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Imaginary Friend (想像上の友人)
海外の映画やドラマに、子供(主に4歳~小学校低学年ぐらい?)がImaginary Friend (想像上の友人)を持っているという話が良く出てきます。 小さな子供のことですから、宗教的、または文化的な刷り込みはまだなされていないと思います。 たいていの映画(ホラー映画のぞく)では、成長過程の中の一段階にしか過ぎず、時が来ればいなくなるものであり、たいした問題ではない、といったように紹介されています。まるで、「うちの子今反抗期なのよね~~」ってな会話と同じ感じなんです。 海外映画・ドラマとざっくりした言い方をしてしまいましたが、アメリカとイギリスでは確実に想像上の友人がいることが不思議ではないようです。 ではなぜ日本人の子供には想像上の友達がいないのでしょうか?私は一人っ子で良く一人遊びをしましたが、対象は人形や動物であって、決して自分の頭の仲にだけ存在する誰か、ではありませんでしたし、ほかの人からも「想像上の友人がいた」あるいは、「自分の子供に想像上の友人がいる」なんていう話は聴いたことがありません。 なぜこのような違いがあるのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたらお教えいただければと思います。よろしくお願いいたします。
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- shiro111
- ベストアンサー率20% (77/375)
わたしは「想像上の友人」がいますよ。 Imaginary Friendという言葉は知りませんでした それに当てはまるかもわからないけど 不思議なのは 自分が大人になったら、いつの間にか彼らも大人に成長していたことです。 自分の心境によって彼らと距離が出来たり、和解したり、自立します。 どうしようもなく辛い時に現れてくれるのも彼らです。
- vintagewine
- ベストアンサー率53% (76/143)
日本語の“おままごと”や“お医者さんごっこ”。この“ごっこ遊び”に当たる言葉がImajinary Playです。 日本の子供のうち“一人っ子”が、ある日“一人で”おままごと遊びをする場合をご想像ください。例えば二人分のお茶セットを用意したとしても、常に自分の前にお人形や縫いぐるみが座っている場合ばかりではないですよね?時に無人であっても、“お茶をどうぞ。お菓子もどうぞ。”って遊びませんか?ということは、日本の子供達にも特定ではないかも知れませんが想像上の友は出現する場合もある、とは言えないでしょうか。 欧州欧米は確かに、幼児に算数や国語を教えることよりも、先ずは想像力を引き出そうとする。そういう教育心が情緒教育の一環として組み込まれていることは事実だと思います。ですから、そのような環境により、こちらの子供たちがより一層、想像力を働かせ逞しくするという傾向は見て取れると思います。
- yasuto07
- ベストアンサー率12% (1344/10625)
宗教観では、外国では、悪魔や失敗は自分の外にいます、何かに導かれるのは神様、そとにいるものです。その教えに近いところで、自分の外にも想像上の友達がいてもいいかも、日本では、反省、ナイセイ、自分の心の中に善悪の判断もキサレマス。 外国では、善悪でさえ神様に聞かなければ、そおいうところでは、映画はもう少し良くみるべきです。