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リスク 自動車 原発 生レバー
リスクの議論で自動車などはかなりの死亡者数を出していると思うのですが、生レバーが選択した個人の責任にならず、自動車は事故を起こした人に責任になりますよね。保険に強制加入するようにし、確率的に起こる事故をカバーしようという試みなのだと思いますが。。。原発も保険あるんでしたっけ?? これらを分けるのは一般的に自動車は社会的利益がリスクよりも大きいので・・・といわれていますが、計算したわけではなく、社会的な雰囲気でという感じもします。 この違いを論理的に納得したいのですが、詳しい方ご教授お願いします。
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- princelilac
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政府も電力会社も原発の安全神話を覆すつもりはありません。つまり、「保険をかける」→「危険性を認める」→「神話が崩壊する」→「脱原発へ転換する」と世論が進むことを命がけで阻止しようとします。つまり、「保険をかけない」が結論になります。
- mekuriya
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>生レバーが選択した個人の責任にならず、自動車は事故を起こした人に責任になりますよね。 そんなことはないです。生レバー食中毒死者の遺族が飲食店を相手に損害賠償請求した事例は、ほとんどありません。それは生レバー食中毒は食べた人の自己責任という社会的合意が存在すると理解しないと説明がつかないと思います。また自動車事故で責任を問われるのは、自動車メーカーや道路管轄者も同じです。 要は社会的合意が形成されるかどうかということです。リスク、利益、コストを合理的に分担できれば社会的合意が形成される確率が高まるというだけの話です。とはいいながら人は、必ずしも正確にリスク、利益、コストを計算して判断しているわけではない。人はそもそも論理的な存在ではないからです。 「死ぬ前に、もう一度どうしても生レバーを食べたい。」そういう情念に執着して、駆け込み乗車でばたばたと死んでいった人がいます。たった三日?で1年分の食中毒事件が起きたとも伝え聞きます。 原発がこれまで問題視されてこなかったのは、リスク、利益、コストを合理的に分担できたからです。それだけのことなのです。それが福島原発事故が起きたことで、その分担が公平ではなかったことが明らかになった。リスクを分担する社会システムが無かった。リスクを過小評価していたのではないか。それが問題点です。政治の本質は利害調整です。それがうまくいかずに民主党政権は四苦八苦している。新たな社会システムの構築、新たな社会的合意の形成に苦しんでいる。 まあ私はそんな風に理解しているということです。
- kumap2010
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「代替物があるかどうか」です。 自動車は鉄道などの代替物があるとはいえ、鉄道で会社の前まで乗り入れることは出来ないし、 そこから100kg単位の荷物を人力で運ぶのは不可能に近い話。 だから本来は娯楽利用としての自動車は制限しても問題無いんです。 ただ、自動車のシステム上、業務利用と娯楽利用をハッキリと分別することが困難なため、 すべて容認せざるを得なくなっているのです。 原発は「現在だけ」の話で言えば代替物は多く、必要無いように見えます。 しかし石油の枯渇は世界的問題とされていて、 すでに起きている石油価格の高騰はまだまだ続くことが予想されています。 では石油の値段が3倍になったら? 電気代たった10%アップですらこれだけ大騒ぎになるぐらいですから、 電気代が3倍になったらどれだけのパニックになるかわかるでしょう。 ガソリン代にも直結しているので、企業の輸送費も3倍になります。 その金額はすべての商品に上乗せされ、国民の生活費の負担となります。 「車で運ばれない商品」なんて世の中には無いですからね。 ただ、あくまでも「将来」を見据えた話なので、 そのリスクと利益を天秤にかけてどちらが正しいかを判断するのは難しいです。 今現在、石油の値段が3倍になっていたら むしろ「原発を使え」という運動が起きてもおかしくないはずです。 生レバーは代替物がいくらでもあります。 しかしそもそも国民は「食べない」という選択肢を取ることでリスクを100%防ぐことが出来ます。 原発や自動車は個人が使わなくてもその被害を受ける可能性がありますよね。 100%防ごうと思ったら外を歩くことも出来ません。 生レバーは食べなければ絶対に安全です。一切被害を受けません。 この前提が違うため、生レバーを禁止する意味は最初からまったく無いのです。