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社会的地位のある人との接し方について
- 社会的地位がある人と接する際、尊大な態度に苦痛を感じることがあります。しかし、彼らとストレスなく接する方法はあるのでしょうか?本記事では、社会的地位のある人との円滑なコミュニケーションについて考えてみます。
- 社会的地位がある人との関わり方に悩んでいる方も多いのではないでしょうか?彼らの尊大な態度に心を痛めることもあるかもしれません。しかし、適切な心構えを持つことで、ストレスなく彼らと接することができます。本記事では、そんな方々へのアドバイスをお伝えします。
- 社会的地位が高い人との交流にストレスを感じることはありませんか?彼らの尊大な態度や傲慢な言動に困惑したり、自信をなくしたりすることもあるでしょう。しかし、上手な接し方を身につけることで、彼らと円滑にコミュニケーションを図ることができます。この記事では、そんなお悩みを持つ方々に向けてアドバイスをご紹介します。
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質問者が選んだベストアンサー
ゴマスリが嫌いで、できない性格でした。 何事も対等に、平らにしてきました。 公務員を平で終わりました。 悔しさはありませんが、ゴマスリも有りかな?と思うようにもなりました。 「尊大」ぶる人の方が、単純でかわいげがあったと思うようになりました。 その人に、「思い切りごますりをしてみたかった。」と思うようになりました。 時制の一致はありません。 経済の教科書でしか知らなかった激しいデフレの時代に幸せを感じています。 若い頃は、自転車や背広を月賦で購入したのです。 肉を腹一杯食べたいと夢見た少年時代を過ごしました。 月給と同額のテープレコーダーを買い、それ以上のタイプライターを買いました。 今は、妻の扶養者になるような年金生活ですが、冷蔵庫に忘れ物ができる 位に食生活は改善されました。 「尊大」な輩に負けないように、がんばりました。 人格的には負けていないつもりですが、社会が認めません。 サークル等でも最初は、好調なのですが、親しくなって過去の地位が わかる頃、「尊大」な輩に負けているのです。 一部の知人は、信頼関係を繋いでくれますが、そうでない人も多いのです。 どこかで、割り切って、「尊大」な人に仕えてみてはいかがですか? 日本文化は根本的に縦社会なのです。 そこに心の安らぎがあることに気がつきました。 平等は建前だけなのです。 まだ、生活に余裕があるので、この人たちを拒否していられるのです。 性格的に受け身でおられるのでしょうね。 アグレッシブに行動できれば、このような人は一目おいてくれます。 控えめを良しとする人は、潜在的にこのような輩の出現を期待しているのです。 その、一方で顕在的には否定してるのです。 このギャップがストレスになっているのですね。 本心ではなく、学習したモラルで考えておられるのでしょうか? 思い切って、このような輩をからかうつもりで、ごますりされてはいかがですか? ご自分を美化し過ぎているのではないでしょうか。 恩師に、「おまえは水仙のようだ。ナルチストだ。」といわれたことが 気になるようになりました。 ハーバードで学んだ恩師の言葉の本意はわかりません。 優しさとか、きれい事は臆病者の言いわけと思うことが多くなりました。 結局、強くなければ人は生きていけないのです。 両親や、強いリーダーの君臨する傘の下では、きれい事が通るのです。 自由な世界では、「尊大」な輩も出現するのです。 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/okurukotoba.html 「尊大」な輩を掌中に治められなければ、その存在を認めざるを得ないのです。 何もしないで、「尊大」な輩の存在を疎ましく思うのはある意味・・・m(_ _)m 。 還暦を過ぎて、「尊大」な輩を認められれば、ほかの悩みはかなり打ち消される ことが、わかりました。 「尊大」な輩が存在すること自体、安定した状況にあったと考えられるようになりました。 (o・_・)ノ”(o^-’)bm あなた様は、大変恵まれた状況にあると考えます。
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あなたよりも目上の人であることは間違いありませんね。 基本的に目上として接し、丁寧に、彼の自尊心を傷つけないようにして処遇すればいいのではないでしょうか。 ストレスがたまるのはなぜでしょうね。たぶん、正直なのでその相手を内心軽蔑しているので、形式通りに立てることができない、そのために、そういった地が出そうなのをこらえる努力が余計に必要なので、自然体で対応できないぎこちなさがストレスにつながるのでしょう。あなたのほうも悪いと思います。 目上の人なのですから、それだけで形式的にせよ尊敬する気持ちはなければいけません。軽蔑してはいけません。あなたが形式として目上の対遇をすることに罪悪感を感じる必要はないのです。 やり方がわかればそういったひとは扱いが簡単です。他人の気持ちがわかる繊細な人ではないのですから。 むしろ、 (地位が)偉い人で、逆にへりくだってくるタイプのひとのほうが手ごわいですよ。それだけで本当にえらいかどうかはわかりませんが、よく他人の観察をしてこちらの内心を見透かすタイプがいますので。
お礼
ありがとうございます。 >目上の人なのですから、それだけで形式的にせよ尊敬する気持ちはなければいけません。 目上というだけでは尊敬できません。 「形式的にせよ尊敬する気持ち」??イメージできません。 尊敬する振りはできそうですが、そのようなことに抵抗があります。 >やり方がわかればそういったひとは扱いが簡単です。他人の気持ちがわかる繊細な人ではないのですから。 たまたま出会った人がそうだったのかもしれませんが、私が出会った尊大な人の殆どは、目下の気持ちもよく察する人でした。 なので、振りがきかないので、ストレスなのです。
- alterd1953
- ベストアンサー率20% (239/1173)
分かります。分かります。 私も偉そうなやつが大嫌いです。 世の中に偉い人はいると思いますが。 偉そうにして良い人はひとりもいないと思います。 超1流の人間が謙虚だったりするのに なんでお前らごときがと思います。 ただ、やつらは例え僅かでも人より優秀なので ずっと、ほとんどの人間に勝ち続けて来たから天狗になってるんでしょうね。 ほんと、しょうもないやつらです。 残念ながら、接する以上、ストレスを無くす方法は浮かびませんでした。 腹の中で、徹底的にバカにするしか無いでしょうね。 後は、出来るだけ避けるしか無いでしょう。 最後に私の座右の銘を捧げます。 「沈黙は最大の罵倒である」
お礼
私の気持ちをわかって頂けて嬉しいです。 >超1流の人間が謙虚だったりするのになんでお前らごときがと思います。 そう思われるお気持ちわかります。 >ずっと、ほとんどの人間に勝ち続けて来たから天狗になってるんでしょうね。 天狗になっている事に対して引いてしまうのは、普通の感性なのだと思います。 >「沈黙は最大の罵倒である」 尊大な人たちは、自分たちが天狗なっていることには気づかない(?)のに、意外なことに、他人の気持ちには結構気付いてたりします。 難しいです。 でも私のあまりに引いてしまうと、最後はやはり沈黙してしまいます。 ありがとうございました。
- konata508
- ベストアンサー率26% (514/1954)
個人的な意見ですが周囲に権威を見せないと示しがつかなかったり、会社を守れなかったりと言う場合もあります。最終的に責任もかかるので偉いのです(人間性などの法での権利とかでなく、境遇、立場はすべて平等と言うわけではないはず) 相手側の目線や立場をよくわからなければ見えないものもありますし、キャラクターとして合わない人もいますから気楽に考える(他の回答者様のようにお財布としゃべっている)のも必要かと思いますが
お礼
ご回答ありがとうございます。 >周囲に権威を見せないと示しがつかなかったり、会社を守れなかったりと言う場合もあります。 そうなのかもしれませんね。でも強調しすぎな感じがします・・。 >境遇、立場はすべて平等と言うわけではないはず この件について、平等・不平等について思うところがあるわけではありません。偉いというところを誇示するところに、嫌悪感を感じるのです。 >相手側の目線や立場をよくわからなければ見えないものもありますし、キャラクターとして合わない人もいますから気楽に考える(他の回答者様のようにお財布としゃべっている)のも必要かと思いますが そうですね。 今の私にとって彼らは取引先ではないし、私は部下でもホステスでもないので、お財布やお金として見ることには、無理があるようです。 しかしおっしゃるとおり気楽に考えたいと思います。
私はあまりヒトと思わないで接してますよ、悪いけど。万札に見えない?
お礼
ありがとうございます。 ヒトだと思わないで接するのは、いいですね! 私も一万円札が喋っていると思いこめば、腹も立たなそうな気がします。 早速そのようにイメージトレーニングしてみます。
- Willyt
- ベストアンサー率25% (2858/11131)
多くの人は他人からチヤホヤされると自分が偉いと思い込んでしまうのです。それをいちいち気にしていたら身が持ちませんよ。そういう人はおだてておけばいいのです。それで喜んでくれればそれでいいではありませんか。阿諛追従は悪いことだと言われますが、そういうレベルの人にはこれが大変有効ですよ。
お礼
ありがとうございます。 彼らと接するとき、ひきつらずに笑顔でいるのが、難しいです。 修行が足りないのでしょうか・・ 尊大な人たちを取引相手にしていても、男性(若め)の営業職の方々が、みなスマートな雰囲気でいられるのは、本当にすごいことだと思います。頭が下がります。 それが社会の「普通」なのかもしれません、私の世間知らずが恥ずかしいばかりです。
補足
>阿諛追従は悪いことだと言われますが、そういうレベルの人にはこれが大変有効ですよ。 努力したらできそうな気もしますが、そのような私の姿を、他人はどう見るのか、が一番心配です(周囲に人がいるとき)。 わかってくれる人はわかってくれるのかもしれませんが・・。
「そういう風にしか生きられない人なのだろう、可哀想に。」 程度に思っておけば良いですよ。腹の中では。 つい先日、少し大きなショッピングセンターでエレベーターに乗りました。 私と一緒にそれなりの人数が一緒にエレベーターの中へ入ったのですが、 団塊の世代くらいの年齢と思われる男性が、 行き先階ボタンの目の前の位置になってしまいました。 そしたらその人、思い切り舌打ちしておられましたね。 確かに上席ではありませんけれど、 周囲の人間はその人の部下でもなんでもないのだから 舌打ちするなんておかしな話ですよね。 私はそれを見ていて「(うわ、器小さいなぁー……)」と思っていました。 態度とかに思い切り出したり、「舌打ちうっせぇよ!」なんて わざわざ言う必要は全くありませんけれど、 ある程度適当に考えておけば良いですよ。
お礼
ありがとうございます。 エレベーターのボタン押し係になったくらいでいら立つのでしょうか。 (普段自分はやってもらう側だから、いら立ったのかもしれませんね) 私が出会った尊大な人も、やはり団塊世代の人です。 人はいつのまにそのような尊大な人になってしまうのでしょうか。 自分が尊大な人になっていることに気付いていないのでしょうか。 残念です。 彼らを、自分がそういうふうにならないための研究材料として、戒めとして、適当に接しようと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >「尊大」ぶる人の方が、単純でかわいげがあったと思うようになりました。 思い返してみれば確かにそうかもしれません。 >その人に、「思い切りごますりをしてみたかった。」と思うようになりました。 そのように思うようになられたことは、興味深いです。 昔仕えていた上司は、社内のみならず社外に対しても尊大な態度を取る人で、そこに抵抗がありました。 職場での経験を積んだ方(女性)からは「そんな時こそ「いつもすみませんうちの上司が・・」と、フォローするのが秘書の役割よ」「掌でうまく転がすのよ」などとアドバイスを受けましたが、役割を頭では理解していても、心がついていけないままでした。 >どこかで、割り切って、「尊大」な人に仕えてみてはいかがですか? 今はもう家庭におさまっているため、尊大な人に「仕える」機会はないのですが、いろいろなつきあいがあるため「接する」機会がある位です。できるだけストレスなく接することができれば・・・と思っています。 >日本文化は根本的に縦社会なのです。 >そこに心の安らぎがあることに気がつきました。 そのようなことを実感したことはありませんが、長い年月を勤めてみれば、そう感じる事が出来たのかも知れません。 >平等は建前だけなのです。 尊大な人達のことを考える時、平等・不平等という点で、違和感があるわけではないのです。「俺は偉いんだ」と誇示するところに、どうしても引いてしまうのです。 >まだ、生活に余裕があるので、この人たちを拒否していられるのです。 私は職場以外の場所に逃げ道があったので、このような人達に深くかかわることなくいられました。(しかし逃げ道があるのは、私自身が鍛えられないので、幸か不幸かわからないように思います。) >性格的に受け身でおられるのでしょうね。 >アグレッシブに行動できれば、このような人は一目おいてくれます。 確かに、受け身な方だと思います。しかし彼らは、平凡な女性には、(仕事に関する)頭脳があるとは考え「たくない」ようです。 >控えめを良しとする人は、潜在的にこのような輩の出現を期待しているのです。 >その、一方で顕在的には否定してるのです。 >このギャップがストレスになっているのですね >本心ではなく、学習したモラルで考えておられるのでしょうか? >ご自分を美化し過ぎているのではないでしょうか。 自分を潔白だと思ってはいませんが、学習したモラルゆえに、そのように感じているのかもしれません。よく考えてみたいと思います。 >優しさとか、きれい事は臆病者の言いわけと思うことが多くなりました。 >結局、強くなければ人は生きていけないのです。 「腹黒い」「計算高い」などということには抵抗ないのですが、尊大な振る舞いには、どうしても浅ましさを感じます。 >両親や、強いリーダーの君臨する傘の下では、きれい事が通るのです。 >自由な世界では、「尊大」な輩も出現するのです。 実感として理解するには、私は経験不足のようです。 >「尊大」な輩を掌中に治められなければ、その存在を認めざるを得ないのです。 >何もしないで、「尊大」な輩の存在を疎ましく思うのはある意味・・・m(_ _)m 尊大な人のことを考える時、金融業界で成功をおさめたユダヤ人たちのことを思い出します。 ユダヤ人は、儲けになるのならどんなに嫌な客でも受け入れるということを徹底しているのだそうです。 それが、金融業界で成功をおさめた理由のひとつなのだときいたことがあります(嘘か本当かわかりませんが)。 逆に、儲かる話でも、嫌な客だからという理由で、仕事を受けない人もいるようです。 私の中には、前者のユダヤ人のようでありたいと思う気持ちがあります。 現在私は、尊大な人たちに「仕えて」いるわけではないので、お財布に直接の影響もないので、遠ざけることもできます。 しかし、自分の嫌だと思う気持ちだけで彼らを遠ざけることに、自分の小ささがあるような気がして、ひっかかっていたのです。 私のつまらない話にお付き合い頂き、ありがとうございました。