- ベストアンサー
友達の歌詞に対する解釈が国語的におかしい気がする
- 友達の歌詞に対する解釈が国語的におかしい気がするという質問について、主人公の悲鳴に関する歌詞の解釈について疑問を持っていることが明らかになっています。
- 主人公がどのような状況で悲鳴で起こされたのかについての解釈が異なることについて、国語的な視点からの考察を求めています。
- 質問者は、自身の国語力に自信がなく、また世代によって解釈が変わる可能性についても言及しています。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
Q1) 私は「誰かの悲鳴で主人公が起こされた」と読み取りましたよ。 文法的には何も間違ってないと思います。 ただ、主人公自身の悲鳴で起きたという解釈も、 あぁなるほどな…と思いました。 そういうオチは小説・漫画・映像作品にたくさんあるので、 その技法パターンを知る読み手が勝手にそう解釈することは有り得ます。 Q2) これは世代による違いなんかではなく、 単なる技量不足が原因のような気がします。 歌詞に限らず、小説家・漫画家・脚本家などを目指すアマチュア作品にも同様の事はよく起こります。 書き手の意図がちゃんと伝わらず、読み手が勝手な解釈をしてしまうんですね。 例えばなんですが、、、、 ・デヴィッドは夕食にカツ丼を食べた。 文法的には何も間違ってないのに何となく気持ち悪い印象がないですか? 読み手というのは無意識に自分の知識や経験を総動員して、 与えられた文字情報を整理しながら、 更にはその先を予想・想像しながら読み進めます。 多くの人は《デヴィッド=外国人=外国在住》だと脳内計算するので、 突然《カツ丼を食べる》といわれると「おや?」と疑問符が付くのです。 でも本当は、デヴィッドは日本留学中/旅行中でカツ丼をいたく気に入って毎日食べてるのだと言われたら、読み手の解釈度は高まりますよね。 読み手の誤解釈を避けたければ、そうした背景事情をこの一文の中orその前の文章で読み手に伝えておく/想像させておけば良いわけです。 今回の誤解釈の原因も、本当は2行の“前部分”にあるかもしれません。 この2行の前部分が、読み手にとって「これは親の悲鳴だな」と想像しづらい言葉の流れで構築されてる可能性があります。 “ココが問題だからと言って、原因もココにあるとは限らない” ということです。 書き手が本来必要な言葉を書いてなかったり、 逆に間違った言葉を使っていれば、 当然、読み手も間違った解釈をしてしまいますから。 余談ですが、 個人的には、DVの悲鳴で寝ていた子供が起きるような家庭なら、 それはもうスイートホームではないのでは?と思います。 つまり《スイートホーム》で《DVの悲鳴》というのは世界観として矛盾してる。なのに並列的な意味合いで使われてる。 もし《スイートホーム》という単語を使いたいなら、 もっと深いところまで見つめた上で描写しないと誤解を生みやすいかと。 細かいのですが、書き手のそういう思考の積み重ねで、 読み手の解釈度/理解度も変化していきます。
その他の回答 (5)
- hunaskin
- ベストアンサー率30% (1854/6060)
私は一行目だけ読んで目覚まし時計かと思い 二行目を読んで奥さんまたは母親が起きろと怒り狂っているのかと思いました。 という前提で >国語的に考えたら「起こされる」と受動態で書いているのだから「主人公自身の悲鳴」という解釈はおかしくないでしょうか?主人公自身の悲鳴なら「悲鳴をあげて起きた」とか能動態で書くべきだと思うのですが・・・・・ 歌詞なんですから、自分の悲鳴で起こされた、という言い方をしても構わないでしょう。 自分の意思を伴わない悲鳴なんだから他人があげた悲鳴と同様のものである、という言外の表現にもなりますし。 自分の声にびっくりして目が覚めた事がある人間にとっては特に違和感のある解釈ではありませんね。
お礼
「自分の意思を伴わない」という考えがなかったので勉強になります。ありがとうございます。
- sweet76
- ベストアンサー率39% (584/1497)
Q1 文法的な話をするなら、”悲鳴に起こされる”なんじゃないかと。 ”悲鳴で起きる”かな。 だから、”悲鳴で起こされる”だと解釈が曖昧になってもしょうがないような気がします。 悲鳴で起きるの場合、本人の悲鳴とも外部の悲鳴とも取れますからね。 90年代に音楽やってましたが、この2行だけならどっちにも解釈できます。 Q2 そんな哲学的な話じゃないと思いますけどね。 前後の文章がわからないですし、歌詞の場合、必ずしも文法的に正しいことは求められていないので、全体の歌詞から、違った解釈をされてのであれば、単に表現力の問題かと思います。 2行見ただけでも慣用表現が多いみたいなので、そこは仕方がないのかなあ、と。 私は90年代に音楽やってましたが、その当時はもっと自己完結的な歌詞もありまし(今聞いたらギャグかっていうくらいの自己陶酔な歌詞が当時はかっこいいと言われていたり)、解釈のあいまい性が高い歌詞も多かったです。 それこそ哲学的っていうかね。 最近の歌詞はわかりやくて、みんなが同じような情景を思い浮かべるっていうのが主流みたいな気がしますが、それを求めているあたりあなたも若いリスナーの一人だなあと思います。 みんながみんな同じ情景を思い浮かべるなんて逆に歌詞としては駄文な気がしますけどね。子供の作文ならそれでいいと思いますけれども。
お礼
Q2についての詳細なご回答ありがとうございます。自己完結的な歌詞はむしろ90年代の方が多いのですね。「最近の歌詞はわかりやくて、みんなが同じような情景を思い浮かべるっていうのが主流みたいな気がします」というご意見も非常に参考になります。ありがとうございます。
- 6mint6
- ベストアンサー率23% (96/409)
詩自体は直接的で含みのあるように見えないので私は「主人公の悲鳴」とは思いませんでした。 >安らぎの場所スイートホームで 今夜も悲鳴で起こされる これだけだと誰の悲鳴か解りませんが >何より貴く美しい愛は ガラス細工でできてたの? この詩で主人公の両親の事かな?と理解できます。 お友達は深読みしすぎたのかもしれませんね。 文法的には間違っていませんよ。
お礼
深読みするタイプかそうじゃないかのどっちかで話が変わってしまいそうですね。ありがとうございます。
- Pochi67
- ベストアンサー率34% (582/1706)
この二行だけ読んだら、私もお友達さんと同じように、主人公の悲鳴かなと思いました。 とあるカップルの話かな?と。 文法的には間違っていても、婉曲な表現とも取れるし。 親子で住んでいても、子供は自分ちを「スイートホーム」なんて表現しないかなと思ったので、頭の中で補正してしまいました。 先に休んでいたことに腹を立てたパートナーが、主人公を攻撃。 痛みよりも、自分が反射的に発した声に驚いて、一気に覚醒した…とか。 他の部分も読んで部隊がはっきりすると、受け取り方は違うのかもしれないけれどね。
お礼
面白いですねぇ。婉曲的な解釈をしようと思えばいくらでもできるししたがる人も現実的に多いんだという感じがして参考になります。ありがとうございます。
Q1) 「主人公自身の悲鳴」とは読めませんね。解釈ではなく文法の問題です。 Q2) 「悲鳴で起こされる」という、たったこれだけの語句に解釈もクソもありません。内省的とか自己完結的とかいった上等な話であるはずがなく、あなたが詞を見せた相手がみんな白痴だっただけです。税金で義務教育受けさせてもらったのに日本語すらまともに読めないなら死んだ方がいいんじゃないですか。
お礼
思いっきり言いますねwwwwでもまぁ私の意図した通りに解釈できるというご意見をいただけてよかったです。ありがとうございます。
お礼
歌詞の書き方を詳しくご指導いただきありがとうございます。大変勉強になりました。実際には問題の歌詞は歌の出だしの所なので、まさに前の部分がなかったために誤解が生じてしまったのでしょうね。「スイートホーム」は皮肉的なニューアンスで使いたかったのですがかえって読み手を惑わすことになってしまったようです。いろいろ詳しくありがとうございます。