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35年間会っていない幼馴染
40代♂、私は転勤族の家庭で育ちました。小学校は3箇所、中学に入る時も転校・・・転校も全国に散らばっている上に、当然現在住んでいる所も、両親が住んでいる場所も、全く違う場所です。 そんな具合で、幼馴染も居らず、常に他人の中で成長してきた感じで、常に何処か違和感を持って今まで来てしまいました。 今でも思い出すのが、最初の小学校の頃に住んでいた場所です。「転校」を経験する前の「自然体」の自分であったあの頃・・・そして自然と出来ていた近所の子供たちとの輪・・・。これは、転校後には経験できなかった類のものです。 その近所の子というのは、同じ社宅に住んでいたので、父が健在の今なら、連絡が取れなくは無いのです。 35年・・・当然私も変わりましたし、相手も変わったことでしょう。会ってみたい気もするし、会えるとしたら、今しか無い・・・。反面、思い出として心の中にしまっておいた方が良いのかも・・・。 普通の人なら、後者を選ぶのでしょうが、度重なる転校で、常に余所者として育ち、子供時代を共有出来る友達の居ない私の感覚は、少し違うかも知れません。 似たようなエピソード、有ったら教えて頂けませんか?
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- yuyuyunn
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こんにちは 私も同じような環境でした 1回だけの転校でしたけど 会いたいですね 小学校低学年だったので同窓会もないですし たまたまですがそのふるさと(私にとっては心のふるさとです)を散策する機会に恵まれまして 住んでいた家の前とか歩いてよく行っていた和菓子屋さんに立ち寄りました そうしたら幼馴染がよく買いに来ると言う事を聞きました(その子も引っ越しています) 多分次にその和菓子屋さんに行った時私の家族と私の話題が出ると思います おばあちゃん年だから忘れられちゃうかな・・・ でもなんかつながりが有るっていいですよ
- lions-123
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>35年間会っていない幼馴染 ↓ 私なら懐かしい会ってみたいという気持ちに素直に従います。 どんなに変わっていても・・・ ◇思い出を共有できる、一緒の体験をした仲間・友は、これからは決して増える事はない大事な同志です。 ◇会ったり連絡したり訪ねたり・・・先ずは「思い立ったが吉と言います」アクション~その後は、自分自身の感性・価値観で決めれば良い。 ◇仮に、嫌な思いや、気の合わなかった友人でも、35年間の時間薬で変化しているだろうし、人生のスパイスにも成るだろうと思う。 そのスパイスの使い方や味わい方を知り工夫出来るだけの人生を互いに経験して来ているのだから・・・ 手を伸ばし足を運ばなければ、連絡したり合わなければ、何も起こらない始まらない加わらない、現在の暮らしや生きざまに新たな刺激や喜び楽しみ、情報や記憶がスパイスが・・・。 ex,同窓会で仲の悪かったアイツが彼女が参加するなら・・・と気が重く出かけたとしても、会えばすっかり皆な良いオッサン&オバサン。 会えば子供自慢や孫自慢、ペットの話に趣味の話題、皆が同じ空気を吸い同じ教室で学んだ頃に戻れる。 そして人生のアルバムを一緒に見たり聞いたり語り合って、蟠りなく楽しく懐かしい思い出・友情が蘇えってくる。