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子殺しについて
自分の子供を殺した人を悪人扱いする事はできない 第三者は子供を可哀想と思う(言う)事はできるけれど、親に対してこの人は悪いと言う事はできないと思う なんで第三者が出てきてこの人は死刑でもたりないと思う人がいるのでしょうか? 何かとてつもない違和感感じます 悪いかどうかは本人たちが判断する事で 第三者は、子供を可哀想と思ったり助けようとは出来ても 何の関係も無いその相手を罰を与えたいと言うのは違う気がします 何か違います では質問です この違和感はなんで感じるのでしょうか? 精神分析お願いします それと正しいかどうかも 9/23 DVに似ていますよね 当事者は暴力を振るう側を罰しようとする他人を必死に攻撃して加害者を守るのに 何故か第三者が怒り第三者が裁定する その癖に「被害者の怒り」と被害者気分で語る
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- ka28mi
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回答No.8
補足
子殺しは事故ですよ もしも明確に殺意があるなら殺す計画を立てます でも殺す計画を立てるならそもそも生まない 自分で生んだのに殺してしまうのは事故 だったら生まなければよかったになります それに、自動車において置いたら死んでしまったと言うのだって子殺しになります 食べ物を与えなかったら死んでしまったと言うのだって それがひどい罪になります さらに仮に殺意があったとしても自分で生んだ子供を殺すのは罪ではないと思います 「悲しい」ではあるけれど「罪」では無いと思います ただ悲しいとまではいえるけれど、罪があって罰を与えるなんていえない 子供から見たら僅かな時間だけでも生を与えてもらったのだからプラスになっているのです 友達からの虚脱感はあると思います それは事故で死んでも同じ事 大地震で死んでしまうのとどう違うのでしょうか? または生まれなかったらどう違うのでしょうか? 外の人は悲しいとしかいえないのです それだけの事で 裁いて善悪つける権利は無いと思いますよ