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後悔してからの行動が出来ない
22歳女です。 20歳まで、私は人と距離をおくようにしていました。 何故なら、自分のしようとしている行動を客観的に見て恥ずかしいと思い、それなら自己完結をしていた法がいいと思っていたからです。 会話は普通にしますが、自分について踏み込まれることが苦痛です。 私はよく人から変わっているといわれ、自分は意識していないのに変に行動が目立つ事が多く、よくわからない人だといわれています。 その事は私にとって、嬉しくも何でもなく、 むしろ影のようになりたいと思っていました。 理由は、常識がないこと、世間知らずなこと、自分勝手な事がばれると思い、表面的な付き合いを心がけていました。 よって、自分の事を話す、というよりは人の話を聞くことに専念しています。 そういう行動をしているせいか、よく人からは相談されるようになりました。 もちろん、困っている人は助けたいと思うので、その人の話を最後まで聞き、 楽な気持ちになってもらえるような受け答えを心がけています。 ただし、一度相談事が解決すると、一部ですが相談してくれた方々の何人かが私のご機嫌伺いをし始め、友人として見られてはおらず、変に理想化されていると感じることが多々あり。 私はべったりすることが苦手で、いつでも一緒にいようとされると、なんだか気持ち悪くなり、距離を置くようにすることもあります。 20歳を超えてからは、親切な友人が身近にできたおかげで自分の幼稚な所や面倒だと思われるような部分を徐々に見せる事ができるようになり、居心地がよく、環境に恵まれました。その結果幅広い年代の友人ができ、毎日が楽しいと感じていました。 今思えば、自分と人との境界線をあやふやにしたことで、 多くの方と関わることができたのだと思います。 しかし、それ故に、客観的視点が薄らいで自分に甘くなりすぎ、常識的に考えて発言してはいけないこと、いいことの判断も緩くなりました。 その結果、先日SNS上で高飛車な態度をとってしまいました。 あまり親しくない人の記事にコメントを送りました。 その人から最初は返信がきたのですが、途中でこなくなり、 後で見返したら高慢な態度をとっていたと感じました。 冗談で言ったつもりでしたが、私は冗談を言う人間に見えないせいもあり、また自分のスペックを考えず、感じの悪い発言をしたこと。 身の丈に合った発言を心がけるべきであったと後悔しています。 自分の発言は消せないし、消したところで変わる事は自己満足なくらいであると思っています。 出来れば、傲慢に発言する前の時間に巻き戻したいと思っていますが、それは希望であって現実的には出来ないことも分かっています。 SNS上なので、私の友人もそれを見ているということをきちんと把握するべきだったと思います。 長々と後悔の念をつづりましたが、「私の事はみんなそんなに興味がないし、気にしていない」、という考えも理解できますし、私は自意識過剰な面が強いので気にしすぎだろうと思います。 しかし、どうにも人を不愉快にさせた事、なにより無視されることがとても辛いです。 常識のない自分であることも自覚していますし、無視されるくらいなら人と関わる事はしないようにと思い、距離を置いていたのですが、 いざみんなと卒なく関わるような人に憧れ実践してみたら、気にしすぎな性格もあり人によっては小さな事を私にとっては大きな事だと感じ、後悔しか出てこず、 もう人と関わるのはやめようか、関わるとしても、もっと目立たないようにしたいと思っています。 結論をいうと、タイトル通り 後悔からの脱却ができません。 どうしたら抜け出せるのか、意見をいただけたらと思います。
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人の話を聞いてる方が楽ですよね。私は少しでも役に立てたら、自分の良くなかった行動を正せるんじゃないかとも、考えてしまいます。 誰かの相談を受けたからと言って、自分の事を分かってもらえる訳でもないし…本当の自分を分かってもらうのは、贅沢なのかもしれませんね。 ありのままで好かれるのはあり得ませんから。 質問者さんはもっと自分を分かってほしくて、上記のような事をしてしまうのでしょう。 それでもいつか良くなります。自覚していますし、大丈夫です。
お礼
丁寧な回答ありがとうございます。 仰る通り私だけが感じている「本当」の部分を理解していただきたいのかと。 ある人に本当の自分、素の自分を見せることができたと私が感じていても、相手は思惑があって分かったふりをしていただけなんだと知った時はなんだか虚しくなる事が多くて。 表現の仕方が下手なのだと感じています。確かに人の心の機微等理解し難い事ですし、自分を分かってもらう事が贅沢なのかもしれませんが、 少しずつ表に出してはいきたいという本音もあります。 人生経験が足りないからこそ思うのかもしれませんが。 今回のことをふまえて、別の機会に人の役に立てる行動が出来たら、と思います。 まとまりのない長文を読んでいただけたこと、感謝いたします。 ありがとうございました。