私は昔の人間ですから、単純に結婚=家内安寧という感じですね。
家を守るためには結婚すべきと考えていましたから、結婚しました。
でも妻と二人、多くのことを学んできました。そして話し合いました。
で、家を守る理由がなくなりました。
妻の実家は浄土真宗、私の家は曹洞宗。どちらもこの世を修行の場としているのは同じです。
浄土思想では死は修行からの開放。となれば家計に関わる全ての人が修行を終えれば子孫はいなくなります。
実際に子供ができない家庭を身近に感じて、それが良くわかりました。
それに今では結婚という手続きをしなくても、婚姻関係と同じ権利の発生は容易になりました。
むしろ結婚という呪縛に縛られないほうが、本当の愛が育つのではないか。そう思うようになりました。
そして子供たちは、そんな私たちの感覚を感じ取ったのか、皆、同棲はしていますけど結婚はしていません。
一人は結婚しないまま、結婚と同様の権利を所有する毛続きをしたそうです(具体的には判りませんけど)
私たちはそれは子供たちの生活なので抵抗はあるものの強要はしません。
彼らは私たちより長く生きるのだから、私たちが死んだあとの責任まで取れませんからね。
自分たちで選んだ道の責任は自分で取ればいいんです。
真のパートナーを見つける、二人の愛を育てる。結婚はそのひとつの手続きではありますが、それが全てではありません。手続きに意味などありません、ひとつの表現手技でしかないのですから。
お礼
回答ありがとうございます。一緒にいて楽しくないと私も嫌ですねぇ…。