• ベストアンサー

ニューヨークの地下鉄の治安が最悪の時代

が実際に有ったと聞きます。 それこそ映画やアニメに出てくるような”バイオレンスの世界”そのもので駅構内は勿論、 車内も落書きだらけで、観光客は元より地元の人も利用を控えたとか・・ (それで生活に支障は無かったのでしょうか?) それはいつ頃、何年頃が最も酷い状態でどのように何が原因で改善されたのでしょうか? 当時のヒドイ危険な時代から改善への変革の時代をご存知の方がおりましたら 当時の状況や時代背景を是非教えてください。宜しくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

20年以上前のことだけど、夜10時くらいに地下鉄に乗りました 乗車車両は1両目。 警官が車両を警備していました(当時、全車両の1両目に警官配置)。 2両目以降の車両は、クスリやってラリっているのが乗ってたり、酔っ払いがのってたり、乞食が乗っていたりと、酷い状況。 2両目に乗ってるラリッている人が何を言っているのか興味があったので、1両目から2両目に移動しようとしたところ、警官から「a lot](生きるか殺されるかは運の意) と言われて睨まれました。 当時、昼間は安全だけど、夜乗車するのは極めて危険でした。 夜、2両目以降に乗ると「強盗してください」と自ら意思表示しているようなものです NY市長、市警のこのような地道な努力が改善に結びついたのではないでしょうか。 同じころ、NYのセントラルパークでは、白人女性が黒人に強姦された上、殺害された事件がありました。 あの時、全米中が怒り心頭に発しました。 もちろん、NY市内でも怒り心頭です。 この事件をきっかけに、セントラルパーク内での警らも強化しました。 鉄道、公園、犯罪が起こりそうなところは兎に角、警ら強化です。 こういう地道な努力が結果として現れたのではないでしょうか。 かくいう私もNYのバスに乗って座ってると、ヤク中の人が意味不明なことを言って執拗に迫ってきて、隣の紳士に助けられた経験があります。 >当時の状況や時代背景を是非教えてください。宜しくお願い致します。 黒人の気持ちが良く分かります。 韓国人の米国への不法入国が相次いだ頃でした。 韓国人は、(労働法を無視して)低賃金で長時間労働を平気でします。低賃金で18時間労働する人がゴロゴロいました。 そういう韓国人が沢山いたので、黒人の人々は次々職を失っていきました。 一番記憶に残っているのは、クリーニング屋です。どこでも必ず、韓国人が労働しています。黒人はクリーニング屋から韓国人によって、駆逐されてしまったのでした。 クリーニング屋は一例ですが、失業率が高まれば治安が悪化するのは何処の国も同じかと思います

IKUYOSHI
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • fedotov
  • ベストアンサー率48% (710/1461)
回答No.3

1980年代、アメリカのラトガース大学のケリング教授が、 ブロークンウィンドウ理論に基づき、NYの地下鉄の凶悪 犯罪の抑制に、落書きを徹底的に消すことを提案。 当時の交通局のデヴィット・ガン局長が採用して実践。 落書き防止に日本からステンレス車両を導入。 落書きを消したら、地下鉄での凶悪犯罪が激減。 1994年、NY市長に就任したジュリアーニ前市長が、 地下鉄で成果を上げた犯罪抑制対策を、NY市警察に導入。 落書き消し、歩行者の信号無視や空き缶の投げ捨てなど、 軽犯罪の取り締まりを徹底的に続け、犯罪発生件数が減少。 http://blog.livedoor.jp/osouji0531/archives/109497.html ブロークン・ウィンドウ(割れ窓)理論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E3%82%8C%E7%AA%93%E7%90%86%E8%AB%96 日本製ステンレス車両 http://ja.wikipedia.org/wiki/R62_(%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E8%BB%8A%E4%B8%A1) ジュリアーニ前市長 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8B

IKUYOSHI
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

回答No.2

1989 年より 2000 年まで New York に住んでいましたが、私が住んでいた頃には既に落書きはなくなっていました。 NYCTA (New York City Transit Authority: NY 市交通局) 地下鉄の落書きが酷かったのは 1980 年頃で、1970 年代から始まって車輌が入れ替わった 1980 年代中頃までが有名でした。 ただし 1990 年代に入っても日本の地下鉄のように「綺麗」とは到底言い難く、外気温が零下となる冬の地下鉄 Platform では天井から黄色い氷柱が降りていて下には黄色い水溜まりができていましたね(笑)・・・匂いは間違いなくアレです(汗)。 具体的な改善策は Stainless 車輌の導入による車輌の入れ替えが知られていますが、1974 年から 1993 年に至る民主党市長下では犯罪が絶えずに地元の New Yorker 達にとっても危険な交通機関でした。 >(それで生活に支障は無かったのでしょうか?) いやあ、おおありでしたよ(爆笑)。 1994 年から NY 市長となった Giuliani は大量の警察官増員を図って地下鉄犯罪を集中的に一掃させていると聞いていましたが、実際、1990 年代半ば頃から NYCTA は比較的安心して乗れるようになりましたね。 それまでは危ない奴に声をかけられてカツアゲされそうになったり(汗) 自警団と称する奴らが刃傷沙汰の喧嘩をしていたり、麻薬でラリった運転手が線路止めに電車を突っ込ませて逃げた挙句に麻薬をやっていたことを隠すために Beer を大量に飲んだところで逮捕されたり、売店の床下から油を流しこんで売店を焼く映画の真似をして売店に火を点けた奴が出たりと、まあ、大変な交通機関でしたよ(汗)。 真夜中に Grand Central Station の地下で大暴れしていた奴を人の良い Canada 人の友人が羽交い絞めにして落ち着かせようとした時は NYCTA の怖さを身に染みて知っている私は冷や汗をかいたものですが、Concourse に警官が見えた時は Dash して警官を呼びに行ったものです(笑)・・・数年前だったら警官はいなかったでしょうから、如何にも Lumberjack という感じの猪首短足(笑) 筋骨隆々の友人が万が一羽交い締めにしていた奴を手放してしまったら銃で撃たれていたかも知れなかったところでした・・・実際、そいつは 1 人の警官に銃を突き付けて Cover する中でもう 1 人の警官が地面に押し倒して手錠をかけた際、Pants の後ろに銃を挟んでいましたから(滝汗)。 1990 年頃に SOHO の Street Bazar に行った際、地べたに座って小物を売っている学生っぽい女の子に「ねえ、銃、持ってる?」と聞いたら「持ってるわよ!」と銃を取り出して見せてくれたのには驚いたものです(笑)。 1990 年代には NY の治安は随分と改善されましたが、それでも日本の感覚では信じられないほど危険なところでしたよ。 私自身、10 年余の間に殺されかけたことがありますし、銃弾に当たったこともあり、撃たれた死体を見たことも 2 回あります(滝汗)。 私は Manhattan 内ではなく、電車で 1 時間弱ほどの郊外にある Long Island Nassau County に住んでいたのですが、地元の学生達は大学生でさえも「Manhattan ですって? 怖いから行ったことないわよ! 両親と車で行ったことがあるくらいかな。」なんて女の子が大勢いましたね。・・・「東京なんて怖いから行かないよ」なんて大学生が千葉茨木埼玉神奈川にはいませんよね(笑)。 「行くな」とは言いません。危険ですが、面白いとも言えます(滝汗)。 「Next Stop is 34 Street. Next is...I Don't Think So! 28th is the Next!" (次は 34 丁目、次は・・・違うだろうっ! 28 丁目だぜっ!)」と地下鉄の車掌が Mic' で喚いた時には私のみならず多くの乗客が吹き出しましたね(笑)。・・・日本ならば「失礼しました。次は・・・」と言うところでしょうが NY は「違うだろうっ!」って叫ぶんですものね(笑)。

IKUYOSHI
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

関連するQ&A