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中学生の凶悪化とは?
- 中学生の凶悪化とは、過去30年から現在までの中学生を中心とした犯罪が増加している可能性があります。
- 大津の中学生自殺をきっかけに、中学生による幼児殺害や両親殺害などの事件が増えています。
- 教師や学校、教育委員会の無関心や被害者の周辺の口封じなどが問題となっています。
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重大な勘違いをされているようですね。市長も教師も学校も教育委員会も第三者じゃないのです。どれも損害賠償請求訴訟を起こされれば被告席にたたされる当事者であり利害関係者です。 市長と教育長の連携要求…いじめ自殺で大津議長 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120724-OYT1T00643.htm 青山議長の弁を聞けば分かるでしょう。青山議長の認識は、この事件は大津市の難局であって、今は仲間割れをしている場合じゃないというものです。青山議長は、被告の立場で一丸となって、市長と教育長は損害賠償請求訴訟に対処せよと注文をつけています。彼らにこういう基本認識がある以上は、うやむやにして逃げ切れれば大津市の勝ちとなります。これは大津市の市ぐるみの犯罪なんです。だからこそ根が深い。地方教育行政は常に隠蔽、封殺、捏造に走ります。それが地方教育行政の本質的な体質なのです。なぜなら彼らは被告席の立場でしか物事を考えられないからです。人権万能の戦後教育が生み出したがん細胞が大津市です。今の時代は、親の世代もどっぷり戦後教育を受けています。人権万能の戦後教育がモンスターペアレント、モンスタークレーマー、ストーカーといった怪物を生み出した。私たちは人権万能の教義の呪縛を受けて、どうにもできないでいる。 大津いじめ自殺 教育長が「こっちも被害者」と発言 (週刊朝日) - Yahoo!ニュース http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120723-00000005-sasahi-soci 私たちが関心を持ち続ける限り、マスコミは報道を続けるでしょう。しかし、私たちが関心を失えば、マスコミはぱたっと報道を止めます。だからこそ、私たちは関心を持ち続けなければならない。それが私たちにできる最低限の社会的貢献なのです。
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- michael-m
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数字というものはあまり信用しないほうがいいですよ。 例えば、そのグラフが絶対数のグラフなのか殺人事件の内訳のグラフなのかによって違います。まして割合の比較では意味を持ちません。他の原因が増えれば相対的に減少と見えるからです。 また例えば虐めによる自殺も殺人の数に含めていた場合、裁判で無罪を獲得すればその時点で虐め自殺は殺人の数に含まれなくなりますし、項目を細分化するだけでも数に変動をきたします。 例えば24時間以内の死亡を殺人として、それ以上を致死にすれば、医療の進歩だけでも致死が増えて殺人は減少してしまうのです。 更に悪いのは「憎たらしいから首絞めたら死んだ」のと「遊びで首絞めたら死んだ」では後者は殺人ではなくなるということです。これは事件の凶悪化に反比例して数字が好転するということですよね。つまりグラフというのは鵜呑みに出来ないということです。 それに教師をはじめ教育委員会などと称する天上り機関がある以上、教育は良くなりはしません。 彼らは金と名誉が欲しいだけです。勤続何年で市の表彰、県の表彰、そして国の表彰を受けたいだけの話です。それが彼らの冥土の土産なのです。そのためには何らかの責任を取ってはいけない、揉め事があってはいけないのです。 本来ならばこういう問題を直接解決したものが受けるべき表彰を勤続年数だけで受け取るということが問題なのです。実際に地域のために大きな功労のあって何度も市の表彰を受けた人が国の表彰に推薦された時、県の表彰を受けて何もしてこない胡坐をかいていただけの人に「県の表彰も受けずに国の表彰を受けるのはおかしい」と横槍をいられて推薦取り消しになったことがあります。 経歴に傷を付けたくない・・・これはこういうことなんですよ。ほかに理由など無いでしょ。 どうせ誤るだけなのですから、給料が変わるわけでも、退職金に響くわけでもなんでもないんですから。 責任追及ったって、学校側から報告がなければ、そして直接調査しなければ同義的責任というだけで、裁判長引かせて退職にこぎつければ現場の教師以外は関係ないし、次の役職に移ってしまえば経歴に傷はつかない。あくまでも役職そのものに傷がつくだけ。つまり教育委員会は第三者機関ではなく、第三者面機関なのです。 それに弁護士だって無罪を勝ち取れば功績になって、それ以降犯人が何度反抗を犯しても関係ないわけでしょ。 適当に物語を作って罪を軽くしようとするのは当たり前の行動です。 今の子育ては「我侭をとめてはいけない、子供を叱ってはいけない。そんな事をすると子供の能力を阻害する事になる」としています。だから親は注意しようとした人を攻撃する、子供はそれを見ている。つまり自分の欲求を止める者は悪なのです。 では子供に勉強させようとする親と遊びたい自分ではどちらが悪でしょう。答えは簡単「親」ですよね。悪は排除して良い。それがアンパンマンをはじめ全てのドラマの基本です。アンパンマンだって諭すこともせず殴るだけですから。少なくともアトムは諭していました。そしてそれでも攻撃する相手をやっつけ、その後に悲しんでいました。いまやアトムは存在しません。 さてこの子供が大人になって、自分を制する上司や他人がいます。誰が悪でしょう。当然上司や社会ですよね。 金が欲しい、欲しい物がある。だから銀行に行って金をよこせという、その子にとってそれは自然な行為なのです。だって自分の我侭を泊めてはいけないと親が言っていたからです。それは米国の教育学者が主張した事ですから、科学的根拠な訳です。そして日本の教育界も認めている方針なのです。 これは事実の話。ある中学校で日本文化を伝える教室があります。それは正式科目でもあります。そこに不良が入学してきて畳の上で煙草をすった。そこで校長は何をしたか。火事になると大変だからと言って畳を上げさせた。使うときだけ出せば良いと。 でもたたみは上げ下げするとあっという間に痛むんですよ。すると校長「直す気などありません。文化など無用です」他の教員も「三年間ですから」というだけ。 これが日本の教育現場なのです。
お礼
ご意見ありがとうございます。
- yasuto07
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これこそ、が日本国の仕組みでは、意味わかりますか?。原発の事故責任を取らない、ショウヒゼイゾイゼイシテモまかり通る、国民性、沖縄の問題、オスプレイの問題、日本自体が、問題を隠す体質にある国なのです、意味わかりますか?。
お礼
このような日本の体質、どうにかならないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。関心を持ち続けます。