帰国子女を羨ましく思いませんか?
高校以降に英語を勉強し始めた方に質問です。
帰国子女でもインターナショナルスクール卒の人でもいいのですが、羨ましく思いませんか?
僕たち日本人全員が「高い日本語力」を持っていないのと同様に、彼らも全員が優れた英語を話せる訳ではありません。
しかし、「日本語訛りが一切無い発音」や「違和感の無い自然な英語」は、幼少期から英語に触れてないとほぼ100%身に付ける事ができないと言われています。
大人になってから限りなくネイティブに近い英語を話せるようになったとしても、それまでに10年以上の月日をかけないといけないでしょう。
貴重な時間をただただ「英語というツール」を学ぶ為だけに。
そう思うと、帰国子女やインターナショナルスクール卒の人達を羨ましく思ってしまいませんか?
確かに帰国子女は普通の日本人なら誰でも知っているような漢字を知らなかったりすることがありますが、それは「知識」の問題であっていくらでも後から付けることができます。
帰国子女特有の悩みとかもそれはそれはあったでしょう。
ただ学生時代というのは多かれ少なかれ皆悩みはあるもので、帰国子女は帰国子女特有の悩みを持っていたに過ぎません。
日本国内だけでもいじめが原因で自殺に追いやられたりするほど辛い悩みを抱えている学生だっています。
なので、やはり幼少期から自然な英語に触れることができた、特別な経験をしている帰国子女やインターナショナル出の人達を僕は非常に羨ましく思ってしまいます。
しかも、その思いは英語を知れば知る程強くなってきます。
英検一級、TOEIC990点を取っても留まることを知りません。
知人にバイリンガルがいるのですが、やはりもう彼の英語の自然さを目の当たりにすると、
「こんなに若い貴重な時間を沢山割いて勉強して練習しているのに、帰国子女には叶わないのか」
といつも思って悲しくなります。
英語というのは、というか言語というのは
「情報をキャッチボールする為の道具」
に過ぎないと思っているので、多少違和感のある表現を使ったり、多少変な発音で話そうが問題無くコミュニケーションは取る事が出来ます。
これは何も外国語としての英語に限らず、母国語としての日本語でもそうですよね?
話下手や文章下手の日本語を聞いたり読んだりしていると、余計な言い回しや表現、主語と述語がかみ合ってない文章等に出会う事は多いと思いますが、いちいちそれを気にせずに、「大まかな理解」をしようと努めると思います。
よって日本語でさえもこの様な作業をしているので、外国語としての英語を喋る際には決してアメリカ、イギリス、オーストラリアなど英語を第一言語としている国の人達が喋る「自然な」英語を喋る必要は全くありません。
とにかく「情報」を伝えることに主眼を置くべきです。
しかし、僕はどうしても悔しく思ってしまう。。。。
「幼少期に、小学校6年生ぐらいまでの間に英語にどっぷり浸かれる環境があったら今こんなに英語に苦しまなくていいのに」
こう思わざるを得ないのです。
特に英語の歌を歌う時には顕著にその気持ちが表れます。
そこで改めて、高校以降に英語を勉強し始めた人に質問です。
幼少期に英語にどっぷり浸かれることができた人達を羨ましく思いませんか?
皆様の意見を是非ともお待ちしております。