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「勝ち組の理論vs負け組の理論」に潜む心理について
こちらの「格差社会」に関する質問やその他掲示板を見ますと 「格差は自己責任」「格差は社会の責任」という意見が対立している状況を良く見ます。 この2つの意見。どちらが正しいのか。と言うことはこの質問で言及するのはやめておきます。 ただ、話の流れや、過去の回答履歴などを見ますと 「格差は自己責任」と仰っている方の多くは、一般的な社会的成功を収めている方であり 「格差は社会の責任」と仰っている方の多くは、社会的成功からは縁遠い方が多いような気がしました。 そこで、私なりに考えたのが ○「格差は自己責任」派 自分の成功は「自らの実力」であるとしたい。 「格差は社会の責任」という理論の下で自らの成功が「運」や「親」の力にされたくない。 ○「格差は社会の責任」派 自らの不遇な状況が「社会や親の責任」であるとしたい。 「格差は自己責任」という理論の下で自らの不遇な状況が「自らの怠惰や実力不足だ」とされたくない。 という心理が両者の奥底にあるのではないか。と思いました。 この「論理の裏に潜む心理」について皆様はどのように感じますか? ●注 あくまでそれぞれの論理の裏の心理についての質問ですので 格差社会自体に対する是非などのご意見はご遠慮ください。
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- ousa
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回答ではないですが・・・・ >「格差は自己責任」と仰っている方の多くは、一般的な社会的成功を収めている方 >「格差は社会の責任」と仰っている方の多くは、社会的成功からは縁遠い方 所詮この程度のサイトですから、回答から書いた人の社会的地位を推測するには無理があると思います。 以前ある女性がこの様なQ&Aサイトで恋愛の相談を持ちかけたそうです。彼女の疑問にいつも親身に答えてくれる男性が居たそうです。彼女はいつも的確なアドバイスをくれるその男性に憧れのようなものを抱いておりました。ある時オフ会が有り、その男性が出席する事を知った女性は心を浮き浮きさせながら会場に足を運びました。会員同士の自己紹介が進み、当然彼女はその男性を目で探します。遂に目当ての男性を見つける事が出来たのですが、その男性はなんと小学生だったそうです。 社会的に成功した皆その様な高飛車な考えだとは思えません。 松下幸之助さんも、『成功したときには「運が良かった」と謙虚に思い、失敗したときには「不幸だった」と運のせいにはせず、「努力が足りなかった」と反省した。そのことが後の成功につながったのだ。』と言っておられたそうです。
感想です。 一見わかりやすい話ですけど、実際にフィールドワークするとかなりばらつきがでそうです。物差しが1つしかないですからね。年代にもよりますしね。年寄りほど自己責任、若い人ほど社会の責任にする人が多い。 ○「格差は自己責任」派をA ○「格差は社会の責任」派をB とします 社会的にどう見ても勝ち組の人でもBを口にする人は結構います。 下層階級とまではいかないにしても、せいぜい中流の下クラスの人でもAを固く信じている人もかなりおります。 どちらかというと、その人の思想の好みや性格によるところが大きいように感じます。社会的成功とはまた別のようです。 努力が好きでコツコツ口数の少ない人は大体どんなアンケートでも自己責任派です。結果的にあまり豊かになれなくとも。 手を動かすよりも要領よくやろうとキョロキョロしている人はBが好きです。で、客観的には要領のいい人のほうが社会的には上に行きやすいです。
お礼
回答ありがとうございます。 つまりBを支持する要領よくやろうとする人が社会的に上に行きやすい。ということは 「格差は社会の責任」を支持する人は社会的に上である可能性が高く 「格差は自己責任」を支持する人はそうではない。 ということですね。 私とは逆ですね。参考にさせていただきます。
お礼
回答ありがとうございます。 仰っていることは事実なのかもしれません。 しかしながら、大変申し訳ないのですが このサイトの「成人男性」だと思われる方が全て「小学生」だというのでしょうか? そうとまではいかずとも「成人男性」と言う方の内5割が「成人男性」以外であるということでしょうか? きっとそうではないと思います。 一部の例をとりだして全体を語る論理の展開はご遠慮いただきたいです。