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原発に対するスタンスと「右」「左」の関係
このサイトを含め,ネット上でよく見られるのですが, 原発容認=右 原発反対=左 のように区分けされる根拠がわかりません。 この区分けを適用すると,例えば 野田氏=右 輿石氏=右寄り 小沢氏=左 石原氏=右 橋下氏=左寄り …… のようになるかと思いますが,どうもスッキリしません。 「右」「左」の定義自体が曖昧だということは理解していますが,それにしても,「右」「左」のどのような側面が原発に対するスタンスと関係するのでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
スッキリしないと感じられるのも道理だと思います。現在の原発反対と政治思想の右左は関係ありません。なにしろ、放射能は相手を選んでくれませんから。 ただ、原発反対派に「左翼的」と目される著名人が目立つこと、左翼の流れを汲む市民派が合流していること、従来原発に反対していた人に左翼系の人が多いことから、このような「誤解」が生まれたのではないでしょうか。しかし、現在の原発問題はすでに「左翼」の枠組みにおさまりません。 むしろ国土から「故郷」が失われようとしているときに、なぜもっと右翼が怒りださないのか不思議です。 にもかかわらず原発反対が「左」とされているのは、はっきり言って賛成派の中でも、目下進行中の問題を理解するつもりのない人たちが慣れ親しんだレッテルに落としこんでわかった気になっているだけ、なのだと思っています。 その証拠に、反原発派は自分たちの主張を特に「左」だとは言わないし、賛成派を「右」と呼ぶこともありません。基本的には右左を問題にしていないのですから当然ですね。原発問題にこの区別を持ちこんでいるのは、ネットの言説を見ているかぎり明らかに賛成派の人たちです。 ですので、通常の政治的右左を原発問題に当てはめると「スッキリしない」事態になるのでしょう。 たとえば、質問者様が上げている旧社会党系の輿石さんが「右」というのはきっと本人もビックリでしょうし、新自由主義に親和性を見せている橋本さんが「左」というのも変な話です。 政治的右左のあいまいさの理由について、わたしは社会政治的な主張と、経済的な主張という異なる価値観が混同されるからなのではないかと考えています。 社会政治的には、パターナリズム(父権主義、温情主義)に代表される伝統的な秩序や規範意識に重きをおく人と、リバタリアン(自由至上主義)に代表される個人の自由に重きをおく人の対比があります。そして経済的には、市場原理主義ともいわれる自由放任(レッセフェール)を目指す人と、社会主義的な平等あるいは公正を目指す人がいます。 一般的にはそれぞれの価値観の前者を「右」と見なし、後者を「左」と呼びますが、両者は異なる物差しを用いているのですから必ずしも一致しません。ネオリベとネオコンは通常「右」で一括してしまいますが、実際に彼らの言い分を聞いているとそれなりに違いがあります。 わたしは社会政治的な価値観を「保守派」と「革新派」で分け、経済的なほうは「右派」と「左派」と呼び方を変えています。 そこから、保守派で右派は伝統的な体制派、保守派で左派は全体主義、革新派で右派はアナーキスト、革新派で左派はリベラルとしています。あくまでも極端な形では、ということで、大方の人はほどほどのところで収まりますが。 また、これはどれが正しいのかという判断はふくみません。あくまでも分類する物差しの整理です。 などと考えていくと、原発問題自体はこの物差しで測れないものだとわかります。いかに反原発派に「左翼」が多くても、左翼の運動とは見なせないのです。 原発問題に政治的な右左の区別を持ちこむ人は、原発問題ではない別のことがらを問題にしているのだと思います。
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- covanonki
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>私は,新自由主義,「小さな政府」指向,靖国問題に代表される歴史認識,等々の面から彼 >を「右」と信じて疑わなかったのですが,そういう見方もあるのですね。 小泉氏が靖国問題に対して、靖国参拝を行ったりしていますが、彼が本当の意味で天皇制を受け入れていて、本当に戦没者の皆様に対して畏敬の念を以て靖国参拝を行ったかというと、そのことには非常に疑問があります。 たとえば、彼の後を引き継いだ安倍晋三さんは間違いなく正しい歴史認識を持っているでしょう。ですが、小泉氏はどちらかというとパフォーマンス的要素の方が強いと思います。 民衆に受けが良いからやった、とただそれだけではないのかと。 「右」か「左」かでいうと、大きな政府は右、小さな政府は左です。 元々「右翼」とか「左翼」という表現は最初の回答でもお示ししましたが、フランス革命において王族や貴族の人間で、議員の右側に座った人たちのことを「右翼」、王政や貴族政治に反発し、革命を起こした側の人間が座っていたのが左側だったから彼らのことを「左翼」と呼んだ。ただそれだけのことです。 革命を起こした側ですから、左翼に「革新派」、また王政、貴族政を貫いていたグループですから、右翼のことを「保守派」と、そういったイメージを持つ人が多くいるのも当然のこと。 で、「革新派」のことを、別名「リベラル」って呼びますよね。「リベラル」って、「自由主義社会」のことです。Wikiから引用してみます。 >啓蒙思想から生まれた近代思想の一つであり、人間は理性を持ち従来の権威から自由であ >り自己決定権を持つとの立場から、政治的には「政府からの自由」である自由権や個人主 >義、「政府への自由」である国民主権などの民主主義、経済的には私的所有権と自由市場 >による資本主義などの思想や体制の基礎となり、またそれらの総称ともなった。自由主義 >は政治や経済における多元主義でもある。 つまり、民主主義も自由主義経済社会も、元々は左翼的思想の中から生まれたということ。 みんな「右」や「左」の意味をものすごく誤解しているんです。そしてそれが正しいと信じて疑わない。本来の意義であれば、緊縮財政政策=右、財政出動政策=左ですが、今日本にいると、そんなイメージないですよね(むしろその逆)。私もその上記したように考えています。 つまり、時代の変化に合わせて、また場所や地域に合わせて右や左の意義は変化しています。また、「右傾化した左翼」に「左翼」が反発したり、また「右翼」が左傾化して来たり・・・。 小泉氏・・・今の原発問題に対してどのような態度をとるでしょうね・・・。 私は、おそらく「原発に賛成」の態度をとるのではないかと思います。 なぜなら、彼の政治姿勢を決めていたのは彼の意志ではなく、アメリカから送られてくる「年次改革要望書」という「要望書」という名の「命令書」だったからです。 で、お得意の口先とパフォーマンスで民衆を巻き込み、自分の意見に賛同させる、と。 まあ、逆にその要望書に、「原発に反対し、再生可能エネルギーを推進するようにしろ」と記されていれば、そのような態度を表明したでしょうが・・・。
お礼
再三の回答,ありがとうございます。 右左は難しいですね。
- isoken
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>原発に対するスタンスと「右」「左」の関係 当サイトには珍しく(というと語弊があるが)、良識ある回答が出揃った感がありますが、以下私なりの考えを申し上げます。 概ねどの回答者様も仰られておられるが、原発賛否と思想的な位置付け(左右)との相関関係は恐らく単なるこじ付けでしかない、即ち原発問題をより次元の低い左右二元論に貶めて語らざるを得ない、メディアの表現力の乏しさとレベルの低さ、或いは何等かの意図に依るものであると考えます。 こと原発問題に関して、私個人は無定見・ニュートラルを以って任じておりました、即ち3.11を境にしてそれ以前は無関心、以降は反対(その理由は明確、安全神話と原発に依る廉価な電力コストが完全なる虚構である事が判明しましたので)といった具合に。 何しろ国家運営の根幹に関わる重大なテーマですから、様々な意見が存在して然るべきというのが私個人の基本スタンスですが、ただどうなんでしょうか。 例えばタレントである山本某に代表される、少々エキセントリックな反対派に関しては、正直申し上げて大いなる違和感を禁じえないし、胡散臭い自称市民団体・活動家が滔々と述べる、全く説得力を有しないある種レトリックの類に至っては、もうんざりというのが正直なところ。 まあ賛成派の我田引水的な強弁もどうかとは思うのですが・・。 その昔の左翼・学生運動を想起させる、或いはシー・シェパードに代表される、異文化を完全に排除した故無き絶対的な価値観を持つ自然保護団体の如きものへの反作用(嫌悪感と言い換えても良いが)からか、徐々に原発容認へと傾く自分を強く意識しております。 総じて彼らの非論理的でエキセントリックな反対活動は、原発問題に関して従来ニュートラルと目される多くの良識派をその反対側に追いやる、つまりは天に向かって唾を吐く行為に他ならないと思われるのですが。
お礼
回答ありがとうございます。 ご指摘のとおり,両派とも一部に感情的・ヒステリックな人たちがいる(しかも,そういう人ほど声が大きい)点が政治運動の右左と雰囲気的に似ているので,それに結びつけてお互いを非難しあうという構図があるのかもしれません。
- covanonki
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No.8です。 ちょいとだけ意見させてください。 小泉は右ではないと思います。「右の顔をした左」。 「公」である郵政を民営化したことがその一番の論拠です。彼が大切にしたのは「公」ではなく、「投資家」という民衆です。 彼は多くの規制緩和を図りました。規制緩和とは、すなわち「公」の役割をすべて民営化してしまうこと。右だとか左だとかいうつもりはありませんが、あいつを右だということには絶対に反対です。
お礼
再度の回答ありがとうございました。 私は,新自由主義,「小さな政府」指向,靖国問題に代表される歴史認識,等々の面から彼を「右」と信じて疑わなかったのですが,そういう見方もあるのですね。 そういえば小泉氏は原発問題に対してどう考えているのでしょうかね。
- covanonki
- ベストアンサー率48% (219/448)
もともと「左」っていうのは、市民運動レベルで、民衆の側から政治を変えていこう、とする動きのことです。 逆に「右」は政府など公の側からそれまでの慣習に従って統制しようとする動きのことです。 フランス革命に起因します。 原発反対に対して、「左」のイメージが強いのは、元々「反原発」を訴えていたグループが共産党や社会党などに近い、いわゆる「市民派」と言われる連中であったことにあります。 実際、今反原発で徒党を組んで訴えている連中を見ると、全てが「民衆」であり、政治家は皆無に等しいですよね。んで、例えばメーデーで労働者側にいる人たちとか、借金を抱えて苦しんでいる人たちを救済するグループであるとか、時に「プロ市民」などと呼ばれる人たちが登場するカテゴリーに所属する人たちが活躍する場です。 反原発=左翼かというと、そうではないと思います。ですが、あそこまで大規模に徒党を組んでいる段階で既に「左傾化」していると思います。 いわゆる「左翼的思想」の持ち主は、「原発に反対か、賛成か」と、このように二元論でしか物事を考えられなくなっている人が多くいます。 そんな「左」に対するアンチテーゼとして「右」という存在を作りたがりますが、いわゆる「右」という存在は、既にフィクションに近いレベルだと思います。 右でも左でもなく、反原発でも原発推進でもない、第三の答えがあるんだ、という思想を持つことが大切ではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 公(右)←→民衆(左)という整理で,納得に近づいた気がします。 賛成か反対かの二元論でしか考えられない人は左だけでなく郵政問題の小泉氏をはじめとして右にも多数みられると思いますが,多くの人が「第三の答え」の存在を模索する柔軟な思考をもてば,不毛な対立も少しは減ると思うんですけどね。 回答を拝見し,自戒も込めてそう思いました。
- bougainvillea
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原発問題に関しては、右翼左翼の分類よりも、既得権益者かそうでないかの区分のほうが 良い見通しが得られるでしょう。 共産主義のソ連でチェルノブイリ事故ですから、右左の区分は あまり意味がありません。
お礼
回答ありがとうございます。 アメリカにも中国にも原発はあるので,政治体制と原発への姿勢がほぼ無関係であることは確かですね。
- y0OilIo1lm
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疑問ですよね。当然だと思います。なぜなら右左と原発賛否に論理的な必然性は無いからです。 自分はどちらかと言えば所謂右寄りだと思いますが、原発に関しては反対論者です。原発反対派は聖者だとか正義感ぶっているとか批判する人がいますね。あれも全くナンセンスですよね。自分はただただ怖いwwwから反対しているだけで、自分の主張していることが正義だと思っていないし、ましてや自分が聖者だと思っている訳ではありません。 自分のような右寄り人間でも、人前で日の丸に礼をする例のアレ、すごく嫌な感じがします。偽善を見せつけられているような気がするからです。真の愛国心は胸の中に秘めた水満々たる湖のようなものだと思っているからです。しかし日の丸に対する人前での最敬礼反対などと、もし叫ぼうものなら、恐らくあいつは左だと決めつけるでしょう。しかし繰り返しますが自分は右寄り人間です。 少々脱線気味になり申し訳ありません。結論として右左と原発賛否を結びつける人間は、恐らく原発賛成派の面々で、何の根拠もありません。彼らの思考の根底にあるのは、自分は右、自分と反対の意見を持つ者は左、左の人間は間違っている、そんなところではないでしょうか?気にしないのが最善だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 たしかに,「原発容認=右」というレッテル貼りよりは「原発反対=左」というレッテル貼りのほうが割合としては多いという感想を,私ももっています。
- mo9518
- ベストアンサー率23% (44/184)
私も質問者様と同様の感想を持ちます。 特にネット上では、原発に反対する者は左翼だというような声が多いように思います。 共産党や社民党が原発反対ということで、そのように感じる方が多いのかもしれません。 原発への賛否と政治信条とは、別のものと考えます。 調べた訳ではありませんが、福島県の方々は圧倒的に反原発だと思いますけど、福島の方々が左寄りだということにはなりませんよね。(本来、かなり保守的な地域です) 私は特に共産党が嫌いという訳ではありませんが、共産党の一貫して反原発という姿勢にも逆に疑問を感じています。 先に述べたように政治信条と原発への賛否は別物ではないかということです。 ただし、最近の政府の原発への対応には疑問だらけです。 個人的には近い将来の脱原発をめざすべきと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 原発への賛否と「右」「左」を結びつける側が間違っているのか,私の「右」「左」の定義に対する理解が間違っているのか,疑問に思って質問した次第です。 みなさんのいろいろな角度からの回答を拝見して,とても勉強になりました。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
右は右翼 つまり過激派 タカ派ともいいます 左は左翼 つまり穏健派 ハト派ともいいます 平和主義者ですね
お礼
回答ありがとうございます。 一般的にそのように説明されることは承知していますが,それではちょっと説明しづらい使われ方をしていることが気になったのです。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
右 → 将来の核武装に備えて、核の技術を手放す訳には いかない。 ということで原発容認。 左 → 社会主義の夢破れた左派の多くが、環境問題にシフト している。 原発は環境にとっての脅威である。 原発に対する姿勢が、総てイデオロギーで区分け出来るもの では無いでしょう。 ただ、上のような意図で原発の賛否を決めている人もいる ということです。
お礼
回答ありがとうございます。 たしかに,そういう人もいるのかもしれません。 輿石氏(右)や橋下氏(左)はたぶんこれに当てはまらない例なんでしょうけど。 割合としてはどのくらいなんでしょうかね。
- lions-123
- ベストアンサー率41% (4360/10497)
>原発に対するスタンスと「右」「左」の関係 ↓ 質問者様が仰っている通り、右・左の定義が明確ではありませんし、原発色んな視点や利害の側面を持っていることから、峻別のキワードと成りうるのかどうかも疑問です。 そこにはイデオロギーや一般的な保守革新の区分では決められないネジレ(重要ポイントでも左右の立場がカオス)や価値観(原発やエネルギーへの評価やリスクへの思い)の複雑な絡み合い葛藤があると思います。 20世紀にあったような左右のイデオロギー対立や市場経済と統制経済の優位性の問題が革命や核兵器にも評価したり反対したり、キレイな物と恐ろしい物があるように矛盾したおかしな審美眼や判定基準が存在したが、今は高度情報化社会であり、自由主義経済の中での自由な交易お市場メカニズムで白湯のイデオロギーを超えてグローバル化され繁栄発展の基礎要件にと成っているのでは・・・ どうように、原発問題もエネルギー政策やインフラや経済システムの根幹問題であり、丹案る左右の思想的背景とは異なり複雑で総合収支的な視点が求められるからではないでしょうか? 例えば・・・ ◇福島の原発事故への被害や影響 左右の思想信条的な区分に関係なく、本人や家族が避難や移住を強いられたり、大気&土壌汚染や風評被害の有無で被害者と支援者の関係の方が大きく、左右は視野視点には殆ど関係ない。 また、原発の近郊に居住されている方とその発電を利用している地域の方とでは危機感や恐怖&不安は質量共に異なるのでは・・・ そこには左右の違いよりも被害者や関係者、地元かどうかの違いが意見や主張に色濃く影響し、原発を見る目のバックグランド・判断軸と成っているのでは・・・ ◇原発やエネルギーへの評価やビジョン 多くの国民は原発を永遠に持つとか、今後、さらに依存率を強めるという発想はない。 ただ、そのスピード(即時全面→旧式&危険個所から廃炉→超長期計画を策定し安全第一の方針で可動利用しながらメンテや安全性を確保しつつ新エネルギーへのシフトを進める)、廃炉や廃棄物処理、復旧復興、代替エネルギーの長所短所、温室化ガスや原材料費&コスト、電気代等の優先順位を巡る意見の相違だと思います。 個人としての考えと家族や子孫(後世)に残し伝えたい気持ちとは異なる。 時系列や将来への展望・気体・責任では、原発への観方や評価のアプローチが異なり、当事者から評論家や審判員に成れば役割・時間軸の違いから主張や意見が変わる事もあり、それは左右の思想信条・価値観の不変(例外もあろうが・・・)とは大きく違う。 ◇雇用・経済効果・事故やテロへの不安・その他 思想信条や政党支持がどちらかと言えば価値観・人生観の問題だが、原発の恐怖やエネルギー政策のプライオリティは心理的・感情的な側面が強い。 また、実際に原発依存の地元では経済原発関係者という顧客の増減は地域経済や民力や教育保育施設への影響は大きく、その立場の違いや価値観は左右という定義や区分する座標と一貫性も因果関係も希薄だと思います。 ただ、反米反権力という事に重点を置き、反対のための反対、権力に批判する事には共鳴共闘する、反政府や反保守へのアンチテーゼとしての旗印・スローガン、不平不満のガス抜きや結集力に利用という面で、左翼系の団体や組織が原発問題を便乗利用している側面は否めない。 しかし、保守=原発推進ではないし、原発の代替エネルギー政策も段階的縮減への時間軸も異なると思います。 さらに、太陽光や風力や地熱やメタンハイグレード等への評価もイメージも複雑多様であり、資源開発や輸入&備蓄コストへの費用対効果についての見解も別れていると思う。 それはTPP参加や尖閣諸島の国有化等の問題でも同じで、単なる左右の信条的なバックボーン以外の生存権や人生観やナショナリズム(愛郷心や家族愛の集合した)、下種な表現では損得打算も含めて好悪・利害の影響もスタンスには強く関係していると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 ネット上の言説は多分に単純化したレッテル貼り的な側面があるので,そのへんは割り引いて見ているつもりですが,みんなが何を根拠にレッテルを貼っているのか,ちょっと気になりまして。
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お礼
回答ありがとうございます。 「右」「左」について私自身もそこまできちんと考えたことがなかったので,丁寧な説明で,とても勉強になりました。 >原発問題に政治的な右左の区別を持ちこむ人は、原発問題ではない別のことがらを問題にしているのだと思います。 「輿石は右だ!」「橋本は左だ!」のようなレッテル貼りがみられない理由が,この一文で納得できました。