- 締切済み
40代、癌になり、母と決別したく思いました。
ネットでこの種類の証言を探しても、出てくるのは高校生からせいぜい30前後の女性の話ばかりです。40歳という年齢は実に遅く、そこにも何か大きな問題があるとは思っています。ただ、人の人生は様々です。同じような思いをされた方がおられるかどうか知りたくて、ここに投稿しました。よければ話を聞いてくださいませんか。 40歳になった昨年の末、癌を告知されました。乳癌、2A期、全摘手術で癌は摂り切り、その後は経口剤のみで経過良好です。癌と分かってから手術を終え、これからの生活を考え始めるまでの数ヶ月間で、過去や現在についての考え方が大きく変わりました。特に変わったのは、それまで誰が見ても仲のよい親子であった母に対する嫌悪感が生まれ、同時に、母と完全に決別しなければ全身転移で死んでしまう、という警告のようなものが、自分の内側から湧いてきたことです。 私の実家は父が大学の医学部教授で母が長者番付にのるくらいのやり手の開業医という家庭でしたが、崩壊していました。兄は中学生から暴力的になり、学校を追われ、17歳で姿を消しました。妹は無事に10代は終えたものの、24歳で不倫、数千万の借金、犯罪行為を働いて起訴寸前に精神病院送りとなり、その後結婚するまで自殺未遂を繰り返す20代を送りました。私は18歳に自活を始めて以来、実家から離れるたびに精神的に安定することに気がついていました。24歳で留学をし10年間を海外で送りました。 数年前父が亡くなり、母は四面楚歌となりました。兄も妹も父母を嫌い抜いていたからです。私しか父母の過去を肯定する人間はいないと知っている母は、私を呼び戻しました。私は兄妹の過激な「クーデター」を緩和するため、帰国しました。それ以来、私の無意識は再び母の支配下におかれました。 昨年病気が分かるまで気がつかなかったのです。悪性腫瘍を作っていたこの数年間、徐々に母親が私の人生の中心に居座り、私は外で得たすべてを母親に与え続えることを義務づけられていたことを。母はおそらく父にもそのように働きかけ、父はそのために衰弱死したのだと思います。私自身、親に隷属してきたのは愛情などではなく、常に暴力に晒されてきた子供の時に、必死に身につけた生存するための知恵だったのだと。 母は憎くないけれど、死ぬまで会いたくありません。説明する煩にも耐えられません。勝手でしょうか。どのようなご意見でもいいのです。聞かせてください。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
みんなの回答
- zizintarou
- ベストアンサー率34% (14/41)
誰しも自分が一番、かわいいからね。 できるだけ悔いの残らない人生を送るには自分で決断するしかない。 人、それぞれ家庭の事情はあるでしょう。 だからといって、自分を犠牲にする権利は誰にもないのも事実。 自分を大切にしてほしい。
病気は大変でしたが、安定しているようで良かったですね。 「母が重くてたまらない」「さよなら、お母さん」の著者で臨床心理士の信田さよ子氏が、NHKで40代の娘と母の確執を解説していました。あなたの気付きは遅いとは思いません。 私はかつて不定愁訴が重なり各科で診ても治らず、これはストレスが原因だろうと心療内科を受診しました。 10年間で、DV、離婚、離婚に伴う引越と転職、ストーカー被害、被害に伴う引越と転職、裁判、父の急死、リストラと続いた疲れが溜まり、体の調子を崩したと診断されました。 治療は二回で終えたものの心身に違和感は残ったので、次にカウンセリングを受けました。 DVやストーカーを受けた時の感情を話している時に、なぜか両親のことを思い出しました。危険な目に合い実家への一時避難を頼んだものの、体面が悪いからと断られた記憶です。 さらに子供の頃のことを話したら、両親が私にしていたことは虐待だったと教わりました。その影響で、同じように暴力的な夫や恋人の支配を許してしまったと知りました。 私は子どもの頃から両親とは衝突していましたが、独立してからの災難の方が急を要することだったので、両親からダメージを受け続けていることに気付く余裕がなかったのです。 その後母には少し距離を置くようにしたら、母は一人娘に捨てられると慌てたのか、妙にからんでくるようになりました。私は既に家族の病理を理解しはじめた頃だったので、自分でも驚くほど母に関わるのは危険に感じ、すぐに全ての接触を断ちました。 あなたはご両親にとって良い娘でいたために、ゆっくりと体が弱っていったのでしょう。 病気の後にお母さんと決別したくなったのも、とても良く分かります。体が心に警告を出してくれたのでしょう。 私も体の不調をきっかけに心身に意識を向けるようになったから、母に関わると自分が弱る・壊れるのを直感することができました。 こういう大きなインパクトでもない限り、親に支配されていた子は見切りをつけられないのだから、不謹慎な言い方ですが、病気も自分に気づく良い機会だと思います。 お母さんも私の母と同様、お父さんを亡くしてあなたへの依存を強めたのでしょうが、あなたは大病という代償を払ったのだから、自分の健康を第一に考えた決断をして下さい。 お母さんの孤独は彼女がしたことの結果で、あなたが罪悪感を持つことではありません。 親子の絆や母の愛を持ち出して、あなたをたしなめる人がいるかもしれませんが、あなた以外はあなたの苦しさを知らず、あなたの人生を背負ってくれないのだから無視しましょう。 条件が許すなら、ご両親から解放されて過ごした海外に戻ってはどうですか?私も実家から離れたところに移ったら、ずいぶん気が楽になりました。 私は体の不調を経て家族問題を知り、心身のケアを学び、考え方を変えました。人間関係も深く考えられるようになり、良い家族や友人にも恵まれました。人生は変えられるのです。 あなたにも健康と幸せが開かれていくことと思います。
40歳という年齢です。お母様と会いたくないならそうすればいいと思います。 幸いお母様は資産家のようですからあなたが面倒を見なくても有料の介護施設に入所すればいいと思います。 あなたの人生はあなたのためのものです。 お母様から離れた方がいいとあなたが思うならそうすればいいです。
- kaiyukan
- ベストアンサー率15% (482/3140)
そこまでツライなら、とにかく今は出て行けば良いと思います 距離を取ることで考え方や視野も変わるかもしれません
本の紹介です。 「ブッダの真理のことば 感興のことば」 中村元・岩波文庫 良いことが書いてあります。 2500年前、ブッダはこの世の仕組みに気付き(悟り)ました。 四苦八苦を紹介します。 ・この世はすべて苦であるという真理。 ・愛する人、好きな人とはいつか別れが待っている。 ・いやなこと、いやな人とも顔を合わせる。 ・自分が欲しいと思っても必ず手に入るとは限らない。 ・この世は、いやなことがなくならない仕組みになっている。 是非、読んでみてはどうですか。
- nonbiriboke
- ベストアンサー率27% (76/281)
本当に、家族って難しいですね。 もう一度、海外に生活基盤を戻せるのであれば、そのほうが良いように、思います。 国内だと、すぐに、お母様が連れ戻しにくるような気がします。 アメリカであれば癌治療は、かなり進んでいますし、10年も住んでいたのでしたら、色々、ご存じでしょうし、知り合いの方もいらっしゃるでしょう。医療の先進国だと良いのですが。 自分の心が平穏でいること。それが一番だと思います。 お母様からあなたの人生を返してもらって良いと思います。 日差しも強くなり、湿度も高くなっています。お体に気をつけて。
お礼
誰にも言えない問題について、耳を傾けてもらい、その上に理解してもらえるということは、それだけで心が救われることですね。ありがとう。
補足
外国にいたとき(主にフランスでした)、おそらく私は自分の人生をつかんでいたのだと思います。しかし、日本に、母の傍に帰ってもう6年経ちました。手に入れたのは癌だけ、これから欧州に帰って一からやり直すのは難しいかと二の足を踏んでしまいます。とりあえず、日本国内で母に見つからない場所へ移動することにしました。
- ichiyouha
- ベストアンサー率17% (58/324)
こんにちは ガンの経過が良好だということで 本当に良かったですね。 体調もつらくはないですか? あなたの文章を読ませていただいて 大学教授と長者番付のおうちに生まれても 幸せじゃないこともあるんだなーという感想です。 お母様と死ぬまで会いたくないとのことですが 会わないでいたらいいですよ。 どうしても顔を合わす必要がある時にだけ 我慢して会うのです。 親子の関係は難しいですが 「血」が許すということもあるかもしれません。 お体、大事になさってください。
お礼
「会わないでいたらいいですよ」のお言葉に感謝。お言葉のはかり知れない暖かさは、言われた身でなければ分からないかもしれません。
補足
「勝ち組」の家庭は、どこでもおそらく病んでいると思います。勝ち続けて、人を見下しているうちはいいけれど、本来の脆さが明るみに出た途端崩壊する人々が多いと思います。
- ringoice
- ベストアンサー率12% (22/180)
ご自分の人生です 後悔されないよう、ご自分のために行動してください
お礼
身も知らない方なのに、これほど深いお言葉をいただいて感謝します。正直、途中で体中に震えが走り、ぽろぽろ涙が出ました。理解されるとはこういうことかと感じ入りました。
補足
書いておられる通りに、配偶者との荒んだ関係、社会内孤独、理不尽な待遇にどこまでも耐えたための行き場のない不満、ストーカー被害など、私にとっても長年にわたって断ち切れていない悪運の連鎖です。諸悪の根源は、私が嫌なことを嫌、欲しいものを欲しいと言う能力を奪われて成長したことだと思います。何をやり遂げてもそこに何らの価値を与えることもできず、ただ同然で放出してしまうのも、自分を守ることを知らないからだと思います。同僚や上司などの周囲からは、「お金持ちに生まれて、稼ぐ必要もなく、野心ゼロのため、ほとんどマゾなくらいに損をする行動をする人」という評価をされています。もう遅いのだろうか、といつも思ってきました。癌と知ったときも、ああもう遅い、何も取り返せない、とそれまで譲るべきでないもの(価値観や夢)まで譲ってきた人生を深く悔やみました。