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現代の装備で加藤文太郎の偉業を再現するには?
- 加藤文太郎氏は登山のマイナーな趣味にも関わらず、新聞に載り国民的山の猛者として報道された。
- 彼は極寒の北アルプスを地下足袋とありあわせの服で縦横無尽に歩き、足跡を残した。
- もし彼が現代の装備で登山をしたら、どのような偉業を成し遂げることができるだろうか?
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加藤文太郎の場合は数人のパーティーが数日がかりで歩く ルートを休みがないので2日くらいで抜けたとか そういう超人的な体力とスピードがあったと思いますが、 当時でもありえない。嘘だと言われていたようですが、 今風だとこんな感じでしょうね。 プロのクライマーでも2日くらいかかる アイガー北壁をわずか3時間。 これも動画がなければ誰も信じないでしょうね。 http://www.kotaro269.com/archives/51236597.html
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- icecouloir
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たわいもない質問で 大変興味がわいたので たわいもない妄想で 少し 落書き お許しください。 加藤文太郎が槍ヶ岳の北鎌尾根から無事生還をしてるので 今ほど 北鎌尾根の稜線歩きに人気が出ていないと思いますよね そして 「単独行」が登山スタイルとして 定着してしていたから 今でいうところの「アルパインスタイル」での登山が主流となり 「極地法」での登山スタイルは減っていたと思いますよ 今の装備を持ってしたら、やはり 冬山での 偉業を成し遂げてると思います。 1975年1月の長谷川恒男さん 半谷貞夫+白石一良さんパーティーの 23日間 屏風-前穂高東壁-奥穂高-槍ヶ岳 北鎌尾根下降を 先にしてますよね。 ただ、サラリーマンだったから 会社休めないかもしれないしれないか? 大島亮吉とザイルを組んでいたかもしれないし そうすると 大島亮吉も 前穂高 北尾根で死ななかったかもしれないし 槇有恒さんたちともアイガーを登っていたかもしれませんよね。 いろいろとご意見は有るとおもいますが、 やっぱり 加藤保男さん的クライマーでヒマラヤ縦走をしていたのかもしれません。 カモシカ同人のダウラギリ縦走とか 日本の山岳史に名前を残す人物だったと思います。 単独行 なんとロマンのある昭和の言葉でしょうか?
お礼
おつきあい ありがとうございます。 ただ、質問の解釈が違うようで、「かれが生きていたら歴史はどうなったか?」という質問ではありません。 >今の時代の装備を持って、彼と同じ「偉業」と言われる事というのは、どのような登山(コースや行程、時期など)をすることになるのでしょうか? です。 彼の凄さを実感してみたかったので。
お礼
アイガー北壁を3時間ですか! 確かに証拠が無ければ誰も信じませんね。 それほどの 偉業・ありえない登山なのですね。 改めて彼の凄さを実感できました、ありがとうございました。