※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:非が自分にあるか明確で無い場合に謝罪するべきか?)
非が自分にあるか明確で無い場合に謝罪するべきか?
トラブルがあって、その原因が自分にあるかどうか明確で無い場合、謝るべきだと思いますか?
具体的に自分の体験した事例を挙げると、
ある日、事業所の食器立てにあった、仲間のコップが割れていました。自分の洗い物のついでに、私はその前日そのコップを洗ったのですが、特にその食器に衝撃を与えた記憶はありません。しかし持ち主と自分以外、そのコップを触った人はいないようでした。
1)おそらく自分が触った影響で割れてしまったので、とりあえず謝っておく。
2)謝ったらその時点で自分が割ったと認めてしまう。事実が明確で無いので謝るべきでない。
という2つの考え方があると思います。
1)は争いごとを嫌い、”和”を重要視する日本人らしい考え方で、2)は訴訟の活発なアメリカ風の考え方なのではないかと思います。その場で私はとりあえず謝りましたが、よく考えてみるとアメリカ文化が多少入り混じった現代日本に生きる私として、どう動くべきかわからなくなりました。
A)自分に非があったのなら誠意を持って謝りたいが、B)限られた判断材料しか与えられない、その場で自分の罪を確定したくないという葛藤がありました。このような場合、A),B)の両者を満たす優れた言動はないものなのでしょうか?
そこまで完璧な対応策がないとすると、皆さんは1)寄りか2)寄り、どちらの対応を取りますか?理由とともに教えて下さい。相手がいちゃもんをつけやすい人だったり、逆に謙虚な人だったりすると対応も変わってきそうではありますが。
ここまで長文を読んでくださり、ありがとうございます。いろいろな人の意見を聞きたいと思っています。一言でも意見を頂ければ幸いです。ご回答をよろしくお願いします。
顧客へのクレーム対応ではなく、個人同士(家族友人、職場の同僚や上司部下など)でのやり取りを想定しています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 前者に関しては、割れたのは陶器のコップだったので、該当しません。直接人力で割れる以外に、外界変化で割れてしまう可能性があることは頭に留めておこうと思います。 後半に関して、興味深く読ませていただきました。 現代日本でも、世間という制度は活きているんですね。言語や、宗教によってその辺りは消えずに残るのかもしれないですね。 結局私がどちらを選択するか(謝るかどうか)は、未だ決めかねませんが、両方の意見が聞けて良かったと思います。感謝します。