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絵画鑑賞に際しての基本的な疑問
最近絵画の鑑賞に興味を抱いた者ですが、同時に以前から抱いていた疑問もなかなか解消しません。 この疑問が脳裏の片隅に存在するため、なかなか素直に鑑賞することができません。 その疑問とは、「わざわざ絵を描かなくても写真に撮れば簡単で正確じゃないか」というものです。 なぜ、わざわざ絵を描くのか、極めて幼稚な疑問とは思いますが、これをスッキリ解消して素直に 鑑賞できるような、適格な名回答をお願い致します。
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- ahiru1009
- ベストアンサー率100% (1/1)
楽しみ程度に日本画を描いています。絵を描く者として「写真と写真のような絵」の違いを申しますと まず、いろんな方が言われてますが、絵はいらないものの排除・好きなものの切り取りと組み合わせが出来きます。それと自分の「印象」も加えられます。 そして、目で見て描いたものと写真には大きな違いが出るのがもうひとつ。 実際に物を見た場合と、写真を見て書いた場合を比べられたら一番わかると思うのですが、 どうしても「何か」違いがでます。すごく微妙な差なのですが・・・ たとえば花瓶に入った花を書いた場合。何時間も描いていると花が動いちゃうんです。 温度によって花ビラが開いてきちゃったり、しょぼんとしたり。 後、立体に見せようという意識が働いてますのでに影のつけ方も魅力的に変わってきます。 動物も動いてしまいますので、何枚もスケッチを描いて、それを参考に写実的に仕上げていきます。(参考程度に写真を見た描くこともあります) そのような事柄を魅力に感じている方々が「写真のような絵」を好んで描いて居られるのだと思います。 その魅力が上手く引き出せている絵はおそらく見たときに「あ、なんかいい!」と感じられると思います。しかし写実的な分見慣れた画面になりやすく魅力を印象付けにくいのも事実ですので、そこは好みですね(´д`;) 写真を見たまま、画面を図り特に自らの表現要素をいれずに描かれる方もいらっしゃいますが…その場合は作者が、写真のようにかけた事に満足感を得られるのと、単純に見た人が「すごい」と評価してくれるので、描いていると思います。 それは表現ではなく技術で見せている場合がほとんどかなと思います。 実際に見て描かれてる人でもそういう方がいます。 そういうのはまた絵画とちょっと違うジャンルかな・・・と個人的に思いますが・・・ もし気分を害された方がいたらすいません。消して否定しているわけではないですので・・・ 長々とすいませんでした。
- 2141214188papa
- ベストアンサー率20% (9/44)
上手く書けるかどうか分かりませんが、挑戦してみます。私は絵を描いています。趣味です。勿論写真も撮ります。でもなぜか絵の方が興味をそそられます。それは例えば、書道で きれいに整然と書かれた字もいいけれども 私たち素人目には何と書かれているのかも分かりにくい字にも 確かに興味がそそられます。これを置き換えるならば 元々前者を写真が得意とするところであり、後者が絵が得意とするところです。”--そしてそれは得てしてその得意な分野ではばたいているのだ。・・・時にははっとするような展開も見せてくれる・・・ああそれもまた楽し--!” 絵にはこうした事情から作者の色々なたくらみがいっぱい詰まっている。漠然と ああこの絵はいいな~と思いつつも角度を変えて 作者のそのたくらみをちょっとのぞいてみるのもまた楽しいですよ~。絵はその点で特にハッピーですよ~。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
ANo.3です。 そうです。 そのような疑問に対する答えを考えている画家はたくさんいるはずです。(何も考えていない人も居ると思いますが) 良い絵ばかりではありませんし、良いとも悪いともまだわからない作品に立ち会う場合も多いのですが、そういうようなことを考えながら観るのは正しいと思います。 美術には自分の気持ち・心などを描いた物もありますし。そうではなくてたんたんと自分が心に何かを受けた物・光景その物を描くことで見る人に自分と同じ体験をしてもらうような方法もあります。色や形のおもしろさを追求した物もあります。理詰めで考えないで無念無想のような境地に入って自然に出てくる物に任せたり、偶然性が出るようにわざと仕掛けや手法を考えて作った物などもあります。 いろいろな解釈ができたり作家自身も気がつかなかった面を観る人が発見することもあります。 いろいろある、できる自由な世界だと考えてみてはいかがでしょうか。
- k-ren
- ベストアンサー率44% (367/819)
写真は被写体(人だろうが風景だろうが)の心を写しています。 絵画は作者の心を写しています。 その違いでしょうね。
写実主義と印象派を考えれば分かるかもしれません。 写実主義は現実に近づけようとしているけれども、やはり作者のイメージ。 印象派はもっとあいまいで、本当に印象的なもの。 宗教画になると思想もはいるし。 写真も絵も芸術なので、どちらも意図があり、感動を呼ぶものかもしれません。
お礼
なるほど、写実主義と印象派について調べてみたいと思います。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
確かに「写真のように」描くだけでしたら絵はいりませんよね。 理屈っぽい話になるのですが、 写真は網膜に写っている像と同じような像を定着することによって、あたかも実際の像・光景を見ているかのような錯覚を利用しています。 だから網膜像をシミュレーションしただけの絵の価値というか存在意義は現代では薄れているのではないかという疑問は正しいように思います。またそういう判断基準をお持ちになって作品を鑑賞することは有意義ではないかと思います。 美術館にあるような絵の中には写真が無い時代には精巧な技術でイリュージョン=錯覚で「まるで本物のようだ」と人を驚かせたけれども今見ると伝わってこない物もあるかもしれないと思います。 ただ今生き残って価値を認められている作品はそれだけではない物や、そうではない物(錯視の技術に頼っていない物)が多いのではないでしょうか。 しかし現在の絵描きの中には指摘されているような疑問と向き合うためにあえて「写真のような」絵を描いている人も居るように思います。そういう疑問そのものが今の美術にとってひとつの大きなテーマであると考えているのでしょう。 知り合いに写真よりも精密な肖像を描こうというつもりで作品を描いている人が居ますが、その人の作品を観て行くと、一見突き放して冷酷に描いているのかと思えた物が悪く言えば「美化」、別の言い方で言えば「絵画化」されているのだなと感じました。 それが何かというのは答えられなくて(結論づけることができなくて)申しわけないのですが、美とは何かとか芸術とは何かということそのものを問うというのは今日の美術の特徴ではないかと思います。 「カメラの眼と同じような眼を人間が持つことができたなら」これはひとつのチャレンジになりうるテーマのようにも思います。ここまで述べてきたことや他の方の意見への逆説でもありますが。
お礼
難しい回答をありがとうございます。同じ疑問を抱く画家もおられるということでよろしいでしょうか。 良い絵をひたすら鑑賞すると次第に分かるようになるのかもしれませんね。
- mac1963
- ベストアンサー率27% (841/3023)
カメラマンでやんす 私にもし絵を書く能力が有ったらこの仕事はしていなかったかも 写真は被写体がそこに無ければ撮影できません 絵は描けます 正確に写るかもしれませんが余計なものの排除出来ません 感じたモノを印象付けるために誇張して書くことはできますが 写真では特にフィルムの時代では加工が大変です そして何よりも 絵画の歴史が長いということ 昔の良いものに憧れて書くんです それとも正確だから言い訳ではないですよ 写真写りが悪い人とか芸能人などは実物は以外と小さかったとか細かったり太かったり 物理的に正確なのと感覚的に違って見えるというのはどちらがいいとは言えないけれど 絵画より写真がいい理由にはならないです あと200年後 写真もそうなるかもしれません
お礼
なるほど、感じたことを描くわけですね。鑑賞するにはそれを読み取る感性が必要になりますね。 ありがとうございました。
- Kon1701
- ベストアンサー率24% (1445/5856)
私は絵も描きますし(下手ですけど)、写真も撮ります。 写真と絵の一番の違い、頭で考えて描くことです。写真では今あるようにしか写せません。余計なものがあっても写ってしまいますし、そこにないものは写りません。花を撮りたいとき、そのすぐ前に動かせないゴミ箱があったら写ってしまいます。その花が、別の花と一緒ならもっと良い、と思ってもうごかせないなら無理です。でも、絵なら邪魔なものは描かなければ良いし、別のものを一緒に描いても良いです。 絵は心に感じたことを描くので、たとえば四季を1枚に全て書いても良いわけですね。また、あるものをいろんな方向から眺めたものを1枚に描いても良いです。なんでもあり、ですね。(表現できるかは別ですけど) もっとも、写真でもただ写すだけではなく、感じたことを写真を見る人が感じ取ってくれるようにいろいろと写し方を工夫するわけで、その点は絵に通じるものがありますけど。
お礼
なるほど、感じたことを描くわけですね。鑑賞するにはそれを読み取る感性が必要になりますね。 ありがとうございました。
お礼
やはり心がキーワードなのですね。ありがとうございます。