気の遣い方が分かって年上に可愛がられたりします。 なので、勉強があまりできなかったり、嫌われてる子、コミュニケーション能力がない子を見ると「どうして出来ないんだろう?」と不思議に思い、どこか見下してしまっています。 もちろん表面には出していません。クラスではお馬鹿でひょうきんなキャラをしています。ですが、腹の中ではいつも「どうせこの人達とも大学受験までの付き合いだ」「私より出来ないくせに私に指図しないでよ」と思っているのです。 また、私は性嫌悪でもあるので、簡単に恋人をつくったり性行為をしただのしてないだのしか話してない人たちも「汚らわしい」「他にすることないのかな?可哀想な人達…」などと思ってしまいます。 こう思う私は酷いやつだと思うし、こんなふうに見下してしまうことを辞めたいです。 でもいざ対等な気持ちで話そうと思っても、相手の空気の読めない発言を聞いたりするだけですぐにまた見下してしまうんです。 実は私、過去にいじめられたことがありまして、その時は何も言い返せずただただ耐えていただけでした。 社会的や能力的に劣ってしまっている子を見ると、どこかで昔の自分と重ねてしまって余計嫌になります。 逆に、私より友達が多い人・美人な人・頭の良い人などを見ると、憧れると共に物凄く嫉妬してしまいます。それはもう夢に出てくるくらいにです。 本当はこんな私こそ見下されて当然ですよね…自己嫌悪気味です。 どうしたら対等に接するようになれるのでしょうか?もっと謙虚な人間になりたいです。 長文・乱文すみません。ここまで読んでくださってありがとうございます。 回答、お待ちしております。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- francparty
- ベストアンサー率48% (13/27)
「社会的や能力的に劣ってしまっている子を見ると、どこかで昔の自分と重ねてしまって余計嫌になります」 他人と過去の嫌だった自分を照らし合わせている分、人を通して自分を否定しまっているのだと思います。 自分を受け入れない人に人を受け入れることはできないと思うので、過去の自分も今の自分もこれから変わる分と変わらない部分を持ち合わせる自分も「どうせ、、」や「私こそ見下されて当然」とか、そんな余計な言葉を乗せないで、「それが私なんだ」ということに、もっと素直に受け止めてみてください。人に否定されても、自分だけは自分を否定しちゃいけないんです。 それに、キャラなんて演じるものではないんです。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
こんにちは。 わたしもいろいろ覚えがあるので、お気持ちお察しします。 まず根本的に、人間の価値を優劣ではかってしまう考えがしみついてしまったんだと思います。 現実は、能力があろうとなかろうと、美人だろうと友達が多かろうと、 人間は優劣でその存在価値が変わることはありません。 利用価値と、存在価値は、べつものなんです。 人間市場において利用価値の高い人間になることよりも、 本当に大切なのは本人の幸福感です。 人の価値を優劣ではかるクセが身に付くと、幸せになれません。 劣等感のかたまりになっては幸せになれないし、 優越感にすがっていても、やはり人間は幸せにはなれないんです。 優越感でほくそえむには、誰か自分よりも劣る人をつくらねばならず、 人の心の良心が、それでは幸せになりきれないんです。 それに一度気づいてしまうと、 もっともっと優越感を得ようとして、自分の市場価値を高めようとしても、 かえってむなしくなるだけです。 気づきませんか。能力は劣っていても、かえって幸福感の高い人もいるということを。 そういう人たちからは、実は学ぶこともとても多いのだと思いました。 人生は、競争ではなく、協力であり、 競走ではなく、お散歩のようなものです・・・ 思いやりながら、自分のペースでたのしんだらいいんです。 あなたは人を見下してしまうと悩んでいるけれど、そういう心は大なり小なり、だれでもあります。 そのことに気づいたこと自体が、すばらしい気づきなのではないでしょうか。 優越感で幸せになろうとしても、もうあなたはそれに浸りきることは、できないのです。 それは、あなたの心が、もっと純粋な幸福をもとめている証ですよ。
- fuefue12
- ベストアンサー率38% (457/1192)
大なり小なりそういう気持ちは人間は持っていると思うので(特に若い頃は) 口に出さなければ別に良いのでは?と思いました…が >「どうせこの人達とも大学受験までの付き合いだ」 >「私より出来ないくせに私に指図しないでよ」と思っているのです。 この考え方はちょっと寂しいなと思ってしまいました。 多分過去のいじめ経験から自分と重ねてしまうのと 自分が歯を食いしばって頑張って来た努力を人がやってないのを見ると腹が立つ部分がそうさせるんだと思います。 また産まれた時から優等生の人に対する妬ましさは、自分がそうなりたくてもなれなかった物を持っている(様に見える)事に対して「自分が受けた傷」が仕方が無い物だったと感じたく無い事から来る反動なのかなと思いました。 私もいじめられて結局逃げてしまった過去があり、なんとなく質問主さんの気持ちが分かるのですが、それで他人を全て自分を投影する様に見てしまうのはこの先しんどいと思います。 そこでオススメしたいのは「徹底的に自己分析&他人の分析」です。 他人を自分とリンクさせるのではなく 徹底的に「他人」として見て興味を持って分析する事で多分他人への考え方が変わって来ます。 また、自分がどんなタイプの他人が好きかを知り、何故そういう人が好きなのか考えてみると対人関係で悩みにくくなります。 私自信はいじめから抜け出した後、もう人に嫌われたくないと言う恐怖心と、でも自分らしくありたいという願望からこの方法を自然と始めたのですが 結構面白いですよ~ 自分が嫌いなタイプの人はどんな人間か?何故嫌いか?何に不愉快と感じるのか? 彼女達は何故その行為を良いと思うのか?その行動をするのは本心からか?虚栄心からか? 優等生とかも劣等生である自分にとっては不思議な存在だったので、あれは環境によって出来るものか?本人の性格か?無理をしてないか?等注目してみると色々見えて来たりもします。 人より生きるのが下手に見える人も、全てがダメか?良いところはどんなところか?自分は出来るのにこの人は出来ないのは何故か?等です。 因みにこれらの分析に性格な答えはありません。 そのとき自分也に考えて自分也のその時の結論を出していくだけです。しかし時間を重ねて繰り返して行くとふとその結論が覆されたりする時もあるから面白いです。 嫌い!好き!あの人はいい人!ダメなヤツ! だけが人を分析する選択肢になってしまうと、多分この先もそういう風にしか見えないと思います。 しかし人間って結構タイプは似てても結構一人一人性質や性格も異なります。 繰り返して行くうちに自分の考え方に気がついたりもするのでオススメです。 全ての人を平等に見て平等に扱うのは大の大人でも難しい事ですが 自分の求めている人間関係や、色々な人間がいるという事が分かれば、もう少し肩の力を抜いて人との関係を築ける様になると思いますよ。