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日本人の「絆」感覚について

先日、東北地方の放射能に無関係な震災廃材処理で北九州市に廃材が搬入されて反対者が又騒いでいるとのニュースがありました。 公共の利益と個人の利害が衝突しての問題だと思うのですが、例えば災害の際障害になる狭い道路を拡幅しようとしても立ち退かない家が一軒あって拡幅工事が一向に進まないと言った所もあります。 公共のなると判っていても、さて我が身の問題となると公共の利益は後回しに日本人はなるようです。 東北の震災では絆と称して助け合いが言われましたが、北九市の様に震災廃材処理では絆は見られませんね。 貴方は北九市のように絆に反する人達をどの様に思いでしょうか。 お考えをお聞かせ願います。

みんなの回答

  • Microstar
  • ベストアンサー率21% (289/1367)
回答No.4

都合のいい時だけ絆を持ち上げる感覚でしょうね。 都合の悪い内容になると、他のところへ押し付けあうのが日本人の悪い癖です。 つまり、責任を取りたがらないのですし、挙げた手をどうやって下すか難しくなるのです。

回答No.3

原発問題で客観的なデータはナインも発表されていません。 情報の殆どは誤魔化されています。だからこそ、無関係と要っても信用されないのです。 有りもしない「絆」という美辞麗句で立証責任を誤魔化すのは、卑怯と言えます。 質問者の言う絆感覚は、韓流ごり押しと同じです。

回答No.2

北九州市民はそういう人たちなので仕方ない 人が死んでも当然と言う顔で過ごしている しかし北九州だけに言えることではないが 絆 は偽善だと思いますが

  • eextu9
  • ベストアンサー率9% (13/136)
回答No.1

>北九市のように絆に反する人達をどの様に思いでしょうか。 放射性物質に汚染された物は拡散させないというのが世界的な人の絆ですよ^^♪♪♪ この日本では、世界の人々との絆を無視するかのような愚かな行為がまかり通っているようです。 質問者さんも「絆」を日本という狭い視野で判断せずに、もっと広い視野をもって世界を見ることが出来ればいいですね♪♪♪

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