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真剣に考えられない

こんにちは、こんばんわ。 悩みがあるので書き込みました。 その悩みとは何事も真剣に考えることができないことです。 現在就職活動真っ最中なのですが、まったく真剣に考えることが できません。就職活動だけに関わらず、課題や自己分析、 今後の人生についても考えるのですが頭がついてきません。 考えようとすると頭の中が真っ白になり考えているのが自分ではなく 自分ではない誰かが考えていて私はそれを外で見ているのような感情になります。 言葉で説明してもなかなか伝わらないかもしれませんが私が私を第三者として 見ているような感覚、他人になり自分を見ている感覚です。 それが感情で現れてしまっていて好きなことですら真剣に考えることができません。 私は自分を否定する性格でそれの積み重ねが原因なのかなとか考えているのですが 同じ症状の方いらっしゃいませんか?真剣になる方法を教えてください。

みんなの回答

回答No.2

おはようございます。 第三者が見ているような感覚に陥るのは、自己の心の中に宿る「貴方(本質といいます)」と、 服を着て、ご飯を食べて、学校に行く、いわゆるこの世界に人の形で現れた「貴方(外向きな自分)」との間に生まれた、「貴方」や「社会」に対する認識のずれが原因です。 つまり、貴方が普段思っている「もの」や「人」、「自分自身」に対する価値観は、 実は貴方自身のものではなく、この世界に生きる人の形をした「貴方」が、 社会から本質を守るために築き上げた、いわゆる自己防衛から生まれたものなのです。 ですから、自分が自分じゃないように感じてしまう感覚というのは、貴方自身、つまり本質を忘れてしまったことによる、本質から外向きな貴方に対するメッセージだと思ってください。 自己否定する性格ということですが、自分なんか駄目だ。と思う自分を嫌いになっていませんか?しかし、その嫌いになりたい貴方の性質こそ、貴方自身なのです。ですから、嫌いになんかならず、そんな自分を受け容れてあげてください。 そして、真剣になる方法ですが、真剣さが足りない。と思うのは、誰にだってあります。 それを踏まえて、不安を抱きつつも、行動することが、人間らしく生きることではないでしょうか。 頭で考えても、結局は堂々巡りで、何処かで妥協して、自己解決するだけです。 私たちは未来に生きているのではなく、今を生きているのです。頭で考えることが、 未来に生きることだとするのなら、そんな未来に絶望する必要などないはずです。未来など誰にもわかりませんから。そしてそんな未来が、望みどおり起こるのなら、私たちが生きる意味などないと思います。 纏まりのない文章になってしまい申し訳ありません。私が言いたかったのは、(1)自分を受け容れることで嫌いな自分を許してあげることと、(2)人間らしく、貴方らしく生きるために、自分に甘んじず、常に危機感を抱きつつも、今を行動すべきであるということです。 私には、2つの相反することを望むことが、生きる理由になります。

fmk6
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • wasamayo
  • ベストアンサー率20% (12/58)
回答No.1

とりあえず「俯瞰」という言葉を使えば、読み易い質問文になると思います。 真剣になる方法ですが、息が切れても走り続けるとかはどうでしょう。 fmk6さんは現実感が足りない人だと思います。 まず、自分の体がどこにあるのかを認識することが大事です。 走り続ければ、息が上がって苦しくなります。内蔵も痛くなります。 痛みは体に直結しているので、自分がどこで生きているのか分かるでしょう。 そうすれば、その「自分」の使い方が今のままでは勿体ないと感じられるかもしれません。 もし、これすらも面倒くさかったりして実行しないようであれば、fmk6さんはもう駄目です。 諦めて下さい。 とにかく色々試してみなければ、何が効果があるのか分かりません。 帰ってきた回答に書かれていることは、全て実行して下さい。

fmk6
質問者

お礼

ありがとうございました。

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