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性同一性障害の当事者が普通に生きるには
Net上で顔が見えないとはいえ、これまでの質問に真摯に答えてくださり本当に有難うございます。感謝いたしております。 私自身性同一性障害の当事者です。前述したように性の再判定手術(SRS)は絶対受けたいと思っています。 ただ世間には強い偏見があることは事実です。たとえばSRSにしても性的関係をもつために行うというとんでもない誤解偏見があるのも事実ですし現にタブロイド紙ではSRSのみに注目した変な報道があります。 個人差はありますが、実際には女性ホルモンの長期にわたる投与で当事者自身性的な関心は希薄になるのが普通です。ただ体から嫌で攻撃的な♂を除去したく本来に戻りたいのがより真実と思われますし、私自身その考えです(女性に♂があるのはおかしいので)。 当事者自身、女性として普通に一生懸命生きたい。別にGIDとか意識せず普通に女性として生きたい。ただそれだけなのです。女性の格好をするのが自然だからするだけなんです。人に危害など絶対加えたくありません。 しかし社会はどうしても好奇の目で見たがります。偏見をもつのはしかたないにしてもひどすぎる場合も多々ありますし就職は厳しいものがあります。当事者側にも責任がないとはいえません。しかしもうすこし社会も理解をしめしてくれても良いのではと思います。いったいどうすれば社会が理解してくれるのでしょうか。私自身も主張するだけではだめだと思いますし、そのためにも一生懸命努力したいと思っています。 質問になってはいないかもしれませんが、ご意見当を含め教えていただけると有りがたく存じます。たびたびこのような長い文章で申し訳ございません。宜しくお願いいたします。
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性同一性障害の人が実際どんな人であるか全くわかりませんが、一つだけたしかなのは、性同一性障害者の人は少数派だということです。さらに、手術までうけて性転換を行うまでする人はもっと少なくなるでしょう。 偏見は差別は無知からくる恐怖からくるものだと思います。人はだれでも意識、無意識のうちに相手を判断基準のあるカテゴリーにあてはめた後に個人を判断していく、という行為をしていると思います。簡単な例でいえば、男性は理系に強く、女性は文系に強いとか、関西の人は笑いが好きとか、寒い地方の人は内向的とか。もちろん理系に強い女性だっていますし、寒い地方出身の外交的な人もいますね。でも、それは個人としての性格としてみたりするわけです。 さて、そのようにして人を判断して生きている中で、いきなり今までに出会ったことも聞いたこともないカテゴリーの人が登場してきたとします。どう相手を判断したらいいのか、どう扱ったらいいのか、相手はどのような行動をするのか、反応をするのか。わからないから恐怖を感じるのです。恐怖を感じるから避けようとするのです。 黒船が到着して外国人がやってきたときに、ほとんどの日本人は恐怖を感じたろう、と思います。今、宇宙船がやってきて、中から宇宙人がでてきたら、恐怖でパニックをおこしますよね。 今、北米に住んでいますが、日本人は少数派になります。いわれもない差別をうけることもあります。でも、そのような差別をする人は、日本人に出会ったことのない人か、たまたま会った日本人にいやな目にあった経験がある、という人です。以前は相手の警戒心にいちいち傷ついていましたが、今では気づいていながら気づかぬふりをして、普通にたんたんと生活しています。そうすると、『なんだ、普通なんじゃない。』とわかってもらえ、個人レベルでうちとけられる人が少しづつできてきます。 社会が理解を示すようになるには、少数派の人がまず表にでて、普通にしているしかありません。多くの人が本来の姿を見る機会が増えることによって、偏見、差別が減っていくのものだと思います。タブロイド誌がおもしろおかしく書き立てるのは、そうして雑誌の売上をのばすためにしかすぎません。無視しましょう。これで激情してしまうと、『性同一性障害』の人は激情しやすい、とかいわれてしまうのです。少数派ゆえ、一つだけの事件でさえ、そのカテゴリーにレッテルを貼ってしまいうる、ということも理解しておくといいと思います。 自分で正しいと思っていることを、たんたんとこなして生きていけばいいのだと思います。理解できる人は理解してくれるし、理解できない人はそのままです。つつみかくさず、少数派として生きるのは大変でしょうし、多数派のふりをして生きていくのもつらいでしょう。これはまったくのあなたのチョイスです。自分にとって正しいと思うことを選んでください。
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- yow
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いつも誠実な返事をありがとうございます。ほんとにしつこくて申し訳ないのですか、また何点かコメントしたくて書き込ませていただきます。 『男とセックスがしたくて性転換をする。』『売春、ポルノまがいのことを目的として、、』、、、そういう人がいたとしても、別に悪いことではないな、と思えてきました。セックス好き、、、別に大人である相手との了承のもとであるのであれば、なんの問題もないでしょう。スポーツ観戦が好き、庭いじりがすき、動物がすき、、、、おなじレベルで考えられるような気がします。(ちなみに私は庭いじりがきらいです。『一度やってみたら絶対楽しいから!』といって、無理やりやらされることの苦痛ときたら。。。)でも、なぜ、セックスを好きだと誤解されると傷つくのか、を考えてみました。自分のなんともおもっていない人にせまられる苦痛ですね。ん?どこかで似たようなことをききますね。セクハラ。これは完全に男性が悪者にしたてあげられていますが、『女』を武器に学校では単位をとる、クライアントから仕事をもらい、上司にかわいがられる、、、そういう人が存在するからこそ、誤解した男性が女性に対しセクハラをするのです。男性側にも被害がおこるときもあります。『男はみんな痴漢だ』と、満員電車でたまたま手が、かばんがどこぞをさわったと、なにもしてない男性が責められることもあります。これも痴漢をする男性がいるからこそ、無実の男性も疑われるわけです。そこで私の行き着いた結論は、どこの『性』に属していても、それにかかわる誤解は起きる、と。だから何、というわけではなく、私の今日の発見です。 もう一つ、『生殖器そのものを変える手術ですから倫理的な問題も含んでいます』という一般論としては認識できますが、どうして倫理的に引っかかるのかな、とつっこんで考えてみたくなりました。『生』または『生殖』にかかわる部分を人工的に操作するのがいけない、というのであれば、不妊治療だって、人工授精だって、避妊だって、帝王切開だって、中絶(これだけは書かずにきれいごとにすませたいところが本音ですが、ここまでずばずば書いといてそれはいけないですね。)だって『人工的な生殖に対する操作』ですよね。でも、ほかのものと比べれば性転換の手術は新しい命のかかわりからはるかに遠いところにあります。そういう論点からいえば、性転換手術はそれほど倫理からそれていない、といえませんか? では、『うまれもってきたものを人工的に変えるなんて!』という論点でみてみたら、今度は化粧だって髪を染める、パーマをかける、ピアスにタトゥー、だんだん市民権を得てきた整形手術だってひっかかってきますよね。 私はわからなくなってきました。じゃあ、なにをもって世間はごちゃごちゃいってくるのだろうって。 高校のとき、同級生に二重の手術をして、陰口をたたかれた人がいました。でも、彼女はすごくきれいになりましたね。それは二重になったからじゃなくって、それをきっかけに明るくなって、自信ができたからです。もうきっとあなたはわかっていると思うのですが、性転換の手術が解決になるわけではないですよ。それは問題解決の道具でしかないです。私は手術をするな、といっているのではないですよ。しろともいってませんが。でも、問題解決は、幸せっていうのは、自分の中にある、というのを忘れないでいてほしいのです。 もう一つ。昔沖縄にあそびにいって、ナイトクラブにいったら、もともとは男性であるものすごくきれいな女性(性転換しているのか、女装なのか、その変はわかりませんでしたが)の二人組みがいました。年は20代中ごろでしょうか。でも、彼女たちの立ち居振舞いはまるで高校生の女の子のようでした。 あなたが今おいくつであるのか知りませんし、今、『女性』として生活しているのか、そしてどれくらいの期間そうしているのかもしりませんが、ある年代まで男として生きている以上、ある種の女としての身を守る知恵を学ばずにきている、ということです。簡単なところでは、こちらに気がある変な男を感知する知恵、や、それを相手を逆上させずにかわす知恵でしょうか。愛情からくるいたずらと、下心からくるいたずらをみきわめる知恵というのもありますね。 何だかとりとめがなくなってきました。私も最後は『性』ではなく、『人間性』だと思います。性、国籍、家族、体、病気、云々、、、は料理の材料。できあがった食事が人間性、、、。
お礼
Yowさん、有り難うございます。これはあくまで私の考えです。 愛情があってsexの関係が成り立つと思うのです。大人の相手としても、sexだけの関係に人は耽ることが出来るでしょうか。空しさしか残らないと思います。sexを否定しているわけではありません。でもpartnerとの心のふれあいや暖かさがないと人は生きてゆけないのではないでしょうか。sexはそれだけを切り離して考えることなど人には絶対出来ないのです。愛情なしでsexだけやると人の心は絶対すさみます。肉体的快楽といっても瞬時に消え去ります。そうなると人と人との関係ではないと思うのです。人と物との関係ですよね(これがレイプや忌まわしい性犯罪に繋がると思うのです)。 倫理にひかかるのは生殖に関連しているからです。生殖器は生殖と結びついているから。その点で論議を巻き起こすのだと思います。 性の再判定手術は最終調整程度でありyowさんの言われるとおり「問題解決の道具」と私は思います。前にも申しました様に女性で♂があったらおかしいだけですし強い嫌悪感の元だからです。手術は一つのstepです。 「問題解決は、幸せっていうのは、自分の中にある、というのを忘れないでいてほしいのです」そのとおりと思います。これまでの男性の時の生き方と連続しています。たとえば男性の時辛いことに弱音を吐いたら女性になっても変わりませんし、男性のとき人に優しければ女性になっても優しくなると思います。手術を受け性器や外観は変わっても内容は変わらないと私は思います。性に関係なく自分からは逃げられないのだから。これが厳しい現実です。だから人間としてどう生きるかです。嫌なこと辛いことに耐えて努力できるか。自分だけでなく周囲を幸せに出来るかなど人間として生きる資質が厳しく問われていると思います。身の締まる思いです。 しかし、私はこの障害のお陰で多くのことを学べた気がします。男性が女性になることは多くのことを失います。自分の地位や名誉などこれまでのものを捨てないといけません。当然馬鹿にされます。また女性ホルモンの影響で男性の時のような力はありません。だから本当に怖いと感じることもありますよ。最後に残るのは裸の自分自身です。素直な自分自身を見いだせ、私はある意味幸せと思っています。 でも、普通に生まれ自己の性に嫌悪感もなく生活できれば、それが絶対幸せと思います。
補足
これも私見で恐縮ですが、 性同一性障害は、ある時期「自分はどう生きるのか」という厳しい問いを突きつけて来るときがあります。 女装してうっとり恍惚感にしたることとは、ほど遠い世界です。厳しい問いかけを自己にしないといけません。 精神科医の先生もあくまで補助です。自分の人生は自分で責任をもって生きないといけません。泣き言など言っておれない。本当に厳しく孤独な側面があるのは事実です。 そして死ぬほど辛い細い細い道を通らされることも場合によってはあります。(勿論人によります) 本当に「生きる」ということはどういうことか真剣にそして己に素直に問いかけをしないといけません。 私自身本当に真剣を喉元に突きつけられるような思いも何度もしたことがあります。でもこれしか道がないのです。 そして本当にこんな思いは自分ひとりで沢山だと思います。
- girigiritak
- ベストアンサー率18% (33/178)
こんにちは。僕もGID当事者です。FTMです。 >女性に♂があるのはおかしいので そうですね。僕も男なのに♂がないのはおかしいと思うので、♂に似せたものを仕込んだりします。出来ればつけたいと思います。 >しかし社会はどうしても好奇の目で見たがります。 そうですね。苦しいことです。何につけてもメディアというのは興味本位に他人のプライベートに踏み込んだり、面白おかしく取り上げています。まったく卑しいですね。腹立たしいです。 しかし、かく言う僕もかつては女装や男性同性愛者を「おかまー」と笑っていた事があります。今考えれば僕だってその逆なだけで、同じような立ち場なんですよね。今はもう、GIDの人をはじめ同性愛者や性嗜好の変わった人も受け入れ、むしろそういうクイアな(変態っぽい)人じゃないとつまらないとさえ思うようになりました。 同じGID当事者同士ではあっても、FTMである僕はMTFであるbluebellさんの事はやはりよくは分かりません。ただでさえそうなのだから、非当事者から見れば益々不可解でしょう。仕方のない事です。 まあ、前向きに生きようではありませんか。
お礼
girigiritakさん、ひさしぶりですね。 私は思うのです。おそらくgirigiritakさんも同じかと思います。 GID当事者は皆好きでなっているわけではないんですね。皆、普通に生まれて普通に生きれればそれに越したことはないと。男が女になりたいなど、普通のセンスで眺めれば、常軌を逸していると思うのが当然です。 私も当初死ぬほど苦しみました。何故自分が。自分の生を呪ったこともあります。絶対にそのような自分を認めたくなかった。普通に生きたいと何度も思いました。でも絶対出来ない。強い何かがそうさせるのです。そして諦めました。 私は思うのです。社会に「だからどうした。悪いか」と居直るか。それとも社会に説明して理解してもらうか。この二つしか道はないように思えるのです。 私自身本当に微力です。でもなんとか社会に理解してもらいたいと思っています。そのためにはこちらも努力しないといけないと思うのです。 お互いに頑張りましょうね。
- yow
- ベストアンサー率23% (181/782)
また私です。すみません、しつこくて。 まず、最初に断っておきますが、私はあなたを批判するつもりは少しもありませんが、これから書くことが、誰かから反感を買うかもしれないことを承知で、すこし書かせてもらいます。あくまでも、ある側面について認識してもらいたいとおもって、ふたをしてある汚いもののふたをとらせてもらいます。 差別をうけているものの少数派の構造として、お互いの足をひっぱる、というのがあります。これは私の体験として感じたことなのですが、たとえば学歴社会。実は学歴の一番上のほうにいる人たちは、人を判断するときに学歴の高い、低いを基準にしません。学歴の低い人は、さらに学歴の人をばかにする傾向があります。女性の少ない会社では、女性の見方となるのは女性ですが、敵となるのも女性です。繰り返しになりますが、今北米にすんでいて、自分が日本人でいることにより、差別をうけることがあります。でも、一番日本人に対して厳しいのは日本人です。(私は国際結婚ですが、そのことについて陰口をたたくのは、ここにすんでいる日本人です。) あなたの書き込みの中で『ただ問題なのは売春やポルノまがいの目的でのSRSです。』とありましたが、よく考えてみてください。性転換の手術は高額な費用がかかります。体にもどれほど負担がかかり、リスクがともなうものかわかりません。売春やポルノまがいなことがしたいがために、誰が手術をするでしょうか?売春やポルノまがいのものがそれほどのリスクをともなってもあまりあるほどのお金になるともおもえません。 もう一つ、『女』という性であるということは、生きる最後の手段として、歴史をみてみても、現在をみてみても、だれでも体を売る、という手段がある、ということです。あなたもいっているように、就職がむずかしい、だれからもうけいれてもらえない、、、といったところの最後の手段として、そこに行き着いてしまった人たちなのではないでしょうか。 性同一性障害の当事者であるあなたが、まずそういう人たちを理解し、弁解してあげないで、だれができるのでしょうか。 誤解しないでくださいね。私はあなたにがんばってほしいとおもっているのです。
お礼
Yowさん、どうか気になされないで。貴重なご意見ですし真摯な意見交換は大切と私は思います。Yowさんがこの問題を真剣に考えられている心が嬉しいですよ。 まず私の発言の背景を述べたいと思います。私は以前net上で「性転換手術を受けたいやつは男とsexをしたいからだ」という発言があってすごく傷ついた経験があります。絶対違うのに…。それから私はsexが絡んだことに身構えるようになりましたし、生殖器そのものを変える手術ですから倫理的な問題も含んでいますのでかなり慎重になってしまいます。あの発言にはそのような背景があったものとご理解下さい。 勿論、前述しましたように心が女性の方に男性の恋人がおられ、その方のためにも手術をすることは、自然と思いますし問題はありません(身体を心に合わせるだけですから)。 しかしyowさんの指摘されているように、手術後に種種の理由で経済的に追いつめられてポルノや売春に走る人もいるかもしれません。私はその様な人を断罪しようとは思いません。私だっていつそうなるかもしれないのです。同じ仲間ですし同じ土俵に立っているのです。自分たちも共に泥をかぶっても向上する方へ向かうしかないと思います。 ただこのようなきれい事net上で言うことは容易なことです。しかし行うのは本当に辛い厳しい大変な道だと思います。それに備え自分も努力が必要と痛感しています。 最終的にはその人の「性」ではなく「人間性」と私は信じます。「私は何とか女性として生活できた。あとは関係ない」この図式は性同一性障害だけに限りません。人間としての問題ですよね。そうなると性同一性障害など関係なく、「あなたが人としてどう生きるのか」ということを根元的に問われているような気がします。 その人の性がどうなのかではなく、人間性がどうなのか。それだけに帰着するのではないでしょうか。そして私は人間として未熟でまだまだ努力が足りないと思っています。 私自身の経験で恐縮ですが、性同一性障害は厳しく辛く大変な側面があります。でも本当に大変だけど自分のidentityであり運命だからと思っています。選択肢などありません。私も何度も自問したことがあります。しかしそのたび毎に「これでいい」という答えが心奥から返ってきます。こうなったのも自分の意図を越えた何かがあるような気がします。そしてその中で真剣に努力するしかないのかもしれませんね。
- yow
- ベストアンサー率23% (181/782)
北米にすんでいるせいか、主人のしつこい性格に影響されたのか、疑問をもったらとことん追及したくなるもので、また書き込みさせていただきます。 >それだけがデフォルメされることが嫌なのです。 わかります。そして、タブロイド誌などは、わざとおもしろおかしくデフォルメしていることは、ひどいと思います。が、一つの意見としてきいてください。そこで、『性行為がしたくて手術をするんじゃない!』と反論するよりは、『それがたとえそうであったとしても、なにが悪いの?好きな人と結ばれたいと思うことは自然なことではないの?』と返してしまうのはどうでしょう。いじめっ子は、いじめられっ子が泣くから、怒るからいじめるのです。 もう一つ、就職のことですが、これも北米に住んでいるため、主張をするくせがついてしまったための提案なのですが、性同一性障害であるということをかえって、自分の利点として主張してしまうのはどうでしょう。 企業としては社会に貢献なんだよりも、やはり企業の利益を求めます。そして、人を採用する際には、企業に利益を与える人がいいわけです。職種にもよりますが、一般的に男性より女性のほうが不利といわれています。それは、女性は出産、育児があるからです。もちろん、一生キャリアを目指す人もいますし、子供を産まない選択をする人、子どもができない人、いろいろいますが、女性である、というだけで、もしかしたら、出産をするという選択をする人かもしれない、ということになりますね。でも、はじめからあなたにはその選択はないわけです。ですから、企業としては、あなたを雇うということには、せっかく仕事をおぼえてつかえるようになったときに出産で休んでしまうというリスクがないわけです。 以前、日本の会社で働いていましたが、人事担当の人が『入社試験などで優秀な人だけを選ぼうとすると女性ばっかりになってしまう。でも、そんなことはできないからなあ。。。』とこぼしていたのをききました。当時、20代前半のバリバリのキャリア志向の私には、その意味がわかりませんでした。優秀だったら採用すればいいのに、と。でも、子供をもっている今ではよくわかります。小さな子供をもってバリバリキャリアで活躍している人は、育児をバックアップしてくれる人がいる人しかいないと思います。 ということで、性同一性障害である私を雇うことは、かえって企業にとってプラスでる、と主張できれば、頭のいい人事担当の人、あるいは社長さんは、『こいつは問題解決能力があって、機転がきいて、前向きで、なかなかタフなやつだ。(企業が求めているのはそういう人材です。)とりあえずチャンスをあげて、様子をみてみよう。』となるはずです。そこからは努力、実力次第です。 あなたがあなたである、ということにはなんのひけめを感じて生きることはないと思います。あなたがあなたであることによってしかできないことが、何かあるはずです。とにかく、自分であることに自身をもって生きてくださいね。 もし、私の発言でなにか不適切だったり、気にさわる部分があったのであれば、指摘していただければ、と思います。それも理解へのプロセスだと思いますので。
お礼
yowさん mail有り難うございます。この問題に関心を持っていただけること嬉しく思います。 わたしはyowさんのmailを頂いて考えました。私自身はgooのところで述べていますように、「男としての性」が本当に嫌いです。それが性同一性障害の核になっており、反対の性で生きたいと思っています。そのため手術へ向けての準備を考えています。ただ手術をうけても、恋愛についてはほとんど考えていませんし、ただ女性として日々を幸せに充実して送れればいいと思っています。だからsexualityの事に関して直接yowさんの伺われることに答えられないのですが…。心が女性で愛する男性の方がいてその方のためにも手術を受けられるのはいいことではないかと思います。ただ問題なのは報道する側でしょうね。報道がどうされるかです。だから当事者の問題を離れているといえば離れているのですが…。 ただ、心が女性の方が愛する男性を持ち、その方のためにも手術を受けるというのは自然でしょうし公言しても今なら許されるような気がしますし、報道も好意的にやってくれるのではでしょうか。その様な環境は日本でも整いつつあります。当事者でもいろいろな方がいますしその方々が一番幸せになる方法がbestと私は思います。ただ問題なのは売春やポルノまがいの目的でのSRSです。それは絶対止めて欲しいと思っています。 就職の研、心強いアドバイス有り難うございます。仰るように手術で変えても基本的には外形のみですので当然当事者には生殖能力はありません。それは働く上である意味meritかもしれません。上司や会社の幹部の方に訴えられる点ですね。 性ではなく人柄や能力を見て欲しいと思います。そのためにもこちらも甘える姿勢など待たず自己研鑽に励むしかないと思っています。そうやって一生懸命努力すれば必ず理解してくれる方が現れるのではないでしょうか。大切なのは本人の「性」とかではなく、人となりや誠実さと思います。私自身この障害を持っていると本当にそう感じます。 舌足らずのところがあったり、答えになっていないところがあったらお許し下さい。
- yow
- ベストアンサー率23% (181/782)
再び回答させていただきます。 性同一性障害であるあなたが、普通に生活できるようになるためには、まわりからの理解が必要が必要ですが、そのためには、あなたがかなりずぶとくなる必要があると思います。 今までの回答も読ませていただきましたが、みなさん、とても言葉を選んで、選んで、あなたを傷つけないように書いています。私もそうですが。もしかしたら、こんなことを言ったら傷ついてしまうかも、もしかしたらこれは聞いてはいけないのかも、と気にかけてもらいながら生きていては、ある一線からこえられないような気がします。 簡単な例でいけば、車椅子の人にむかって、『どうして車椅子に乗っているの?』となかなかきけません。相手の気持ちを考慮してのことではありますけど。 おそらく、性同一性障害として生きていく中で、好奇心から、または悪意から質問がくることがあるでしょう。それに傷つかずにあっけらかんと答えるようにしていく、というつみかさねで、理解が増えるような気がします。 ということで、質問してもいいですか?もし、気にさわったのでしたら、答えなくても結構です。 私は女ですが、もちろんレズビアンの人もいますし、男性嫌いの女性もいますが、マジョリティの女性は、男性にひかれ、恋愛し、恋愛の延長で、その男性と性関係をもちたいとおもうようになっていきます。あなたの文章からすると、全くの男性嫌いなふうにもとれますが、恋愛感情をもつとすれば、どのようになってくるのでしょうか。それは性同一性障害の人に共通することなのでしょうか? あなたの文章の中で、『性同一性障害の人が性行為をするために性転換手術をする、と思われているけれど、それは違う』というようなことがかかれていますが、もし心が女性である性同一性障害の人が、こころから愛せる男性があらわれた場合に、その男性と自然な男女の形で性行為を行いたい、と思って手術をうける、ということがあってもいいと思うのですが。
お礼
Yowさん 再度mailを出していただき本当に有難うございます。 仰ることごもっともです。このようなアドバイスを送ってくださるYowさんのお気持ちよくわかりますよ、図太さが必要とのご指摘。本当に必要と思います。現実はかなり厳しいものが存在します。「心は女性です。でも傷つけられるのが怖いです」などといってはおれません。私自身絶壁の岩肌を登るようなものと思います。でもそれしか生きる道がないのです。おそらく人に冷笑されるし相手にもされないかもしれません。給料だって下がるかもしれないのです。暴行だってうけるかもしれないし。辛くて涙をながすこともあると思います。しかもSRSを受けたら後へは戻れない。本当に厳しく辛いものがあると思います。でもその中を一生懸命生きていけば必ず周囲が理解してくれると信じています。それしか生きる道はないと思います。私自身もう人間を超えた存在を信じないとやっていけないと今思っています。 Sexualityに関するご質問ですが、私自身あんまり性的なことに関心はありません。手術は受けても男性には関心はいかないと思います。だからといってレズビアンになろうとも思いません。Platonicな感情は抱くかもしれませんがそれほど関心が向かないと思います。ただこれには個人差があります。当事者間でも大きく分かれます。男性に向く人や女性に向く人,性的に不活性な人など多様多種です。 Yowさんの言われるように心が女性でSRSをうけ好きな男性と結ばれる人もいるかもしれません。それはそれでかまわないのですが、それだけがデフォルメされることが嫌なのです。SRS自体も変な誤解を与えてしまうし性同一性障害についても誤解偏見を与える可能性があります。そうなると当事者自身本当に苦しい立場に追いやられます。そのような面もあるとご考慮ください。
- only_this_time
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質問者さんのおっしゃりたいことはよく分かります。 私は、当事者の友人がおりましたので、その友人から、今の世の中がいかに生きにくいかという話をたくさん聞きました。 私達には気づかないような細かなことまで、たくさん問題がありますよね。例えば旅行をするとき、市役所へ行くとき、挙げればきりがないですね。 私は、その友人から性転換の手術の費用を聞かされて、あまりに高額なので驚きました。 どうして、国が補助しないのでしょう? (数年前の話ですので、今のシステムは分からないのですが) そんなに考えなければいけないほど、難しいことではないと思うのです。当事者の方が普通の人であることは当たり前だし、自分の身体が逆の性だったら・・・イヤだと思う感情があるのは当たりまえのことだろうと、ちょっと想像力を働かせれば分かることなのに。 一番早い方法は、やはり、多くの人に質問者さんのことを分かってもらうことではないかと思います。 ここ数年で、性同一性障害に関する情報がとても多くなり、理解者も増えたように思います。 私は、あるレーサーの方がマスコミに発表されたことが大きいような気がします。どう見ても彼が女性でいることは不自然に見えましたし、男性として生きるという決意をされたあとの彼の表情を見て、心を動かされた人は多かったのではないかと。 どうしてそこまでしなければ、理解されないのかという思いもあるでしょうが、悲しいかな、これが現実なのではないでしょうか。 もちろん、質問者さんにマスコミにアピールすべき、と言っているのではありません。 そして、私も出来る限り、理解を広めるためにお役に立ちたいと思っています。今は、ここで回答することしか出来ていませんが・・・。 ですので、逆にお聞きしたいくらいです。何ができますか、と。 時代は少しずつ変わって行くと信じています。質問者さんは、質問者さんのできることを、私は私にできることを続けていればきっと・・・。 ※あたかも私が理解しているかのように思われ、不快に思われた方もいらっしるかもしれません。もしそのような気分になられましたら、申し訳ありません。正直に思うままに書きました。
お礼
丁寧なmail有り難うございます。 少しも不快になんか思っていません。どうか気になさらないでください。気を配られるそのお心配り本当に有り難く存じます。 性の再判定手術に関しましては、厚生担当者の方がsex・風俗と関連して思われているのか、保険対象外で高額です(数百万円)。しかし厚生関係の担当者が接して下さり当事者の意見を聞いていただければ考えもきっと変わると思うのですが…。当事者はsexのためにあんな手術など受けたりはしないのです。ただ身体に♂が付いているのが強烈に嫌なだけなのですし精神的な苦痛を伴うので受けるにすぎません。そのことを行政担当者の方々も判っていただければと切に思います。 レ-サ-の方ですね。勇気ある行動と思います。彼は性同一性障害をもつみんなのためにあのような行動に出たと思います。みんなを勇気づけるために。その気持ちよく判りますし大切にしたいと思います。 私たち当事者は性別二元論の破壊や性の多様化などを叫んでいるわけでは決してないんです。社会を混乱させたいわけでもないし、既存の価値観を崩壊させる気持ちなど寸分もありません。私自身、男女が愛し合って子供が産まれることは素晴らしいことと思います。ただ私たちは男性でいることに強い拒否感や嫌悪感があり、普通に反対の性で素直に生きたい。当事者の願いや主張はその様なものと御理解頂ければ幸いです。 この障害は、趣味でも特権でも主義思想でも流行でもありません。当事者も好きでなる訳など絶対にないのです。それ故”GIDなんだ”とか気安く言える代物ではないと思うのです。 普通の男女に生まれ自己の性に違和感なくすごせれば本当に素晴らしいことですし、それに越したことはありません。こんな辛い悲しい思いをする(させる)障害など絶対なって欲しくないと私は切に思います。と同時に私たちも努力し、今後、万が一不幸にも自己の性に強い違和感を感じる人たちが現れた場合、すこしでも住み易い社会・環境を構築できればと思っています。 協力を申し出られること。本当に感謝いたしております。どれだけ私たちのような当事者が生きてゆく上で励みになるか。性同一性障害とはこの様なものであると偏見を持たずに理解していただければ、そうして性に関係なく当事者自身を見て理解していただければそれだけでも十分協力されたことになります。本当に有り難うございます。
理解不足だったらお許しください。 ストレートな男の自分でも、性問題でのバッシングがあんまりだな・・・と思ったことがり書き込みます。 現在の世界、日本は特にそうだと思うんですが、性的な差別の問題は、私は無知なフェミニストの妙な先入観が根底にあるのではないかと思います。 最新の教科書の性教育の本を例に揚げると、「性の社会的地位の平等」と、「没個性的な性の平等」を混同しているところに問題があるのではないかと思います。 つまり、 「私は体も内面も男(女)性である」と言う人まで「私は体は男(女)性であるけど、内面は中性だ」と言うことを押し付けてるんじゃないかな? しかし、各個人を尊重するならば、 「私は体も内面も男(女)性である」ことも尊重するべきだし、「生まれもった体は男(女)性だけど内面は女(男)性」と言う人も尊重すべきであると考えます。 「心も内面も男(女)性」=「体は男(女)内面は中性」=「体は男(女)心は女(男)」と 皆一緒にしてしまう・・・この部分を中途半端なフェミニストが性観念を作っているのだと思います。 偏見は未知を解明しようとせず、無知のままにしておくことで増強されると思います。日本人に強く見られる傾向は、自分と同じ境遇の人間ばかり寄り集まって、狭い自分たちの尺度でだけ物事を判断する傾向が強いです。(世界でも同じような国はたくさんありますが) 今年の夏、あるキャンパスのディスカッションで、性同一障害の人のスピーチを聞きました。最初は正直怖かった・・・それはきっと自分の価値観が崩壊するのではないかと言う恐怖だったと思います。けど、『実際に近くで話すと、普通の人なんだよね。』 残留した男性と言うものを消し去るために、女性ホルモンの長期投与が身体に危機を招くことはわかります。命をすてるリスクで自分が女性であることを主張したい。しかも女性として自立したいんですよね。迷惑は掛からないし、社会に何らかの女性として何らかの形で貢献したいのだから許されて良いのだと思います。 西欧の行政が、次第に民主主義に磨きをかけつつある中、これから世界に出てく日本人は能力不足としか見られなくなるかもしれませんね。しかも、性問題を味方に付けようとする政党が、どれだけ理解しているかも疑問です。 結論は出せないけど、何かの助けになれば・・・。
お礼
丁重なmail有難うございます。 仰るように偏見は増長されるのは事実です。性同一性障害も同じです。でも本当に普通の人間なのです。しかし恐怖感をもたれるのは仕方がないと思います。私自身も初めはこの障害になりたくないと思ったのは事実です。誰もなりたくてなったわけではありません。ならなくてすめばそれに越したことはないのです。でも仕方がないのです。内面からのつよいなにか突き上げるのです。それでそうならざるを得ないのです。今は少しでも社会の役に立てるように女性として努力しようと思います(もう男性としての生など不可能ですから)。 理解していただきたいのは「男が好きだから女になりたい」のではないのです。「ただ女性としていきたい」それだけなのです。「…だから」という理由なんかないのです。女性として生きれれば(つらくても)生きている実感があるのです。生きている喜びがあるのです。自分も理由が判りません。でも心の奥底でそういっているのです。ホルモンでも然りです。男性機能を崩壊させますがなんの後悔もないのです。このようなものが性同一性障害の側面にあるとご理解ください。 ennuiさんのように理解してくださる方がいるだけでも十分助けになっています。本当に有難うございます。
- tomo31
- ベストアンサー率29% (5/17)
これまでの分も含めて質問拝見しました。 わたし(女)は、ある程度、性同一性障害に理解があると思っています。高校の同級生にそういう人がいました。理解するのには時間がかかりました(このことについて詳しくお話するわけにはいきませんので、省略させていただきます)。本当に理解できたとは思いませんが、偏見はありません。 そのうえできいていただきたいのですが、「女性を装って、女性に危害を加えようと考えている人」は許せません。でも、女装した犯罪者が時々いるので、「女装」に対する偏見はなくならないし、普通に婦人服をファションとして楽しもうとしている男性も変に思われていますね。 (注:女装と性同一性障害を同レベルで考えているわけではありません。誤解しないでくださいね。わたしの知り合いには、スカートが好きという男性もいます。その方は、男という意識で、かつ、女装ではなくスカートをはきたい)ということのようです。これもなかなか理解できなかったのですが、最近やっとわかってきました。 ただ、全くしらない人が女性の格好をして例えば女性用トイレに入ってきたとしたら、やっぱりこわいです。見た目では性同一性障害の方なのかあぶない人なのかの区別つきません。性同一性障害の方に理解者がエスコートしていればいいのでしょうが、そういうわけにはいかないですよね。理解者と一緒に行動すれば・・・では回答にならないのはわかっています。でも、理解者もいるということをこうした回答をとおして世の中の人にもなるべく知ってもらえれば、少しはお役にたてるななと思って投稿しました。
お礼
丁重なお返事有難うございます。 女装して女性トイレへ行く変な輩がいることニュース等で度々目にします。本当にとても残念なことと思っていますし、女性の方のお気持ち察してあまりがあることと思います。私自身本当にそのような輩がいることそそして性同一性障害がこのような輩と何らかの関連があると世間では思われていることはとても残念に思っています。 この障害は、男性であることが嫌で嫌で強い嫌悪感をもつことが特徴です。当事者自身も理由が理解できないのです。 例えば(勿論人によりますが)男性の激しさや性的なものが自分に宿っていることが嫌なのです。私自身男性の持っている性欲が死ぬほど嫌でした。同性が好きではないのです。ただ自分の性が死ぬほど嫌なのです。今は女性ホルモンを摂取して血中ホルモン値が女性と同じであり男性の性機能がなくなっていることに本当に心から喜びを感じます。男性の性的欲求がなくなることがこんなに人生を豊かにするのだろうかと心から感じます。 しかし社会では変な輩がいて女性に性暴力などを加える。本当に許せないと思います。女性は男性のためにあるのではないと思います。本当にこのような性犯罪が無くなる事を願ってやみません。 答えになっていないかもしれません。でもあなたの理解しようとされるお心どれだけ嬉しいかわかりません。本当に有難うございます。
補足
お礼をいうの箇所で「答えになっていないのかもしれません」というのは私の述べていることです。けっしてtomo31さんの言われていることでは有りません。tomo31さんの言われていることは性同一性障害の当事者にとって重要です。誤解を与えたらお許しくださいませ。
- nes_
- ベストアンサー率25% (161/643)
こんにちは。 私は、「性同一性障害」というネーミングは、ものすごいナンセンスだと思っています。別に呪いや催眠術にかかっていたわけでもない、精神病でも心の傷でもない、当事者が「ようやく、『私』が『私』として生きるために再出発をしようと決心しただけ」と言っているわけですから、それを「障害」とするのは、あきらかに矛盾いるではないですか。 社会は、「性同一性障害」という言葉にたいへん戸惑っています。なんだか、ものすごい時代になったな、と。なぜそうなるかというと、「正常」か「病理」かという視点で見るからです。「正常」か「病理」かと聞かかれれば、「病理」に決まっているわけです。そのうえ、とても難しい病理ときている。ところが、当事者たちは、「私たちは、ただ女性(本来のアイデンティティ)として普通に暮らしたいだけなのだ」と主張するわけです。これでは、戸惑うのも当たり前の話です。ことを難しくして、自分で自分の首をしめているわけですね。 ですから、私は、「正常」か「病理」かという問題ではないと思います。そのように考えると、いわゆる転換手術も行っていることは「治療」だけれども、目的は「支援」としないと、筋が通らないわけです。サッカー選手がサッカー人生をかけて膝の半月盤の手術をするのと変わりません。行っていることは治療だけれども、目的はその人の人生の支援。考えてみれば、なんでもそうですよね。 私のアドバイスは、社会の理解を待つのではなく、あなた自身が社会に理解を求めるという姿勢を持ち続けて欲しいということです。「何を言っているの、私は女ですよ、病気でもなんでもないんですよ、あなたバカですか」くらいの気持ちでやらないと、永遠に理解してくれません。 脳神経核とか、性ホルモンとか、いろいろ難しいことも言われてますが、そんなことは専門家に任せておけばいいのです。 いくつになろうと「自己実現」というのは素晴らしいことじゃないですか。喜ばしいことなんですから、深刻な顔をしないで、元気よく、笑顔で人に説明してあげてほしいと思います。
お礼
丁寧なお返事有難うございます。 「障害」というネーミングの件ですがこれには色々いきさつがあります。私たち当事者にとっては「障害」とは思っていません。私自身、子供のころから男の性が何となく嫌いでしたし、思春期に入り、第二次性徴を迎えてからは決定的に男の性が嫌いなりましたから。自然にそう思っていました。何故「障害」なの?と思っています。 しかし「障害」であり医師のもとへ通院しているほうが社会での差別や偏見はまだ少ないのです。社会全体がこのような類の人間を医療の領域に押し込めたほうが安心するのかもしれませんね。これは残念なことですが事実です。多数派のカテゴリーに合わない場合それを「障害」といって医療の分野に押し込めると社会は安心し、それなりに扱ってはくれます。 例えば医師による「性同一性障害の診断書」があればある程度差別などが緩和されるのは事実です。あのひとは女性の格好をしているけど「性同一性障害」だからということである程度は大目に見てくれますし人権はある程度は守られます。 逆に「障害ではない」となった場合、社会の風当たりはかなりきついものになります。変人変態扱いは避けられないと思っています。当事者自身それを恐れています。 当事者自身そのあたりのいきさつは良く知っています。逆にそれ故医師から「性同一性障害」の診断書を欲しがるのも事実です。おそらくあらゆる疾患のうちで患者自身がその診断書を希求してやまないのはこの性同一性障害ぐらいかなと思っています。 nesさんの言われるように「社会の理解を待つのではなく、あなた自身が社会に理解を求めるという姿勢を持ち続けて欲しいということです」このことは大切ですね。よく言われる意味はわかります。社会になるほどと思われないといけない。あの人は性同一性障害だけど人間的に立派だと周囲の人に思われるまで努力が必要なのかもしれません。 私自身それは本当に厳しい道と思いますが、それしか答えがないのかもしれません。私自身決して甘くはないと思っています。そしてそこにしか道がないと思います。性に関係なく一生懸命生きることが最終的には偏見や誤解を打破する道かもしれませんね。そうなると障害にかかわらず日々を一生懸命生きることが大切だろうと思います。 本当にご助言有難うございました。
- kobayashiiccha
- ベストアンサー率34% (218/626)
初めて質問を拝見したので、とんちんかんな所があったらごめんなさい。 性同一性障害は難しい病気だと思います。 それは、完治がないからだと私は思います。 完治…例えば手術を受けて、心=体となっても、≠戸籍となり、完全な一致が達成できないという意味です。 私はかつて、戸籍に関わる仕事をしていました。 その中で実感したのが「泣く子と戸籍には勝てない」ということでした。 心=体=女となったとしても、戸籍が男のままであれば、日本では男と扱われることとなります。 私はここを変えなくては、進展はないのではないかと思っています。 性転換手術は簡単に、誰にでも認められる手術ではなかったと思います。 性同一性障害という判断がなされ、医療の面で必要となった人にのみ認められる手術であれば、その後の戸籍にまで影響力をもってしかるべきだと思います。 法律が整備されて、心=体=戸籍となれば、普通に生きるということももう少し簡単になるように思います。 テレビの影響などで、性同一性障害というものが広く知られるようになりました。 しかし仰るように間違った認識や興味本位の報道などもあると思います。 まずは正しいことを世間に広め、認知させる必要があるでしょう。 そのためには過った報道などにはどんどんクレームをつけていくことが必要だと思います。 同時に正しい情報を発信していけば良いと思います。 そうやって基盤を作った上で、政治に働きかけ、法律を変えていくというのが最初のステップではないかと思います。 思うところが沢山あって上手く書けないのですが、私自身、性別の壁というものを感じながら生きてきたので、書かせていただきました。 頑張って、というのは軽いかもしれませんが、応援しています。
お礼
丁重なお答え有難うございます。 戸籍に関するご指摘まさしくそのとおりです。当事者にとっては深刻な問題です。外見女性、体女性で戸籍男性は残酷すぎます。これだとやはりすごくいやですよね。手術までうけても男性扱いは基本的人権を保障されていないと思います。本当に当事者の方は性的関係をもとめるため手術など受けるわけではないのです。女性として嫌な嫌な♂が体にあることが耐えられないのです。それだけの単純な理由です。 そこあたりを国など行政機関は理解してもらい、戸籍の変更をスムーズに行ってくれればどれだけ嬉しい事かと思います。特例法では不十分すぎるのが現状です。また運転免許書やパスポートなどの公的書類の性別記入欄などはとても嫌なものです。性同一性障害の当事者は犯罪やその他借金の帳消しなど悪しきことで戸籍の変更を求めているわけではないのです。ただよりよく生きるために求めているのに過ぎません。 「正しい情報」とのご指摘。仰るとおりです。性同一性障害の当事者は、接すれば判ると思いますが普通の人間です。べつにわざとおかま言葉を使ったり、変な格好をしたい人種では有りません。人に危害を加えたいなど夢にも思いません。たとえば、(人によりますが)通常ミニスカートや露出度の大きな服など着ません。女性として普通の格好をしているだけです。あまり目立たない普通の格好です。でも大切なのは服よりも内面と思うのです。 私自身の経験で恐縮ですが、買い物をしたり料理を作ることが大好きです。また台所でのkitchen用品などを買いったり眺めたりすることにとても幸せを感じます。また新しいセンスのいい服などを探したりするのも楽しみですし、女性ファッション誌などを見るの喜びです(わたしはvogue誌が大好きです。全体のまとまりがとれてセンスのいいファッション誌ですよね。ヴァンサンカンは詳しくていいのですが個別のitemに少し走りすぎているのかなとも思います)。あるいはパリコレで有名なあるいは新規なデザイナーがつくった服など眺めると啓発されますし、生きる喜びが沸いてきます(シャネルなど大手の繰り出すものは圧巻です。いいですね。でもモデルさんによるのかなとも思いますが)。性同一性障害といっても現状はその程度のものと思います。 でも本当に応援してくださり本当に有難うございます。
お礼
丁重なmail有難うございます。 おしゃられますように、性同一性障害は少数派です。女性ホルモン摂取や手術までいくともっもっと少数派です。 趣味でこのようなことやっている訳ではないのです。女性ホルモンは劇薬です。人によっては肝機能障害や血栓症を引き起こします。また一旦摂取すると(短い摂取期間は除いて)死ぬまで摂取しないと体の不調をきたします。また定期的に血液検査をしないといけません(私自身3ヶ月に一回血液検査をうけています)。男性としての性機能は消失しますし当然子孫を残せなくなります。感情感覚もかなり変化します。もう私は数年経過しているので死ぬまでホルモンのお世話にならないといけません。でもこの障害をもっている当事者はそうせざるを得ないのです。趣味ではなく内面からの強い何かがそうさせるのです。わたしにもそれがなにかわかりません。ただ幼いころから男性として必要な何かが大きく欠如して生まれてきたなという感覚は今でもあります。 社会に対して変革や変動を起こそうなどと少しも考えていないのです。社会を不安定になどさせたくもないのです。第三の性なども考えてもいませんし、性的関係のため手術を受けたいのではけっしてありません。 ただ女性として普通に平和に幸せに生きてゆきたい。皆と楽しく生きてゆきたい。ただそれだけなのです。女性として一生懸命生きてゆきたいただそれだけなのです。そのために手術を受けるだけなのです。 完全に女性として社会に溶け込めたらどれだけ幸せだろうと何度も思います。 お話をお伺いして社会に理解を仰ぐには当事者のことを判ってもらうしかないと思いました。 大抵は普通の人間です。別に変な性的趣味などありません(女性ホルモンのせいでこのような男性特有の性的願望は希薄化しています)。ただ女性誌(例えばVogueなど)が好きで女性のfashionなどが好きで可愛いもの(ウサギや子犬)が大好きなだけです(勿論個人差はありますが)。 このようなことをもっと社会に知ってもらえばと思います。ほんとうに普通の人間です。社会に人に危害を加えようとする気持ちなど全くありません。 そのようなことを社会がわかって頂ければと切に思います。 本当に有難うございました。