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時代劇でヤクザの親分を呼ぶのに「清水の」とか・・

時代劇でヤクザの親分を呼ぶのに「清水の」とか「追分の」とかうしろを略して呼ぶのはどういう習慣によるものでしょうか

質問者が選んだベストアンサー

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  • JLGREPO
  • ベストアンサー率53% (75/141)
回答No.7

その前に、本当に当時そのように言っていたのか、 後のドラマなどで始まった慣習なのか調べていません。 つまり本来はそれが明確にならないと前提が変わってしまう。 僕が感じただけの根拠のない推測ですが、 まず1番の理由は敬称。2番目が語呂合わせ。 今の感覚で判断していいか分かりませんが 友人など近い人とは名前だけで必要十分でしょうが 少し遠い人なら今でいうフルネーム感覚で例えば 清水の次郎長さん、あるいは清水の親分という言い方の 方が敬意が表れると思います。 しかし“親分”のような地域を統括する立場にある人であれば 地域名で十分通じるし、その広さ(権力範囲)まで意味し 大いなる敬称になるでしょう。以上のような根拠から “の”が“付加”されるのではなく“の”以下を省略することが かえって敬意の表現になること。 2番目の理由も簡単ですが“清水”とかで切ってしまえば 敬意にならないし発音しにくい。“の”を“付加”し、さらに “の”伸ばすことでリズムが整います。 そもそも清水次郎長は名前ではなく本名は山本長五郎 Wikiによるとは 長五郎を次郎八の家の(養子の)長五郎、次郎長と呼び、 長じてからも呼称されることになった。 名字に当たるものを地名で表すのは外国でも珍しくなく 当然その多くが広大な領地を所有する貴族で “の”を表すde やvon が付く場合が多いのも同じ理由 ではないかと思われる。 例 Furst von Bismarck Herbert von Karajan Marqui de Sade Jeanne d'Arc そしてここでも同じく“~の”以下を省略した言い方も一般に通用する フォン・カラヤンやド・サドという言い方は普通だが ヘルベルトと名前だけで呼ぶのは友人や身内しかしないだろう。 もちろん de が付くから貴族とは限らず、ジャンヌ・ダルクも 最初は名前だけだが関係が広まってからde が付いたはず。 もちろんサドのマルキは名前ではなく肩書きですが。 ちなみに de などが付かず通例、姓だと思われているものにも 実は地名も多くあります。 例えばトマス・アクィナスは姓・名ではなく実は アキノのトマス(Tommaso d'Aquino)です。

gdh3375
質問者

お礼

>本当に当時そのように言っていたのか、 >後のドラマなどで始まった慣習なのか 質問者の把握ではわりと古い映画を衛星放送などで見ても使われているし、村上元三の小説などにも出てきます ただ「清水の」はあっても「国定の」はないかもしれません。生まれ故郷の村名ですからね (不詳です) (夜、最後の考察を入れるつもり) とりあえず有難うございます

gdh3375
質問者

補足

「ooの」と呼びあうのはほとんどヤクザの親分どうしの会話のようです。 一般には「清水の貸元」とか、「親分さん」とか一目置かれて呼びかけられるわけですが・・ 別の見方をすればヤクザの親分というだけで立派に訴追の対象になる悪行をかさねているわけです。だから黒駒勝蔵や国定忠治はお上に逮捕されて処刑されている だいたい幕府から認定されているわけでもないのに、領主も顔負けの権勢を誇っている。あんた清水の何様だよ、お前さんこそ黒駒村の何だよ、ヤクザの親分じゃクビが飛ぶ可能性もある・・だから だから清水のムニャムニャ、大前田のムニャムニャということになったんとちゃいますか? まあ時代劇をくさるほど見ていながら、「ooの」という言い方に気がついていないようでは議論のしようがありませんけどね・・

その他の回答 (8)

noname#180427
noname#180427
回答No.9

こんにちは。 私も時代劇、時代小説は大好きです。 あなたの例で言うと「清水の」の後には、貸元か親分・・・ これが、まあ普通なんでしょうね。 でも清水に限らず、地名の後に「お人」をつけるのも普通です。 例えば「追分のお人」、「清水のお人」・・・。 ヤクザは殆ど、今で言う住民票を持たない無宿者です。 お上を憚ったのかなと思いますけど・・・。 ただそれが習慣化したのではないですかね? 難しい話しでもないように思います。

gdh3375
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます お上を憚ったというのは、わたしのANo.7への考察と同根の意見でしょ お互い大っぴらに親分さんなどと呼べた立場でなかった 難しい話しじゃないですかw

gdh3375
質問者

補足

現代では先生の集まりなんかでお互い先生、先生と言っている。中には先生でない人がいてもお構いなし、センセイ、センセイですねまったく 社長さんどうしの集まりではどうか・・そういうところ見たことないので知りません なお健さんの「昭和残侠伝」などは時はずっと新しいですね。時代劇の範疇ではない                      ハイ 以上で手打ち シャンシャン

回答No.8

 難しく考えすぎではないのかな。  (つい数年前だったか、国語関係の本で、なぜ「ら」抜き言葉が生まれるかの謎は、アルファベットにした最後の言葉が子音か母音の違いによることが明らかになったが…)  この場合音の数が関係しないかな。つまり発音のしやすさが影響してはいないだろうか。  <仮説>  これまであげられた例から見るに、3音(シミズ、ヤマダ)は「の」がつく、4音(クニサダ、ナカハマ)はつかないと分けてみたらどうでしょうね。あとは質問者が日々気にかけてサンプルを探してもらうと結果が出ると思う。  日本語は近年にいたるまで少しずつ変化してきていると言われる。古代では巻き舌もあったらしい。さらに明治時代初期の頃の言文一致運動(つまりそれまでは不一致ってこと)などで大分変化してきているようです。最近ではどう考えても翻訳の影響を受けた表現が見られるようになってきましたから今後もどうなるか、さっぱりわかりません。

gdh3375
質問者

お礼

きのうの必殺必中(時代劇専門チャンネル)で、追分の親分が沓掛の親分に対し、「おう沓掛の!」って言ってましたね そのほか最近DVDで見たものでは、花田秀次郎(健さん)シリーズで北関東にヤクザが集まって花会を開いたときの、親分どうしのあいさつで「ooの!」って言ってましたね お金さえ出せばDVD調べるのは簡単ですが、でもね別にライフワークで研究してるわけでもないし・・ww  もういいですよ(>_<)

  • nnzo
  • ベストアンサー率37% (6/16)
回答No.6

「清水の」というのは通り名と言って、名字を名乗れない身分の人たちが使っていたものです。 名字を名乗ることを許されたのは、武士、公家、坊主と言った人たちだけでした。 商人だと屋号で読んだりします。(例:紀伊国屋◯◯)

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.5

 4番回答者です。  読み直してみたら、なぜ将軍と大老以外、家臣(武士)を「名前」で呼ばないのか、という理由を書いてませんでした。  簡単に言うと、直接名前で呼ぶのは「無礼だ」という感覚だったらしいです。  書いたついでに付記しますと、将軍と大老だけが名前で呼べると書きましたが、それぞれの藩では、殿様だけは、自分の家臣を「名前」で呼んだのではないか、と思います。

gdh3375
質問者

お礼

夜分どうも・・ww

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.4

 庶民のチョンマゲも、武士の習わし(兜をかぶるためと言われる)から来ていたのはご理解いただけると思いますが、デファクトスタンダードとして、武士の生活が模範となり、一般庶民にも取り入れられてきました。  で、名前ですが、武士の習わしとして、名前を呼びませんでした。  名前を呼べるのは将軍と、大老(臨時職でふだんは設置しない)だけで、他は、例えば「越前(守)、そのほうは」とか「今日の大岡殿はご機嫌斜め」などと言っていたそうです。  「ご老中」などと役職で呼ぶ場合もありましたし、「拙者は、越後溝口家家中の○山△之介×× 」と自己紹介では言うワケですが、とにかく相手の名前は呼ばない。  その意味では、昔の「大岡越前」というテレビ番組で、市中を徘徊している"将軍"が奉行所に寄って「忠相、忠相はおるか」などと名前を呼んでいたのは間違いではないのですが、あれは将軍だからで、あれがふつうなのではありませんね。  そんな習慣が一般庶民、ヤクザまで降りてきたのに、庶民には「大岡様」「大岡殿」という「氏姓」がない。  それで「地名」で代用したのではないでしょうか。

gdh3375
質問者

お礼

夜分おそれいりやす よく読んだ上、あしたコメントバックさせてもらいます

noname#155869
noname#155869
回答No.3

>いやちょとちがう・・「の」をつけて後がないのはやや奇妙じゃないですか >という質問です それなら昔はそーいう言い回しだったと理解してください 現在の感覚を持ち込むのであれば、一生理解できませんから

gdh3375
質問者

お礼

ややもの足りないがこのあたりがBAかなと思っていますww 黒駒の勝造が清水の次郎長に「清水の」と呼びかけるのがおかしい、ということを一応わかったうえで、回答してくださっているの、は0012abcdさんだけみたいですからね ww

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.2

 そうだね。  「八丁堀!」の同心とか  「小石川の」医者とか  町名もしくは出身地でしか氏はなかったし、武家人ならいざ知らず。  大抵は町名ですね。  長々の口上は最初の一回で充分だし。  名前よりも屋号で呼ぶのも同じ事「越後屋…おぬしも悪よのう・・・・」  なんつって。  時代劇も少なくなりましたねえ。さみしいな。

gdh3375
質問者

お礼

現代でも親類づき合いで、大森(の兄)が・・とか、三鷹は何と言ってるんだとか、地名で代用しますが、それともちょっとちがう・・・ 「の」をつけて後がないのが奇妙な感じがしませんか・・という質問です とりあえず有難うございます

gdh3375
質問者

補足

>時代劇も少なくなりましたねえ、さみしいな  ww 衛星放送を導入するのはまだ抵抗があるみたいですねww 一日中、一年じゅう時代劇漬けですよ ww

回答No.1

昔は≪江戸時代まで、明治時代は徴兵制度の為に全員に名字を付けました≫町民に名字が無かったので その代りに住んでいた町名などを名字の代わりにして、個人と特定したためです やくざの親分だけでは無く、 盗賊や、岡っ引きなども、町名を付けて何とか親分と呼びました 町民も住んでいる長屋の名前を前に浸けて、名前を付けていました 今で言う名字です

gdh3375
質問者

お礼

いやちょとちがう・・「の」をつけて後がないのはやや奇妙じゃないですか という質問です とりあえずありがとうございます

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