• 締切済み

母を怒鳴ったり、たたく夢を見てしまいます。

母を怒鳴ったり、たたく夢を見てしまいます。 私は小学生の頃、過酷な受験勉強をさせられました。 何年も外へ遊びに行く事は許されず、勉強がうまくできないと殴られたり、髪を掴んでひきずられたり、広辞苑を頭の上に振り下ろされたり、体中が痣だらけで毎日死にたいと思っていました。 私と同じように厳しくされた兄は不安定になり、中学の頃から兄の家庭内暴力が始まりました。 中学と高校では母と兄の喧嘩の声と、兄の物を破壊する音と、兄から殴りかかられるのに怯えた毎日でした。 大学を卒業してから家を出て、遠くの大学院に進学してしばらくして父が癌で亡くなりました。 父は諦めずに家の中をなんとかしようとずっと頑張っていました。 私もいい歳をした大人なので、高い学費と生活費を援助してくれた事に感謝しなくてはならない、そして60歳になった母も労わらなくてはいけないという思いがありつつも、心の中にある母への恨みの気持ちがどうにもなりません。 父が死んだのは母のせいだと面と向かって責めたいです。 だから時々母に怒鳴ったり叩く夢まで見てしまいます こういう恨みの気持ちを持ち続けるのはとても苦しいです。 もしどなたか、同じように母親を許せない方で、上手に憎しみの気持ちと付き合っていたらその方法を教えて頂けたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。

みんなの回答

noname#137229
noname#137229
回答No.5

NO1です。 中途半端で済みませんでした。 さて、私はもう以前の事を思い出しても、辛い事はありません。 唯、過去の事を書かないと、理解されない事がありましたので・・ 机上の空論を言うな・・とか、信用出来ないとか・・散々もめた事があって・・ ですから、過去の事を書いた方が良いのかな・・と思って書いてみただけなのです。 もう、長兄を恨んでも、憎んでもいませんし、今は感謝をしています。 最近の新聞での報道で、5歳で体重が5kgで・・ 虐待死・・の様な報道がありました。 私は虐待は受けましたが、食べさせてはもらいました・・ だから、虐待死する事もなく・・今も元気に生きて居られるわけです。 狂気の固まりの様な長兄でしたが、鬼では無かった様です。 それだけでも感謝です・・・ 勿論、感謝の気持ちが出たのはごく最近の話でもありますね。 長い前置きとなりました。 後遺症の件から話しますね。 長兄との年の差は15歳です。 つまりは大人と子供・・そのままでした。 で、何時も長兄の前に出ると、小さい私がいました。 もう、刷り込みと言うのでしょうね・・ 成人しても、長兄の前にでると、小学3年の私なのです。 長兄の前だけで小学3年に戻るなら、長兄と会わない限りは影響がないはず・・なのですが、 体格の良い人や、声の大きい人、言葉遣いの乱暴な人の前(近く)にでると、私の身体は大人なのに、 心は小学3年生に戻ってしまうのです。 これは、カウンセリングなどを行ってから、あの感覚は小学3年生なのだ・・と分かったのです。 それまでは、何か変な感じはしていましたが、体格の良い人は何となく嫌い・・で、キライなのだからキライなのであって、その原因などを突き止めようなどとは思いもしませんでした。 体格が良いと言うだけで、苦手・キライなのですから、人間関係はとても片寄っていました。 世間が狭いとも言えますし、どの様に素晴らしい人であっても、素晴らしさを感じる前に、縁を切っていたのでした。 まあ、その他ににも後遺症はありますが・・ 人と目を合わせられない・・顔を上げられない・・などなど。 私は、偶然な事に武術の先生と50歳の頃に出会いました。 変わった先生で・・その縁でカウンセリングを受けるようにもなりました。 虐待を受けなくなってから、35年が過ぎていました。 そして、虐待のトラウマと言うのでしょうか・・長兄と・・本当は自分と向き合える様になるまでそれから7年かかりました。 私はそれまでカウンセリングなどと言う言葉も聞いた事もありませんでしたし、きっとカウンセリングを受ける準備が出来るまでの時間が35年だったのでしょう。 それに引き替え、あなたは、今自分の心を見つめようとしています。 この様な事は、一日でも早く気付けば、気付くほど、心が早く癒されると思います。 さて、感情と言うものは、とても厄介なものです。 感情のエネルギーの前では、理性のエネルギーなどあっと言う間に飲み込まれてしまいます。 また、感情のエネルギーの厄介な所は、放出されないと、何時までも・何時までも身体の中に蓄積されている・・と言う事なのです。 お母さんの事をあれこれ言いたいのなら、出来るなら全てをはき出し尽くさなければなりません。 もちろん、お母さんに面と向かって・・などではないですよ・・ 何処かの原っぱでも良いですし、大きな川などがあれば、誰もいないような所、山奥ならこれ幸いですね。 また、この様な掲示板に色々と書く事も良いでしょう。 時間とお金が許すなら、カウンセリングなども良いと思います。 とにかく、感情のエネルギーを少しでも多く放出しなくてはなりません。 感情などと突然書いてしまいましたが、教育の現場では一番欠けている分野の話ですね。 感情とは、言葉では言い表すことが出来ないから・・感情なのですけどね。 感情にも色々と名前がついていたりはします。 便宜上・・ですが、しかし、それは感情そのものを表してはいないのです。 あ、何を言いたいのか・・でしょうね。 そう、感情を放出して、次には(同時進行でも良いのですが)感情の教育をしなくてはならないのです。 >>私もいい歳をした大人なので、高い学費と生活費を援助してくれた事に感謝しなくてはならない、そして60歳になった母も労わらなくてはいけないという思いがありつつも、 これは、理性の言葉・・ですよね。 >>心の中にある母への恨みの気持ちがどうにもなりません。 これは、感情の言葉と言うか、本心でしょう。 これら二つの事はあなたの心の中で何時も鬩ぎ合っている訳です。 そして、この文から読み取れることは、感情を抑圧しよう・・としている様にも見える事です。

noname#137229
noname#137229
回答No.4

NO1です。 中途半端で済みませんでした。 さて、私はもう以前の事を思い出しても、辛い事はありません。 唯、過去の事を書かないと、理解されない事がありましたので・・ 机上の空論を言うな・・とか、信用出来ないとか・・散々もめた事があって・・ ですから、過去の事を書いた方が良いのかな・・と思って書いてみただけなのです。 もう、長兄を恨んでも、憎んでもいませんし、今は感謝をしています。 最近の新聞での報道で、5歳で体重が5kgで・・ 虐待死・・の様な報道がありました。 私は虐待は受けましたが、食べさせてはもらいました・・ だから、虐待死する事もなく・・今も元気に生きて居られるわけです。 狂気の固まりの様な長兄でしたが、鬼では無かった様です。 それだけでも感謝です・・・ 勿論、感謝の気持ちが出たのはごく最近の話でもありますね。 長い前置きとなりました。 後遺症の件から話しますね。 長兄との年の差は15歳です。 つまりは大人と子供・・そのままでした。 で、何時も長兄の前に出ると、小さい私がいました。 もう、刷り込みと言うのでしょうね・・ 成人しても、長兄の前にでると、小学3年の私なのです。 長兄の前だけで小学3年に戻るなら、長兄と会わない限りは影響がないはず・・なのですが、 体格の良い人や、声の大きい人、言葉遣いの乱暴な人の前(近く)にでると、私の身体は大人なのに、 心は小学3年生に戻ってしまうのです。 これは、カウンセリングなどを行ってから、あの感覚は小学3年生なのだ・・と分かったのです。 それまでは、何か変な感じはしていましたが、体格の良い人は何となく嫌い・・で、キライなのだからキライなのであって、その原因などを突き止めようなどとは思いもしませんでした。 体格が良いと言うだけで、苦手・キライなのですから、人間関係はとても片寄っていました。 世間が狭いとも言えますし、どの様に素晴らしい人であっても、素晴らしさを感じる前に、縁を切っていたのでした。 まあ、その他ににも後遺症はありますが・・ 人と目を合わせられない・・顔を上げられない・・などなど。 私は、偶然な事に武術の先生と50歳の頃に出会いました。 変わった先生で・・その縁でカウンセリングを受けるようにもなりました。 虐待を受けなくなってから、35年が過ぎていました。 そして、虐待のトラウマと言うのでしょうか・・長兄と・・本当は自分と向き合える様になるまでそれから7年かかりました。 私はそれまでカウンセリングなどと言う言葉も聞いた事もありませんでしたし、きっとカウンセリングを受ける準備が出来るまでの時間が35年だったのでしょう。 それに引き替え、あなたは、今自分の心を見つめようとしています。 この様な事は、一日でも早く気付けば、気付くほど、心が早く癒されると思います。 さて、感情と言うものは、とても厄介なものです。 感情のエネルギーの前では、理性のエネルギーなどあっと言う間に飲み込まれてしまいます。 また、感情のエネルギーの厄介な所は、放出されないと、何時までも・何時までも身体の中に蓄積されている・・と言う事なのです。 お母さんの事をあれこれ言いたいのなら、出来るなら全てをはき出し尽くさなければなりません。 もちろん、お母さんに面と向かって・・などではないですよ・・ 何処かの原っぱでも良いですし、大きな川などがあれば、誰もいないような所、山奥ならこれ幸いですね。 また、この様な掲示板に色々と書く事も良いでしょう。 時間とお金が許すなら、カウンセリングなども良いと思います。 とにかく、感情のエネルギーを少しでも多く放出しなくてはなりません。 感情などと突然書いてしまいましたが、教育の現場では一番欠けている分野の話ですね。 感情とは、言葉では言い表すことが出来ないから・・感情なのですけどね。 感情にも色々と名前がついていたりはします。 便宜上・・ですが、しかし、それは感情そのものを表してはいないのです。 あ、何を言いたいのか・・でしょうね。 そう、感情を放出して、次には(同時進行でも良いのですが)感情の教育をしなくてはならないのです。 >>私もいい歳をした大人なので、高い学費と生活費を援助してくれた事に感謝しなくてはならない、そして60歳になった母も労わらなくてはいけないという思いがありつつも、 これは、理性の言葉・・ですよね。 >>心の中にある母への恨みの気持ちがどうにもなりません。 これは、感情の言葉と言うか、本心でしょう。 これら二つの事はあなたの心の中で何時も鬩ぎ合っている訳です。 そして、この文から読み取れることは、感情を抑圧しよう・・としている様にも見える事です。

  • 2411jp
  • ベストアンサー率42% (100/235)
回答No.3

ここに書いた気持ちをそのまま手紙に書いて、お母さんに読んでもらえばいいと思います。 あなたの気持ちをまず知ってもらうこと。 それから、あなたがどうしてほしいのかを伝えることです。 このような憎しみを自分の心の中にしまっておいても解決しないと思います。 この文章を読んでも、お母さんを責めている感じはしないので、お母さんとしても受け入れやすいと思います。 お母さんが何も言い訳せずに、一言「辛い思いをさせてごめんね」と謝ってくれれば、あなたの苦しみは癒されると思います。 ですから、「お母さんにも色々言い訳があると思うけど、でも『お母さんが悪かった』と言ってほしい。」 と、お母さんに伝えるのです。 「お母さんは~」という言い方をすると、お母さんは「責められている」と感じ、自分を守るために言い訳ばかりしてしまいます。 「私は~」という言い方をすると、お母さんは素直に「悪かったな」と思えると思います。 あとはお母さん自身の問題です。 素直に謝ってくれるかどうかは分かりません。 最初は受け入れられずに憤慨する可能性もあります。 それでもあなたの今、抱えている気持ちを伝えるべきだと思います。 私も母を許せず憎しみの気持ちをもっていました。 初めてそれを伝える時はとても勇気が必要でしたが、伝えたことで少しはマシになりました。 最後まで納得できる和解は出来ませんでしたが、母に泣きながら怒鳴ったりする夢は見なくなりました。 時間とともに苦しみは癒されるとは思います。 お兄さんが家庭内暴力で気持ちをぶつけていたように、あなたも内に抱えた思いをお母さんにぶつけた方がいいと思います。

70511
質問者

お礼

アドバイスどうもありがとうございます。 いろいろ考えましたが、正直に伝えるのはまだちょっと怖いです。 それは、自分の過去を事実と認めなくない気持ちがあるからです。 私がやるべき事は、まず過去を受け入れる事だと分かりました。 どうもありがとうございました。

  • m1122n
  • ベストアンサー率46% (29/63)
回答No.2

おはようございます。辛い思いをされたのですね。にも関わらずお母様を許せない自分を責めておられる。非常に心のお優しい方ですね。 私も実父に虐待を受けた経験があります。 私は現在父を尊敬していますし大切に思っています。 それまでに時間もかかりましたし失敗もありましたが今は乗り越えられたと感じています。 私の主人もまた同様に虐待を受けて育ちました。結婚当初は相当親を恨んでいる様子がうかがえましたが今は少しづつ傷が癒えてきているように感じています。 まず、虐待を受けた自分の傷をゆっくり癒してくださいね。それまではお母様と距離をとっても構わないと思います。あなたはそうするより仕方ないのだから自分を責める必要はありません。 そして少し心の余裕ができてきたら、お母様にも心の傷があったのだと考えてみてください。幼少期に虐待を受けて同じようになってしまったことも考えられますし『学歴』のことで相当のコンプレックスがあったのかもしれません。だからといって虐待は絶対にいけないことですが自分のお腹を痛めて生んだ子供がかわいくないはずはありません。歪んだ愛情をあなたに注いでしまったお母様はまぎれもなく心の病だったと思います。だから、お母様も仕方がなかった。病気だったのだと考えてみてください。 少しづつ許せる気持ちが生まれてきますから。許せなくても構いません。自分を決して責めないでくださいね。長年の虐待、心の傷がいえるには相当の時間がかかることだと思いますから。 そしてあなた自身が将来家庭を持った時にどのような夫(妻)、親になっていたいかを想像して努力してみて下さいね。 あなたはあなたの幸せのためにお母様を許そうとしている、というように考えてみてくださいね。許すことができたら私は楽になれるわ、くらいに。理不尽に思える虐待そのものを許そうとすると心に無理が生じます。不運にも病気をもった母親だったのですよ。あなたは何にも悪くない。お兄様も然りです。そんな心の病気の中でもあなたの学費の面等、他にもお母様があなたに与えてくれた嬉しかったことをたくさん思い出して下さいね。 全て不幸だと感じることも、自分の将来にとってはプラスに変えられます。自分はそうならない、という反面教師にもなりえますし、同じような心の傷を負った方にも心から寄り添える自分でいられます。 あなたの心が穏やかに、そしてその優しさがさらに深みが増すことだと私は信じています。頑張ってくださいね。応援しています。

70511
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 母は病気だったと思う事にしたら、ちょっと楽になりました。 まだ子供のいない私には、見えてないものが沢山ありそうですね。 親というものが理解できた時に、もう少し許せる気持ちが出てくるかもしれません。 いずれ自分の子供ができたら、自分にはありえなかった家の中の笑いとか、暖かい家族の思い出をたくさん作ってあげたいと思います。 貴重なアドバイスをありがとうございました。

noname#137229
noname#137229
回答No.1

私は、長兄に育てられました。 家庭が複雑だったので・・ 兄と一緒に生活する様になって、数日後から虐待は始まりました。 重箱の隅をつつく・・と言う言葉を地でで言っている・・様な事の日々でした。 最初は、座り方・・だった様に思います。 昔の田舎の家なので、床は板の間・・そこへ正座・・結構きついものがありました。 次の日には、呼吸の仕方が悪い・・と。 更に次の日は、ご飯のお代わりの仕方が悪い・・ 等々。 あ、箸の持ち方などもこの頃の話・・長兄曰く・・躾・・らしいです。 躾のつもりで、子を殺してしまった・・・最近何件も連続で新聞で読みました。 躾と称しての虐待は、今も昔も変わらないらしいですね。 心が痛みます。 あれやこれやでの虐待は都合7年間続きました。 もちろん、殴る蹴るは、日常の話でした。 直径1cmの火箸(当然2本です)で殴られるのもこれまた定番でした。 あ、狂気の長兄でしたが、流石にこの2本の火箸で頭は殴りませんでした。 頭を殴られていたなら、今この様な書き込みも出来なかった事でしょう。 最低限のものは残っていたらしい・・その事に感謝です。 さて、私は中学を卒業する日を心待ちにしていました。 卒業をしたら即就職・・この地獄の様な生活から抜け出られる・・事だけが、希望そして夢でした。 で、バラ色の人生が・・ とは、なりませんでした。 7年間に及ぶ虐待の後遺症があったのでした。 虐待による後遺症に気付くまでに35年の年月が過ぎていました。 あ、出かける時間となりました。 続きは夜にでも・・・

70511
質問者

お礼

辛い経験を話してくださり、どうもありがとうございました。 今、少し救われたような気がします。 やはり後遺症があったのですね? 私は言葉が出なくなりました。 今は普通に会話できます。 お時間のある時に、また続きを聞かせてください。 どうもありがとうございました。

関連するQ&A