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供養について

昨年、私の姉の夫が長年の闘病の末、亡くなりました。お葬式などは済みましたが、まだ、お墓、そしてお仏壇も経済的な問題から購入できない状況にあります。遺骨はお寺に預かっていただいているようです。 しかし、毎日、位牌の前でお経を唱えているとのこと。大変にシンプルですが、とても気持ちは込められていると、私は感じます。 そこで、質問をしたいのですが、このような状況の中で、亡くなった人は癒されるのでしょうか。また、この形をこのまま長く続けることは、亡くなった人に対しての供養となるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • mibuna
  • ベストアンサー率38% (577/1492)
回答No.8

浄土真宗=死んだら直ぐに極楽浄土に転生(善人・悪人関係なく他力で極楽浄土に行っちゃう)  死んだら直ぐに生まれ変わるので霊魂は無い。位牌や墓は単なる目印。   浄土真宗以外=死んだら生前の業に相応しい所に転生(仏陀・阿羅漢は転生しないけど)  ただし霊魂があるとみなす場合には死後50年まで位牌に取り付いていて良い。 と言う事になっています。御経や念仏・お題目で個人が癒されるかどうかですが 私個人の意見としては「YES」です。但し霊感体質の方は御墓での読経はお勧めしません。 (供養してほしい赤の他人の無縁仏が寄ってくるから。霊感体質じゃなきゃ何ともないんだけどね 尚、私個人は門徒ですが神仏や霊魂の存在を肯定します。)

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質問者

お礼

お返事が遅くなり、申し訳ありませんでした。ご説明に感謝いたします、ありがとうございます。 姉自身は無宗教ですが、多分、夫のご実家と同じになるかと思います(何かは知りません)。 位牌や墓は単なる目印・・・、この情報は姉に伝えようと思います。姉は墓も仏壇もないことに、常に申し訳ない気持ちで過ごしているので、少し安心するかもしれません。 重ねてありがとうございました。

回答No.7

位牌、お経とありますから、仏教ということで回答させていただきます。 同じ仏教でも、中心となるお経によって極楽までの道のりが変わりますので、捉え方も変わってきます。 ちなみに私は浄土真宗ですので、浄土真宗的捉え方の仏教のお話をさせていただきます。 遺骨はお寺に預かっていただいているようですので、無理にお墓をつくる必要はありません。 お寺はお墓という考え方はもともとありますから・・・。 位牌にお経を唱える行為は気持ち的にはわかります。 ただ、位牌に執着しすぎてお姉さまのこれからの人生が位牌中心の人生になってしまっては御主人様は逆に悲しまれることになるのではないでしょうか? 位牌は位牌であって、位牌が御主人様ではありません。 御主人様は極楽にお生まれになられて、お姉さまを見守っておられます。 この御守に答えることのできますように、お姉さま自身が精一杯に生きる姿をお見せすることが一番の供養なのではないでしょうか? 亡くなられたと考えると悲しくなりますが、この世を卒業して極楽に生まれられたのです。 極楽で仏様となられて見ておいでになられます。 私たちが仏様を癒すとか供養するというのは少々傲慢なのではないかと思うのです。 逆に私たちが癒される立場なのです。 お仏壇が無ければ、お寺が仏壇です。 お墓が無ければお寺がお墓です。 御本尊の前が極楽への扉です。 手を合わせて、ご主人様を偲び、喜んでもらえる生き方をこの世にいる者は心がける。 お姉さまらしく生きる姿を極楽のご主人様にお見せすることが一番の供養です。

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質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。いただきましたご説明に感謝いたします、ありがとうございます。 私たちが仏様を癒すとか供養するというのは少々傲慢・・・、逆に私たちが癒される立場・・・ このご説明は以外で、私自身全く考えてもいなかったことでした、もっと、謙虚な気持ちとなり、する立場ではなくされる立場と考えるべきのようですね。 約40年という長い闘病生活だったので気の毒な人生だった、と、今でも悲しみの中にある姉ですが、元気づけることができそうです。 重ねてありがとうございました。

  • peri1005
  • ベストアンサー率33% (610/1798)
回答No.6

人は暖かい気持ちを向けられるだけで癒されます。生きていようと亡くなっていようとそれは変わらないこと。 供養の基本とは、気持ちを相手に向けることです。物を供えたり納骨することだけじゃない。基本がなければ成り立たないことです。愛することと似ています。 とても気持ちが込められていると感じる・・・それだけ大事にしてきた結果だし、これからもそうしていこうとする気持ちの表れです。これを最高の供養といわずして何を供養ということができますか?表面的な形ではないのですよ。 お墓や仏壇が買えないこと、たぶんわかっていたと思いますよ。でも一緒に人生を歩いてきた大事な相手から気持ちを向けてもらえるのはありがたいことです。基本さえ忘れなければ、物は将来にわたって一つずつ揃えていけばいいことです。 以上です。

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質問者

お礼

お礼が遅くなりまして申し訳ありませんでした、回答をいただきまして感謝をいたします、ありがとうございます。 姉は世間体を考えていて、ひどく気にはしていました。 今回の回答を伝えようと思います。少し楽になり、きっと、彼女の現在の状況が決して間違ったことではないと考えるようになるかと思います。 重ねてありがとうございました。

  • nekoi
  • ベストアンサー率48% (786/1636)
回答No.5

うちの祖母がそうですよ。<お寺にお骨を預かっていただき、供養していただくというパターン。 ●周忌などもお寺でお経を上げて下さり、しっかり行って下さるので安心でもあります。 我が家の場合は祖母が生前そういう形での供養を望んでいたのでそうなりました。 お墓参りなどはありませんので、希望の日にお寺にご連絡し、お経を唱えていただくという形になります(家族はその後ろで一緒にお祈りする。5000円ぐらい包んでいきます) つまり、永代供養になります(お寺に一定額を納めて、最後まで供養してもらう) お墓やお仏壇を高いお金をかけて購入するよりも、20~30万払って、最後まで供養してもらった方が安上がりになるかもしれません。(ただし、永代供養の相場はそこまで詳しくは知りません。恐らく祖母は数十万ぐらい払っていたんじゃないかと思うのですが、当時の相場ですし、祖母はとても熱心にお寺に通っておりました。詳しくはお寺さんにご相談なさるといいと思います)

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質問者

お礼

お礼が遅くなりまして申し訳ありませんでした。回答をいただきまして感謝をいたします、ありがとうございます。 実際に供養の仕方の事で、現在予算のない姉にとっては良いお話かと思いました。折をみてお寺の方へ相談することを勧めてみます。 重ねてありがとうございました。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.4

どんな形でも自然の成り行きとして亡くなった人はこの世で学んだ哲理が魂に刻まれ、経験そのものは消えていきます。簡単に言えばエッセンスだけを吸収して具体的な経験は置いていくんですよ。 だから宗派や肉体の処遇に関係なく、軽くなってあの世へと向かいます。 薪に火をつければ薪は何もしなくても燃えます。でも扇いであげると火力を増します。 シャボン玉はそのままでもある程度空中を漂いますが、下から煽れば更に高く舞い上がります。 読経や祈りはその「扇ぐ」ようなものです。 普通にしていても魂は自然の理によって昇天し転生しますが、祈ることによって更に高みに登ることができるということなのです。 とはいえ預けるというのはいわば下宿しているようなものですよね。それはそれでもいいのでしょうけど、やはり持ち家はほしいですよね。 実際にそのようにたとえて「墓をしっかりしないと家が滅ぶ」などという人もいますよ。コレが正しいかどうかは判りませんけどね。

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質問者

お礼

お礼が遅くなりまして申し訳ありませんでした。回答をいただきまして感謝をいたします、ありがとうございます。 祈ることによって更に高みに登ることができるということなのです。・・・彼女は毎朝夕に般若心経を唱えているようです。”これが一番仏さんに良いお経・・・”だとか。これも祈りに入るかと思うのですが、いづれにしても、夫を想う気持ちはとても強く今も持ち続けています。 重ねてありがとうございました。

noname#159051
noname#159051
回答No.3

もちろん供養になっていると思います。 以前雑誌で読んだのですが、 有名なお寺の住職さんが 「お墓にお参りできなくても、 日々故人を思い、懸命に生きることこそ 故人に対する一番の供養です」と仰っていました。

  • popotango
  • ベストアンサー率16% (16/96)
回答No.2

亡くなった人が癒されるかどうかは誰にもわからないのでは? 私は、供養というのは位牌やお仏壇などが無くてもただ、手を合わせるだけで充分かなと思います。私がやってきたのは、心の中でいつも見守ってくれてありがとう・今日はこんなことがあったよ・出かけて帰ってきたら、無事に帰りました・・ありがとうなどと手を合わせていました。お寺のかたが、言っていたのは亡くなった方に感謝することだったかな? お姉さんが毎日、お経を唱えていらっしゃるのはすごいことです。一度もしたことがありませんし、ちょっと無理かもです。 立派なお墓があってもお参りしない方やお仏壇にお供え(ご飯やお水)をしない方もいらっしゃるそうです。 たとえ年1回だけだったとしても故人に対して感謝の心を持てばいいご供養になるのではないでしょうか。

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