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死刑を求める事
不愉快な思いをさせる発言かもしれませんがご容赦ください。 被害者側の人が、加害者側に対して死刑の求刑を求める事が多いと思います。 仮に被害者が殺害された時など、加害者を死刑にしたところで 命が復活するわけでもなく、たんに目には目をで求めてるくらいにしか思えません。 自分がもし加害者の立場なら無期で長期拘束されるよりは死刑の方がありがたいです。 実際、死刑のほうを求める加害者もいると思います。 そう考えると死刑でサクっと終わらすよりも無期で長期拘束したほうが辛いと思うのですが、どう思いますか? 何年か前に全国ニュースでも報道された事件があったのですが、幼い頃からの大親友が殺害されました。 まわりは皆、「死刑にしろ!」とか「死刑じゃないとうかばれないよ」とか言ってましたが自分は 「殺されてしまったものは仕方ないし、死刑にしたところで何かスッキリするんかな?」と不思議でなりませんでした。 話を聞いた時は悲しみと同時に激しい怒りを感じましたが、こうなってしまった事は事実なので 「死んじゃったか」と思うと同時に犯人に対し「なんらかの形で罪を償わないとね」と思いましたが、 だからといって死刑にしろ!とは特に思いませんでした。 死刑を求める事は、罪を償わすというよりたんに少しでも自己満足するための復讐なんじゃないかと・・ 死刑制度について肯定や否定をするつもりはありません。 肯定するも否定するも、望むも望まないもひとそれぞれ自由ですから。 ただ、死刑を求める人が多く感じ、それが理解できないのでいろんな方の意見をお聞きしたいです。
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私は性善説的な考えに否定的なんですが、 日本には終身刑は存在しないので、無期懲役でも他の方の回答にもあるように、長くて20年程度で懲役は終わり一般生活を送ることができます。(といっても社会的制裁は生涯続くんでしょうけど)服役中は、常人の及びもつかぬ苦悩があるやも知れません。しかしそれは因果応報であり当然の報いでしょう。いずれにせよ服役が終われば一応一般人として普通の生活は保障されます。 そんなことを考えたとき、親族を殺された家族が何回忌かの法要を行い故人を偲び涙しているとき、その殺人を犯した当事者は、お茶の間でテレビを見て大爆笑なんてこともありえるわけです。この行為は法的に何の問題もないんで・・・・(道義的問題はあろうとも) あと思うのは、人には大なり小なり復讐心があります。親族を殺され復讐心を抱くのは当然の行為であり、なかなか消えるものではないと想像するに、復讐の対象を消滅させれば根源的に復讐心も消滅するといった考え方もありかなと。 復讐はなくなった遺族を行き返させる目的で行うわけではないので、 >「殺されてしまったものは仕方ないし、死刑にしたところで何かスッキリするんかな?」と不思議でなりませんでした。 の疑問解決の一助となるのかなと思いましたがいかがでしょう?
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- hirop0n
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自分がもし同じ立場で愛するものを残虐非道に殺されたら、死刑を望むでしょう。 それは加害者とその家族に対しての復讐心によるものだと思います。私はそんなに人間ができていませんので、加害者のみならず加害者の家族に対しても恨みの感情を抱くと思います。 加害者自身はもしかしたら「死」を望んでいるかもしれませんが、加害者の家族にとっては、いくら犯罪者とはいえ自分の家族の「死」は最大の苦痛でしょう。 質問者さんの言うとおり、自己満足に過ぎないかもしれませんが、私ならそういう感情になると思います。
お礼
ご意見ありがとうございます。 自らの手を下すわけではない限り、死で楽にさせず懲役などで一生苦しめ、と思ってたのですが 死によって恨みを晴らす、というのが大半の方の考えなんですね。 自己満足できる手段が死か、そうでないかという事なんだな、とわかりました。
- huka99
- ベストアンサー率15% (23/153)
私もニュースなどで、被害者のご遺族の方や街角インタビュー で『死刑で当然』のようなコメントを聞くと、 質問者様のように考えさせられます。 私は、高校の小論文のテーマで、『尊厳死』のことを 考えていたところ、『誰が人の命を絶つ権利を持っているのだろう』 という疑問が湧いてきて、死刑制度のことを考えるようになりました。 もちろん加害者に被害者を殺す権利など無いのは当然のことと いうのは納得できます。しかし、だからといって加害者 の命を絶つ権利をご遺族や、裁判所が持っているのか、 ということをニュースを見るたびに考えています。 自分のハッキリした答えは出ていませんが、 当然のように『死刑だ』などという言葉を聞くと、 非常に怖くなってきます。
お礼
ご意見ありがとうございます。 死刑制度に対して絶対賛成・絶対反対というスタンスではないですが、 被害者側の大半が「できれば死刑」ではなく「死刑のみ」をいつも望んでるように感じ、それが理解できませんでした。 仮に復讐をしたいのであれば、考えられる最大の苦痛であろうと思う事を望めばいいと思うのですが、 なぜそれが懲役ではなく死刑なのかが疑問でした。 しかし善悪は別として、死には死を!以外の色々な考えもあるという事を知ることができました。
- cliomaxi
- ベストアンサー率33% (2921/8736)
>死刑より懲役刑のほうがより長く辛いめにあう事になると思うので・・・ 逆にどうして懲役刑の方が辛いと思えるのかが不思議です。 他の回答にもあるように我々の税金を使って働くことなく三食昼寝付、多少の娯楽もありますし反省なんかするふりをすればいいだけです。 我々一般的大多数は罪の意識にさいなまれる事もあるでしょう。 しかし、僅かなしかも遊ぶための金欲しさ、一時的な快楽のために他人を殺める極悪人がそんな感情を持つと誰が断言出来ますか? そんな奴等を生かしておくための税金を本当に苦しんでいる人達(福祉でもいいです、ハンセン氏病のように理由なき差別を受けている人たちの救済のためでもいいです。)が少しでも穏やかな生活を送れるように使ってもらった方がいいです。
お礼
ご意見ありがとうございます。 犯罪者や被害者の方に税金を使う事に関しては嫌な事とも思いません。もっと被害者側にも使うべきとは思いますが・・ 仮に服役中がそこそこ快適かつ自由であったとしても、外よりは、やはり窮屈な自由だろうだと思ってます。 私ならそんな状態で10年20年と過ごすくらいならさっさと死刑にして解放してほしいと思うので、懲役の方が辛いと思いました。 罪の事を感じさせるには、苦痛を伴わす事が必要だと思ったので、私なら死刑より懲役を望むのになぁと思ってたのです。 しかし多くの人が死が最大の苦痛と考え、だから死のみを求めてるのか、とわかりました。
- tewpi
- ベストアンサー率36% (255/707)
自分の意見や考えと同じこともあれば違うこともあるが、幾度も「お!?」と思わせる回答者さんが何人かいますが、No32さんもそのひとりです。 今回も細かな点は異見もありますが、日ごろわたしが考えていたことを代弁してくれました。 自分がもし、被害者の遺族になったら、あまりにも酷い事件を見たら、やはり加害者を死刑にしたいと考えると思います。 また刑事政策上、私は死刑存置論者です。 しかし死刑を存置すべきという論点と、個々の事件について死刑を適用すべきかはやはり別論で考えるべきだと思います。 NO32さんの考えとダブルのですが、近来の世論における「被害者の立場に立って」論は、実は被害者の立場に立っているのではなく、自分を被害者の立場に「置き換え」ているだけだと思います。 誤解の無いように重ねて申しますが、もしも私が光市の本村さんや他の被害遺族の立場に立ったなら、やはり犯人の極刑を望むし、また本村さんの事件はやはり死刑もやむを得ないかなと考えています。 しかし、被害者遺族や社会の大多数が死刑を望むからといって、それが即、司法府の判断に影響を及ぼすという点には断固反対です。 それは司法府というのが、そもそも民主主義の原理を一定程度反映しつつも、やはり根本原理は自由主義・立憲主義・法の正義に基づいて運営されるべきであり、またもしそれが否定されるなら司法府の存在意義も無くなってしまうからです(簡単に言うと、裁判が不要となり国民投票で刑を決めれば良いと言う事になってしまうのです)。 またこれもNO32さんとダブルのですが、近年のなにかにつけ安易に「死刑」や「終身刑」による、犯罪者の社会からの隔離を認める風潮には非常な危険性を感じます。 自分にとって、害悪や嫌悪を覚えるものを、安易に排除するという考えが強く感じられます。 ちょうど、イジメを軽々に行う少年が、自分にとって不快な存在を軽々にハブったり、「死ねよ」と発言したりするような精神構造に近いものを感じてしまうのです。 ネットを見ていると、なにかにつけ「○○はマナー違反です」「○○は迷惑」と、社会環境やマナーという錦の御旗の下、ともかく不快なものを排除しようとする傾向を強く感じるのです。 健康被害や匂いなどの迷惑を錦の御旗に、親の敵のようにヒステリックに嫌煙権を主張する傾向にも同じものを感じます。 そう、元犯罪者もいれば、ろくでなしも居る。 マナーを知らない不届き者もいれば、障害者も、老人も、色々な人が混在するのが社会だと思うのです。 「水清ければ魚住まず」 万人が聖人君子のような社会には私は住みたくありません。 またそのような社会になっても、胸を張って生きられるほど、私は聖人君子ではありません。 追記ですが、人の死を奪ったら=自分の命で償うというのが当然とは思いません。 私がもし、運転中に人が飛び込んできてもその償いに死刑はイヤです。 たとえそれが(故意ではなく)自分に帰責あるうっかりミスだったとしても、死刑までされるのは勘弁してほしいです 同様に自分の家族が事故で死んだとしても、「ぶっ殺してやりたい」とは思いますが、死刑に「するべき」とは考えないです
お礼
ご意見ありがとうございます。 復讐心という観点からいくと、自らの手で死を与えるのなら私なら少しはすっきりできるかもしれません。 しかし、法によって他人の手で死を与える事にはなんの満足感も感じられず、むしろ求めたくありませんでした。 それは私にとって、長期拘束の方が死刑よりも苦痛を与えれると思ってたからです。 死刑を求める感情の中には最近の風潮も関係してるのかもしれませんね。 死刑を望む、ではなく死刑のみを求めるという気持ちが理解できなかったのですが、少しは理解できたと思ってます。
- linus1974
- ベストアンサー率19% (71/370)
まずいです。お礼がお礼になってないですよ。 アンケートの収集が目的であり、議論するところ ではないです。コメントを述べる程度 ならOKですが、さらに新たな自分の意見を言うと 議論とみなされて削除対象になります。 #私も削除されたことがあります。 これだけ回答がついた質問が削除される のはもったいないので、質問者さんは、 留意してください。 #このアドバイスは削除依頼に出していいです。
お礼
ご助言ありがとうございます。 自分が悪いのですが、ここまでややこしくなると思ってなかったのでうまくまとめられず お礼のつもりがつい余計な事も言ってしまってます。 キチンとできる自信はありませんが、以後気をつけます 死刑より無期懲役の方が絶対に辛いハズなのにと思ってたので、死刑のみ求める人の気持ちがわかりませんでしたが いろいろなご意見を伺えたおかげで、たんに死には死を!の復讐心だけではない事がわかり参考になりました。
- hiro0079
- ベストアンサー率35% (666/1860)
こんにちは 死刑を求めるのは、犯した罪の重さに対して 十分な罰を与える刑が日本に存在しないからと思っています。 日本では死刑の次に重いのは無期懲役ですが、 これは刑期が不定ということであって、決して無限ではないんです。 模範囚で過ごせば、10年や15年で仮出所できることもあります。 個人的には、加害者に罪の重さを認識させ、それを悔いらせるには 死刑で一瞬で楽にさせるのではなく、一生苦しみ続けさせる終身刑しかないと考えています。 実際、死刑が執行されても、運良く死ななかったら その瞬間刑に服したことになり、自由放免です。 それに対して終身刑は、一生檻の中です。 どちらが苦しいかは一目瞭然だと思います。
お礼
ご意見ありがとうございます。 復讐ではなく、罪を認識させ喰いらせる事が大事だと思います。 そのためにはやはり苦痛を感じさせる事が必要だと思うのです。 死=すぐに解放される・懲役=長期間苦痛、という考えがあったのでなぜすぐに楽にさせる死刑ばかり望むのか疑問でした。 しかし死=最大限の苦痛と考える人が大半なのですね 仰る通り、終身刑があればまた違うかもしれませんね
再度です。 このアンケートって、死刑反対の表明をするためのアンケートじゃないですよね。 他人の考えを、成熟してないとか言えないはずでは? リアルの世界でも、死刑反対の人がこういう言い方をなさることが多いですが、どうして人の感想まで裁くのでしょうか? ましてや、これって、アンケートですよね。 私が理解している質問の意図は、死刑に賛成する人の意図が分からないから、彼等がどう考えているかを知りたいってことで、賛否を問うことではないと理解してますが違うのですか? 前回の回答でもそのつもりで答えていて、私自身は、賛成か反対かは書いてないです。気持ちは分かるかといえば、気持ちは分かるので、その気持ちを説明しただけで、その気持ちの善悪を裁くのが目的ではないと思うんですが、質問者様の意図はどこにあるのか、もう一度、注意を喚起してもらえませんでしょうか? このままでは削除対象になると思います。
お礼
ご意見ありがとうございます。 私が文章としてうまくまとめられないので混乱させてるようです、すいません。 死刑についての賛否を問うつもりはまったくありません。 被害者側が死刑を求めるのは、罪を裁くのではなくやられたからやりかえすという復讐じゃないかと思ったんです。 それならば私が被害者側なら、死刑より懲役刑のほうがより長く辛いめにあう事になると思うので死刑よりは懲役刑を望むと思います。 なのに死刑を求める人が多いので、なぜ死刑を?と疑問に思ったので他の人の意見をお聞きしたかったのです。 今回もうまく言えなかったのでまた迷惑かけるかもしれません・・
- cliomaxi
- ベストアンサー率33% (2921/8736)
私は加害者に罪を償う事が供養になると云うのは頭では理解出来ても感情的には納得出来ないんです。 被害者遺族の「死刑にして欲しい」やその逆の「真面目に生きて欲しい、それが最大の供養。」のどちらもその時にマスコミが取り上げただけの事であって恐らく殆ど昔も今もどちらの意見もそんなに変わりは無いように思います。 逆に大多数の先進国は死刑制度を廃止しています。 昔は「死刑はあるもの」と言う認識だったのが「死刑制度を廃止出来るんだ」に変わったのですから逆に今の方が「死刑廃止」を訴える人が多くなっているのではと思います。 私は殺したのだから死を持って償えと言うのとは若干違います。 過失致死や不慮の事故でなく、計画的に、殺意が有って殺したのなら、そしてその時に命乞いをしたにも関わらずだったとしたら。 死そのものではなく「命を絶たれる絶望感」で償って欲しいと思うのです。 「生きるも地獄、死ぬも地獄」です。
お礼
ご意見ありがとうございます。 死には死をもって償え、というのがそもそも理解できなかったんです。 それが仮に復讐だとすると、死=最大の苦痛とは思えなかったからです。 しかし単純な復讐心のみでなく、その他いろいろな理由も死刑を求める中にはあるんだなと知りました。
- toruchan
- ベストアンサー率30% (402/1320)
私も質問者さまに同意です。 ある意味、死ぬより生きているほうが辛いと思います。 ましてや、塀の中に入ったら死んだほうがマシという感情があっても当然です。 今回も気になったのですが、「人を殺せば死刑!」という回答が多いのが非常に気になります。 まだ、日本という国は成熟していないのでしょうね。 そして、達観視するほど人生を生きてないのかもしれません。 復讐をしたい被害者家族の感情も当然です。でも、「泥棒にも三分の利」があるのです。 その「三分の利」の部分を平気で切り捨てられる今の日本人の感情がおかしいとは思います。
お礼
ご意見ありがとうございます。 ご意見くださった方の中にも死刑より懲役のほうが辛いんじゃないか?と思う方がおられますね。 私だけが変な考え方なのか?と思ってたので少し安心しました。 単純に復讐心だけではなく、罪の深さをわからせるなどの意味で極刑(死刑)を求める人もおり、 それが私にとっては、長期拘束が最大の苦痛と感じてますが、 死刑を求める人からすると、その最大の苦痛が死刑だという事なんですね
死刑の賛否については既に何度か回答したので迷いましたが・・・若干、ニュアンスが異なる質問なので、回答することにしました。死刑制度の是非ではなく、死刑を「求める人」について、ということで。 「人の命を奪ったのだから、自分の命をもって償うしかない」 これは、死刑を求める人がよく口にする言葉です。この言葉が、どうも引っかかってならないのですね。それはつまり、「人を死なせたらすべて死刑にすべき」といっていることにならないだろうか?と感じてしまうからです。 何人もの命を奪った凶悪犯も、かっとなって勢いで殺してしまった人間も、車で人を轢いて死なせた人も、不可抗力な事故で人を死なせた人間も、「人を死なせた」という点ではすべて同じです。が、当たり前ですがこれらすべて死刑になるわけではありません。 よく「死刑に反対する人間は、加害者の人権ばかり考えて、被害者遺族の気持ちを考えていない」といわれますが、そうでしょうか? では、「死刑にしろ」という人は、被害者遺族の気持ちを考えてるんでしょうか? 私にはそうは思えません。ただ単に、考えた「つもりになってる」だけのように思えます。 私には娘がいます。娘が死んだら、相手を殺してやろうと思うでしょう。が、それは「相手が凶悪犯だったら」「相手が普通の殺人犯だったら」「相手が車を運転して娘を引いてしまったら」「相手が全くの不注意で結果娘を死なせてしまったら」ということで変わるものではないでしょう。どんな状況であれ、決して相手を許さないでしょう。 だからこそ、凶悪な事件「だけ」死刑を求めるのに「遺族の感情」を持ち出す人を私は信用できません。凶悪であろうがなかろうが、相手を殺してやりたいという点では変わらないと思うのです。 また、「大切な人を殺されたなら誰もが死刑を求めるのが当然だ」という風潮にも疑問があります。 もし、自分の娘が殺されたら、相手を殺したいほどに憎むでしょう。が、だからといって「死刑にしろ」とは思わないような気がします。私の場合、逆に「そう簡単に死なせるものか」と思う気がします。 それは、死が場合によっては救済となってしまうということもありますし、生きているほうが苦しいといった見方もありますが、「そのまま何の反省もなく後悔もなく殺してしまったら娘にあわせる顔がない」という感じがきっと強いだろうと思うのですね。どんなことをしても、相手が心から「すまなかった、許してください」と思うようにならなければ、殺された娘は絶対に浮かばれないだろう、そういう確信があるのです。 それに、もし死刑にしたなら、おそらくそのときは溜飲が下がるのかもしれません。が、しかし死刑になった時点で私の人生が終わるわけではないのです。その先もずっと生きていかなければいけない。それを考えたとき、「娘を殺した犯人を死刑にして復讐してやった」ということは、おそらくは時間とともに自分の中で消しようのない汚点となって沈殿していくように思います。きっと自分が死ぬとき、そのことを後悔するだろうと思うのです。 最近は、被害者遺族がメディアなどに訴えて「死刑にすべきだ」と発言することが多くなってきました。場合によっては、殺人ではなく悪質なドライバーによる交通事故などでも「相手を死刑にして欲しい」と訴える人などもでてくるようになってきました。数年後には薬害訴訟などで「企業と国の責任者を死刑にしろ」と訴える人もでてくるかもしれません。今の風潮を考えると、ありえないことではない気がします。 私が子供の頃にも凶悪事件はありました。が、被害者遺族が会見などで「死刑にして欲しい」といっているのは見た記憶がありません。「心から反省して罪を償って欲しい、それが○○への一番の供養だと思う」というような発言が多かったような気がします。 大切な人間が殺されたら、誰もが当然のように死刑を求めるわけではないのです。昔は、「殺した相手が罪を償い、再び社会に戻って真人間になって更生することこそが亡くなったものへの一番の供養だ」といった考えの人が多かったように思います。遺族であっても、です。死んだものはどうやっても帰ってこない、死ねばおしまいなのだ、そのことを感覚的にわかっていたように思えます。 今は、人間の死が身近ではなくなりました。本当の「死」を知らず、ゲームやドラマなどの中での「死」しか知らない人が多くなったような気がします。だからこそ、安易に「死」を求めるようになってきた、というのは穿ちすぎた見方でしょうか。私は、簡単に人間の「死」を求める人間の「被害者の気持ちを考えろ」という言葉にどれほど中身があるのかとても疑問を感じます。私たちは、人間の「死」というものを本当にどこまでわかっているのでしょう。被害者の「死」も、そして加害者の「死」も、実は本当のところなどまったくわからないままに安易に死を求めているだけなんじゃないでしょうか。 そしてもう1つ。昔は「世の中というのは、いい人もいれば、悪い人間も、罪を犯して刑務所から出てきた人間もいるんだ、それが当たり前なんだ」という感覚だったような気がするのです。それが、今は「社会には悪い人間や罪を犯した人間はいらない、そうした人間が一人もいないのがいい世の中だ」ととらえる人が多くなって気がします。「死刑にしろ」という声の向こうには、「そいつを二度と社会に戻すな」という声が潜んでいるように感じるのです。 自分の町内に会社の社長さんも住んでいればサラリーマンもいる。喧嘩で相手を殺して刑務所から帰ってきた人もいれば、精神病院に通院している人もいるし、目が見えない人もしゃべれない人もいる。私はそれが「普通の世の中」だと思います。町内には、犯罪者も障害者も精神病患者も老人も一人もいない。なぜなら、すべて排除したから。――そんな世の中、私はごめんです。それより、隣に元殺人者が住んでいるほうがナンボかマシです。
お礼
ご意見ありがとうございます 仰られてる事、ほとんど同じ事を思ってました。 ただ、文才がないのでうまく質問をまとめれませんでしたが・・ 特に今回は、私はすべてにおいて死刑の方が苦しいとは思えなかったので、 なぜ多くの被害者側の人がさも当然かのごとく死刑のみを求めるのかが謎でした。 恨む気持ちは理解できますが、あくまで法で裁くものであり仕返しなんかではなく、 いい悪いは別にしてどうせ復讐なんだったら死よりも長期拘束の方が辛いんじゃないかと思ってました。 しかし今後の人生の事を考えると死刑になってくれたほうがいい、という考えもあって死刑を望む人も多いという事をしりました。
お礼
ご意見ありがとうございます。 復讐の対象を消滅・・・←こういう考えもあるのか!と思いました。 やられたからやりかえすというたんなる復讐心のみで皆死刑判決を求めてるだけとしか考えたことありませんでした。 なぜ被害者側は無期ではなく死刑しか求めないのか不思議でした。