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人生においての「ゴール」は、やはり「死」でしょうか
人生においての「ゴール」は、やはり「死」でしょうか? 当たり前のことを聞いてすいません。 誰にも聞いた事がないので質問してしまいました。
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> 人生においての「ゴール」は、やはり「死」でしょうか? 還暦過ぎの“隠居”のような生活のオジサンですが、私はそう考えています。 生きている間には(私のような隠居のような生活が許されても)、どこで区切ってもその後も生きている限り何があるかは分らない。最終的に判断できるのは死ぬ瞬間しかないでしょう。尤も、故松下幸之助翁のように、自分の名の冠をかけた政経塾がそのバカな卒業生によってその名を汚されることありますが(笑) 私のような凡人では幸い生きている間だけで済むでしょうが、気の抜けるところなんてありませんね。何かをやり遂げたって、その後にどんな人生が待っているかは分らない。決して『ゴール』じゃありません。 故岡本太郎氏が「私は寝ているときだって闘っている。」と言っていましたが、今はおそらくやっと平穏に熟睡されているでしょう。もしかしてバカな前都知事が『太陽のトウ』なんて言い出したので慌てて起きたかな?(笑) 歴史に名を残された方は本当にお気の毒だ。凡人でよかった。
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- organic33
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ゴールは一発決めた時です。ですので、何度でもあります。 そして周りの評価が金なら、輝き続けるでしょう。 銀なら、その後の人生も研鑽を積まなければ銀は輝き続けないでしょう。 胴なら、分かち合える人をもとめるべきです。胴同士が手をつないでこそ次の一発の場面の時、力が倍増します。 人生のゴールは数限りなくあります。
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ご回答ありがとうございました。
- qwe2010
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ゴールは、目的とか目標です。 人生においてのゴールは、 目的を持って生きてきた人しかない物だと思います。 又、目的により、それぞれのゴールは違うと思うのですが。 人生ををサッカーに置き換えると、 生きているときが、ゲームをしている時間、死んだときがゲームが終わったとき。 目標を持って生きている人は、ゴールに向かって走っている人。 目標がかなったら、ゴールにボールを入れた瞬間、一点が入ります。 次も目標を持てば、また次のゴールを目指します。 一生の内に、目標さえ沢山持てば、何点でもいれることが出来ます。 目標を持たない人は、ゴールを目指して走ることはしませんので、点は入りません。 一度もゴールに到着することはなく死亡します。
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ご回答ありがとうございました。
- pct10968
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君が人生のランナーなら、死がゴールになり得るでしょう。 火の玉になって、ゴールを目指して下さい。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- pigunosuke
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ゴールって、「やりきった!」、「走りぬいた!」って 達成感が有ると思うのです だから、 氏族なり夢なりを、後継者に受け継がせる事が出来た時に、 「ゴール」と考えるのが良いのではないでしょうか? その後は、ゴールをした後のクールダウン期間ですよ ということは、ゴールへ辿りつけずに死ぬ人も出てくるのだろうか? まぁ 何処をゴールに定めるか?は、その人次第かもしれませんね
お礼
ご回答ありがとうございました。
- porquinha
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ゴールなんて考えたこと特にありませんでした。 人それぞれじゃないかな。 仕事を引退したらゴールで、そのあとが余生の人もいるし。
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ご回答ありがとうございました。
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ご回答ありがとうございました。