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平等社会
平等社会では経済成長は見込めない。差が生じる社会システムものとでは成長が見込めるが、生じた経済格差への責任は地域は自らが負うという考え方についてどう思いました。
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- tomohikosugi17
- ベストアンサー率100% (1/1)
平等社会では経済成長を見込めることが出来ると思います。 現在、不平等社会では経済成長が出来ていない国が沢山あります。例えば、コロンビアやブラジルなど南米の国々では貧富の差が多く経済成長が無理な状態となっています。経済的に豊な人々は国民の10%以下で、他の人々は赤貧状態で教育を得ることができなく社会的な問題になっています。この貧富の差で生まれる国内戦争が酷く、コロンビアの大統領は教育など経済成長を高めるために努力をしていません。逆に、国民から得る税金はほとんど国内戦争をなくすために使われております。 この中で、国内戦争をなくせば教育が良くなり経済成長に繋げるという考えがありますが、実際国内戦争は貧富の差から生まれてきたのです。いくら国内戦争をなくそうとしても教育のない人々はそのまま赤貧状態で住み続けることになります。これは、南米にある不平等社会の大きな問題です。 逆に平等社会を大切にしている国々、例えばカナダでは経済成長が簡単です。どの人々でも、カナダの国籍があることで様々な大学の授業料が7000ドルになることもあります。また、国の税金の多くが教育に使われているため教育ローンや奨学金を得ることも簡単です。他にも、平等結婚や人種平等の思考が強い文化のため人々は自由な社会で働くことができています。 このように、平等社会では経済成長を見込めることができると思います。 平等社会と経済成長についてもっと詳しく知りたいのなら、リチャード・ウィルキンソン の平等社会という本をオススメします。
- SWEETENDER
- ベストアンサー率45% (14/31)
スタートが平等なのかゴールが平等なのかによって変わると思います。 ゴールが平等の場合は経済が成長どころか破たんします。 社会としては平等よりも公正の方が大切です。 今の日本は利権と癒着の温床で能力の有無にかかわらない格差社会です。 一番良い例は東京電力の役員クラスの人たちです。 彼らは世間で言う勝ち組で高収入を得ていましたが能力がある人たちに見えません。 日本が公正な競争社会であるならば本来淘汰されなければいけないのです。 本来能力に見合った格差社会であれば経済成長と関係があるかもしれませんが 今の日本の格差社会は社会構造の歪みで経済成長の足をひっぱているように見えます。
- aimaina
- ベストアンサー率48% (70/143)
思ったこと 前置きとして 1 それは誰の考え方ですか?初めて聞きました。 2 「地域」が唐突に感じますね。文脈的には「個人」が自然でしょう。 本論としては、 3 「格差があれば成長が見込める」というのは明確な誤りですね。 士農工商の江戸時代の日本VS1960年代の日本、あるいは1960年代の日本VS同時期の中南米諸国、格差が大きいのはどっちで成長したのはどっちですか?
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
責任に言及する場合、平等以前に、公平について考える必要があります。 自動車を持ってる人、自転車しかない人、運転手付きの自動車を持っている人に、持っている移動手段だけで、東京から名古屋まで5時間で行ってください、と命令をした場合、自転車しか持っていない人が約束の時刻に遅れたことに対して、その人の責任といえるでしょうか? 機会の均等、平等を公平と言います。それに対してご質問者さんの定義は、結果、得るものの均等を平等といます。 東京の隣接県である埼玉と、九州で新幹線も最近までは本州につながる高速道路もなかった宮崎で、経済格差の責任を地域に追わせることは、日本という国の国益を守るために、正しいでしょうか? もし、そうなら、極論すると九州は、韓国に編入した方が地域としての活性を生むという選択もできるようにすべきでしょうね。主権がない中で、手足を縛った競争をさせて、格差に責任という考え方自体が、日本という国を発展させよう、国民を幸せにしよう、ということを考えていない無責任な発想に思えます。
- ToughBoy
- ベストアンサー率42% (90/214)
平等という表現ですが 非常に解釈が分かれるところです。 かつてに 東西分裂の根本がこの平等の考えからからきています。 社会主義(共産主義)は 人々の生活レベルつまり消費レベルが平等であるべきとの考えです。消費レベルが平等ということは 労働に関係なく所得が平等でなければならいことになります。結果働いても働くなくても所得を保証されるので働かない人が増え経済が成り立たなくなり、社会主義諸国の崩壊になりました。 資本主義の考え方は 労働成果 能力に対して平等であることを前提にしています。働いて出せた成果を各人が獲得できますから 働く能力で所得に差が出てしまします。 当然格差が出ますがそれを社会福祉でカバーすべきと考えられています。 >経済格差への責任は地域は自らが負う 経済格差の責任はと問われて 責任は実際にどこのあるのでしょうか。 社会システムを容認している社会か 能力を育成しなかった環境か 努力しなかった本人か 難しいところです。 各種の福祉対策がされています。
ヨーロッパなどで歴史的に見て、貴族・王などが力を持ち、ブルジョア階層が次第にちからを持ちます。それでも革命で農民など貧しい層が政権をとっていくケースがあります。 このケースだと社会主義・共産主義の考え方でソビエトやフランス革命後で失敗してます。現在もし共産主義・社会主義をかかげると王・貴族のいた時代を改良しようというのはおかしく当然違ったものを土台にすることになると思います。 マルクスの考え方は1国の運営では全然有力とは言えないのですが、国際的には今も有力な考え方の一つです。中心の国などは富を集中させ、その反面周辺の国からまきあげているとまではいわないですが。社会には平等というのは幻想でひとつの理想的なものにすぎず、存在しません。 よい平等は経済がいきわたり、循環がよくなるということです。戦後の日本で平等に近い状況です。こういう上り坂だといい回転するのでしょう。しかし、富が豊かになり、それを超え思考で平等を達成しようとすると失敗例も多くなるのかもしれません。今の日本と一緒で平等で私は首相すら重みを感じないし、権力が存在しません。よいリーダーをつくり、信頼する土壌をもたない集団は方向がよくないところに行きます。当然、成長率も落ちます。