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随筆とは…?
- 随筆はエッセイの一種で、つれづれなるままに出来事を綴ることが特徴です。
- 随筆は意見文とは異なり、自由な形式で自分の思考や感情を表現することが求められます。
- 随筆はテーマにとらわれることなく、自身の経験や考えを独自の視点で綴ることが大切です。
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随筆にも色々なスタイルがあります。身辺雑記のように身の回りのことを綴るものもあれば、それを抽象化して何らかのアドバイス的なコメントを最後に記すものなどもあります。 ただ呼んでいてツマラナイものの典型は処世術に結び付けたり、年寄りの蘊蓄話ですね。こうした手法は“自称経済評論家”や“自称アナリスト”と呼ばれるオヤジ族に多く見られます。堺屋太一や雑誌のプレジデントなどはその典型ですね。 手許にこんな本がありました。柳田邦夫氏の『犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日』です。現場を取材するライターとして知られる柳田邦夫さん自身の身に降りかかった事実を第三者の視点から綴った文字どおりの「随筆」です。精神の病を患い自死に至ったご子息と自らの関係を通し、また「書き綴ること」を生業とする立場の者として「脳死」をどうとらえるか、との問題にまで深化させていく話です。 もし質問者様が随筆をお書きになりたいとお考えならば、祖父の死から「何を読みとり」それを「社会との関わりでどの様に位置付けるか」が主眼になるはずです。 ただ単に「1年前、おじいちゃんが他界してしまったので」では読み手に何も考えさせることにはなりません。親族の死は珍しいものでもない。けれど筆者にとってはかけがえのない存在であったことだけは間違いのない現実であり、その現実から何を考えたかとして何らかの「問題提起」をすることが随筆には求められます。つまり「結論としては私は何も示しません。読者の方がそれぞれにお考え下さい」と下駄を預ける形です。 「祖父の死」から「看護や介護の現場とそれに対する支援のあり方」などの問題は容易に想像がつきます。或いは「身内が面倒をみなければならない」との発想は何処にあるのか、社会全体で支えるとしてスタートした介護保険のシステムは実際に機能しているのだろうか。そして日本人の発想の根底にある「身内や家族」と「個人」の関係と公的システムとの関係を考えてみた時に、政府や行政が口にする「典型的な日本人の家族や家庭」が何に基づくのか、など問題の切り口は広がっていきます。 こうした展開を提示することが随筆の魅力でもあれば限界でもある。そして最後に一~二行程度で自身の言葉によるコメントを記すだけで成り立ちもします。結論を書く必要はありません。結論を書こうとするからそれが「意見文」になってしまうのではありませんか?。
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- Postizos
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辞書は引いていると思いますが。 意見文のような随筆もあるとは思いますが、どうもそれは違うんじゃないかと思ってらっしゃるわけですよね。 「こうあるべきだ」とか「これが正しい」というような結論に導かないということではないでしょうか。 何か自分が心に受けたシーンとか出来事を書いて行くことで読み手に同じ体験をしてもらうという方法があります。「私はこう思う」という主観的な書き方ではなくてもちょっと引いた目で自分自身を分析して観るというのもあります。 発見が大事だという意見が出ていますけれども、先に俗な結論があってそれにすり寄せるのではなくて、人に話したらどうだろうか話しておくべきじゃないか、そういう面白いとか美しいとか意外とかの出来事をまず見つけて中心に考えれば自然と面白い物が書けるのではないかなと私も思います。 無難な当たり前の結論のような物は無くても良いと思います。 漫然とあったことを逐一描写するのではなくて、描きたいシーンをしぼってまず書き出してみてはどうでしょうか。全体のつなげ方はそれから考えるのです。 文体も大事なので絶対に必要だと思ったらふざけた文体をあえてとることだってあって良いと思います。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
【追記】 質問文にある「おじいちゃん」これはもう、書く前の段階でダメですね。 せめて「祖父」あるいは「○○という男」でなければ、筆者と対象との適切な「距離感」を保つことができません。そうなれば、文章は当然のように「筆者の思い込み」に留まり、何も提起できなくなってしまいます。 そして「使ってはならない言葉」「使うべきではない言葉」として「思いを込めて・感情を込めて」「相手の立場に立って・相手の目線に立って・気持ちを共有して」などがあります。その理由は質問者様ご自身でお考え下さい、そのヒントは既に提示してあります。
寺田寅彦という人は物理学者ですが、随筆家としても有名です。この人が随筆にも発見がなければいけないというようなことをどこかで言っています。いわゆる作文がつまらないのは発見がないからだと思います。発見というのはそれほど難しいことではないはずですが、いつ誰とどこへ行ったというようなことは発見ではないはずです。
- bgm38489
- ベストアンサー率29% (633/2168)
随筆、というテーマで作文を書く…これは、水彩画という絵を描く、ということと同じです。随筆をテーマにした作文、となると、随筆とはどういうものか、有名な随筆にはどういうものがあるか、などを調べて、文章にすることになります。随筆をテーマにした作文を書く、というのではなく、作文は、これこれいうことをテーマにした随筆にする、ですね。 話題をあげて、自分の意見をはっきり文章にすることが意見文なら、随筆は、話題をあげながら、さりげなく自分の意見を織り交ぜていくものだといえるでしょう。 朝日新聞の、天声人語なんて読んだらいい。今の著者のは意見文に近いが、ちょっと昔の辰濃和男氏のなんて、まさに随筆の見本。本で出ているし、図書館に行って探したらあるでしょう。 おじいちゃんの死んだこと、つまり、身内の死んだことをテーマにするなら、その事実(闘病生活、そのとき家族はどうしたかなど)を述べながら、自分はその時どう思ったか、を混ぜていく。最後に、初めて身内がなくなるという経験をしたが、その経験をどういう風に今後に生かしていくか…なんてことを書くとかね。
- aries_1
- ベストアンサー率45% (144/319)
自分が考えたことや感じたことだけを書き記したものが随筆です。 意見文は、何か文章等を読んで、それについて考えたことをかくものであり、「~であると考える(思う)」や「~べきだ」等を多用します。 随筆ではそのような文体では書かず、ただ思ったことだけを、自分の頭の中で考えたようにつらつらと書けばいいです。 例えば、夕日を見た時に「今日は夕日が綺麗だと思う」なんて頭の中では考えませんよね? ただ「今日は夕日が綺麗だ」と思いますよね? そのことをそのまま文字にすればいいだけのことです。
お礼
感じたことをそのまま書くのが随筆ですね(`・ω・) 理解しました! とてもわかりやすいです。 ありがとうございますm(__)m
- spring135
- ベストアンサー率44% (1487/3332)
真面目に書けばよろしい。 ふざける必要は全くない。
お礼
至って真面目です! 良い作品が出来るように頑張ります。 ありがとうございますm(__)m
お礼
>おじいちゃんの死んだこと、つまり、身内の死んだことをテーマにするなら、その事実(闘病生活、そのとき家族はどうしたかなど)を述べながら、自分はその時どう思ったか、を混ぜていく。最後に、初めて身内がなくなるという経験をしたが、その経験をどういう風に今後に生かしていくか…なんてことを書くとかね。 まさにそういう感じで書こうと思っています!!/// さりげなくか…難しいですね(ーωー) でも頑張ります!! ありがとうございます。 とてもわかりやすいですm(__)m