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閏年を設けないと出てくる弊害について
季節と日付のずれだけが問題になるのでしょうか。しかし前の年とのずれはごく微小でしょうから農業などで不便を感じることもないように思います。また暦が発明される前から農業はあったはずです。何か別の弊害もあるのでしょうか。
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NO.5 です。ご丁寧なお礼を頂きましたのでもう少し。 本来ユリウス暦そのものが精密すぎるとのご指摘のようでしたので、少しずれていましたね。 ユリウス暦は確かにエジプトの農業起源の、その頃の最先端のものをシーザーが取り込んだものです。 ナイル川の氾濫の周期性を確かめるために、シリウスの年周期が365.25であることから採られた閏年の決まりですが、これはそれ自身は正確でしたが、肝心の太陽年とはわずかにずれていたことで誤差を生じ、後年に修整されたということです。 シーザーがなぜ当時の最先端の暦を自国に採用したか? これは私見によればシーザーが常識人だったからというしかないのではないかと思います。もちろん彼には有り余る野心があったのは事実でしょうが、その野心、また自分の強大な実力とそれをベースにしたプライドが世界最先端の暦というものを民に使わせて便利にさせるという気分は政治的にも良いことで、素直に理解できます。 ご参考になれば・
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- alphaXXX
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道具やシステムってないならないでそれを補う方法はいくらでもありますから、ないことによる弊害はあるか、という観点で思考すると分かり辛いですよ。 むしろ、それがあることによるメリットとデメリットは何か、で考える方が分かりやすいです。 この場合は「閏年があることによるメリットとデメリットはなにか」で考えてみてはどうでしょうか? メリットは地球の公転周期に一致した正確な暦であること。人間の社会的経済的活動は季節に大きく支配されてますから正確な暦は社会的な活動を円滑化し経済的なメリットも大きいですよね。 一方、デメリットは特になさそうに思います。なら、あえて閏年を設けない理由はない気がします。 まあ今更私がどうこう言わなくても他の回答者様たちが優れた知識や角度から論じられてますけども。
お礼
ご意見感謝いたします。
- jgk99
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No.3です。 少し、補足させてください。 問題は日付ではなく「今が何月(こちらは季節でわかります)の何日か」だと思います。 たとえば、山に入る人は満月の前後に入ります。新月のころの山は危険が増すからです。 夜襲にしても、闇夜を必要とする闇討ち、忠臣蔵のように足元の明るさを求めた夜討ちなどがあるそうです。 現在、懐中電灯のある時代でも、夜行する場合は満月の前後にします。 炭焼きのために十日間山に入るとすれば、私なら半月の日に家を出て満月の前後に山にいられるようにします。 一度、新月と満月の夜を比べてみてください。 日付を見るのではなく、月を見る必要が多くあるのです。 農業ばかりではなく、漁業や修験者なども。 蛇足かも知れません、ご容赦。
お礼
再度のご教示感謝いたします。皆さんのご教示をいただいて当初考えていなかった多くのことを学ばせていただきました。太陰暦と違って太陽暦というのは、太陽の運行という自然現象にに従っているにもかかわらず、逆説的ですが、人間の生活が自然から乖離してきたことを暗示(あるいは明示?)していることを改めて大きな驚きとして理解しました。案外社会的には太陽暦でいくにしても個人の生活は大陰暦に戻すことが多くの問題を解決してくれるのではないかとすら思います。新聞などにも毎日、月の満ち欠けのイラストをできれば第1面に掲載すると面白いかもしれません。
- Tann3
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特に弊害はないと思います。 ただ、主にキリスト教国では、この世を創った創造主は完全な秩序を創られた、という信念がありますので、現世の支配者・最高権力者は、神からの統治委託が正統で権威あるものであることを顕示するため、それを正しく解明して民に示す必要があったのだと思います。 「ユリウス暦」とか「グレゴリウス暦」が、教皇の名前であることがそれを示しています。 暦は、支配者・権力者が公布して統一するのが責務であり権威の象徴です。これはキリスト教国以外、太陰暦であっても同じです。しかし、自分の勢力範囲内で統一することが大事で、他の国との統一は二の次だったようです。 ローマ・カトリック圏内でグレゴリウス暦が用いられてようになった16世紀以降も、ロシア正教のロシアではユリウス暦が継続使用され、その結果、1917年のロシア革命(十月革命)は、現在では11月7日になってしまった、という事態も発生しています。(革命政権が、暦を西欧に合わせてグレゴリウス暦にあらためたため) いずれにせよ、暦を制定する支配者には、民衆の下世話で世俗的な生活の便宜を図る意図など、そもそもないのではないでしょうか。民衆は、もっと自分たちの生活に密着した、実生活感覚・経験則で対応していたのだと思います。
お礼
政治そのものですね。暦は理系の対象かと思っていましたが、大いに文系的でもあることが実感できました。物価が安定しているほうがよいはずなのに、インフレにならないと景気がよくならないというような話が連想されました。季節は自然現象ですが暦日は自然界のどこにも存在しないというのが、人間の権力欲のむなしさを象徴しているように感じるのは、科学的ではないと反省しています。ご教示感謝いたします。
もちろん実用的な面で農業への影響はあると思いますが、仰るとおり確かに不便さは限定的です。現に日本では明治になるまで太陰暦というアバウトな暦を使っていました。仰るような別の季節感などでカバーすることで、暦としてはそれでよかったのでしょう。 暦の精度を上げた(ユリウス暦BS46~AD1582→グレゴリー暦)時のエピソードとして、かの地で重要な祝日である復活祭(春分)がそのころには10日以上も実際の日からずれてしまい、もっと正確な暦が待望されたことから採用されたとあります。 どんなものでも1/2という分量は非常に正確に感じられるものです。
お礼
科学史的にも興味があることだと思いました。復活際は季節で決まるのか日付で決めるべきなのかは、前者は土俗的、後者は権力的な感じがします。しかし南半球では季節のほうが、かえってわけがわからなくなるのでむしろ日付のほうが合理的であり感覚的にもぴったりくるのではないかと思いました。また軍事的な観点からも太陽暦のほうが有利な点が多いように思えます。オスマントルコの軍隊はどちらを使っていたのか調べてみたいと思います。ご教示ありがとうございました。
- foomufoomu
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昔は、太陰暦=月の満ち欠けを基準にした暦、を使っていました。これは1か月が約29.5日ですから、今の暦より日にちのずれは大きかったです。 で、何年かして、ずれがたまったら・・・13月を作って調整していました。 昔は、おおざっぱな農業だったので、その程度でよかったのでしょう。 しかし、一度に1か月も1年の日数が増えてしてしまうのは、やはり、不便じゃないでしょうか。
お礼
時間と同じで日の出と日の入りを基準に時刻を決めても実際の生活にはむしろ利便性が高かったかもしれません。太陰暦のほうが太陽暦より平和というか温かみがあるように思います。ご教示ありがとうございました。
- jgk99
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庶民が紙も筆記具も自由に使えなかった時代。 「今日は何日?」「新月から三日目(3日)」と月の運行は便利です。 「そろそろ種蒔きの支度をするか」「そうだね立春から〇〇日目だね、山の雪も少なくなってきた」と太陽の動きは分りやすい。 でも、月の動きと太陽の動きがずれてしまう。 なんとか合わせたい。ということでは。 結局、生活に必要だったということでしょう。 暦があれば、太陽の動きだけでも良かったかもしれませんが。 イスラム暦も面白いですよ。
お礼
日付というものは社会を成立させるための条件の一つだろうと思います。農業にしても個人でやっている以上あまり日付は必要ないようにも思います。だんだんわからないことが増えてきました。少なくとも季節は自然現象ですが日付はそうではないことも何か意味がありそうに思えます。ご教示感謝いたします。
- staratras
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現在でも季節のめぐる周期とは無関係な暦もあります。1年が354日または355日のイスラムの暦がそうで、イスラム教徒にとって大切な断食の月(ラマダーン=ヒジュラ暦第9月)も今年(2012年)は真夏でしたが、真冬になる場合もあります。ただしこれは月の運行のみに合わせた純粋な太陰暦だからです。季節(太陽)の運行には合わないが、月の運行に合わせているからやむなしとも言えます。 しかし太陽暦で季節(太陽)の運行に合わなくなれば、一体何を基準に何に合わせているのかわからなくなってしまいます。閏年をまったく設けずに1年365日だけであれば100年経たないうちに20日以上もずれて遅くなってきますし、単純に4年ごとに閏年を作るだけでは逆に128年で1日分早くなります。大したことはないように感じますが、それでもこの方式だったユリウス暦では16世紀になると春分の日が10日も早くなってしまいました。これではいけないと400年に97回の閏年を設けることにしたのが現在使われているグレゴリオ暦です。 暦(日付け)と季節のずれをできるだけなくしたいということは太陽暦にとっては必須の要件であり、そのためにはできるだけきめ細かく閏年を設けて、1年の平均日数を365.2422…日に近づける必要があると考えます。日本で明治初めまで使われていた旧暦(太陰太陽暦)でも閏月という仕組みを設けて、なるべく暦と季節のずれが生じないようにしていましたので、イスラムの暦のような例外を除けば、暦と季節のずれをできるだけ小さくしたいというのは、暦にとって本質的に重要な不可欠の要素ではないかと思います。 農業と暦との関係で言えば、ご指摘の通り「福島・吾妻小富士の種まきうさぎ」など「○○山の残雪の雪形が××になったら□□の時期だ」というような役に立つ言い伝えは各地にあります。ただしこれらも、「去年は4月半ばにうさぎの形になったがことしは5月になっても雪が多くてそう見えない」など、暦の日付と相まって役に立っているので、暦の日付けが季節と無関係になれば、例年と比較することができなくなり、価値が半減してしまうのではないでしょうか。
お礼
季節と日付の関係について完全に納得できているわけではありませんが、もう少し勉強してみます。貨幣制度と同じで暦日というのも国の支配者にとって重要な意味があったのではないかとも想像しています。重厚なご教示ありがとございます。
- Saturn5
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>季節と日付のずれだけが問題になるのでしょうか。 おっしゃる通りです。 >しかし前の年とのずれはごく微小でしょうから おっしゃるとおりで、1年で0.24日ずれます。 >農業などで不便を感じることもないように これは違います。 農作業は全て暦を元に行われます。 1年で0.24日のずれでも100年で24日のずれになります。 24日もずれた暦が農業に使える訳もありません。 また、春分や秋分などもずれていきます。 影響は農業だけではありません。 漁業や、年中行事、市民の生活のあらゆるところで不便が生じます。 >暦が発明される前から農業はあったはずです 確かにそうでしょう。 でも、生産効率を上げるために暦が作られたのです。 暦の無い農業などは機械や道具を使わない農業に等しいものです。 伊勢神宮がどうして日本人から特別の崇拝を受けているかご存じですか? それは、古くから暦(神宮歴)を作っていたからです。 江戸時代以前は日本人の85%以上が農家であり、その農業を司っていた のが伊勢神宮なのです。
お礼
丁寧にご説明いただいてありがとうございます。反論ではありませんが、日付と周期のことで少し補足欄に書かせていただきました。暦の起源に対してはお金の起源と同じくらい崇敬の念で考えています。
補足
農業に関しては気温の上昇などで作業が計画できると思いますが、日付を使わうことによってあらかじめその時期の到来を知っていないと困ることも多いのでしょうか。山腹の馬の形の積雪が消えたら何かを始めるというような、その時その時の対応ではまずいことがあるのでしょうか。農業に疎いものですから何も分かりません。ただナイル川の洪水などは予測できないと洪水の被害を避けられないのでとまずかったというのは理解できます。ただ予測というのは日付ではなく間隔で行えるはずでですか日付が異なっても周期さえ正確にとらえられれば予測が可能だと思います。
お礼
暦の話は大きな広がりを持っているものだと驚いています。ご教示改めて感謝いたします。