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死刑制度の存否論の視野狭窄
- 死刑制度の存否論についての意見を学生さんから提起されました。死刑制度を議論し続けることが望ましいというスタンスを持っていますが、白黒つけるのが政治的に正しいのでしょうか?
- 死刑制度について否定的な意見を持っていますが、制度の廃止をプレゼンする際に提示された事例については、存否の論点とは関係ないと考えています。
- 日本国憲法の第36条について、死刑制度廃止論では重要な要素だと理解していますが、死刑制度を拷問や残虐な刑罰から解放する方法はあるのでしょうか?学生からは終身刑よりも死刑の方が良いという意見も出されています。死刑制度存置論者の見解が知りたいです。
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個人的には,保釈の無い終身刑を定着させてから,死刑制度を考えるべきだと思ってます。 Aに対しては,条約に基づいて引き渡しをおこなう場合は,保釈無しの終身刑を前提とする。で逃げられそうな気がする。 Bには,死刑が無いから,大量殺害を企てる奴がでて来るだろう。 仕返しで殺害を犯した場合,何ども思い出して、達成感を感じる喜びを繰り返すのが,生きている価値だと思うかもしれない。 犯罪者それぞれに、効果的だと思える判決を下すためにも選択肢は多い方がいい。
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>やはり、白黒つけるのが政治的に正しい(妥当)でしょうか? でないと現場の執行官が困るでしょ。法に基づいてボタン押してるのに、「死刑は社会的コンセサスが取れてない、人殺し!」 なんて言われてる。判決出す裁判官や、執行命令出す法務大臣にも言えるけど。 自分も元自衛官なんで現職中はいろいろ言われたし、「中途半端な状態」は現場にとってストレスだよ。 それに今後死刑相当の事件が裁判員裁判になったとき、皆して判断留保じゃ何も決まらんでしょ。 >制度の功罪を総合的に勘案するに十分な知識・情報がないことから判断留保 制度の功罪を勘案できる情報なんて永遠に十分には集まらないよ。 死刑判決自体がレアケースだもん。未来永劫サンプル不足でしょ。 そもそも、一度制定された法律も、それが本当に適切か、これから先も通用するかはずっと考えていかなければならん訳で、 「現時点でシロクロつける」ことと、「存否の議論の継続」は並行してやらなければいけないと思います。
お礼
お礼が遅れまして申し訳ありませんでした 回答ありがとうございます
補足
>でないと現場の執行官が困るでしょ。法に基づいてボタン押してるのに、「死刑は社会的コンセサスが取れてない、人殺し!」 なんて言われてる。判決出す裁判官や、執行命令出す法務大臣にも言えるけど。 指摘されるとおりでしょう。つまり法的には適法化されている、という話であって、それは法律上だけの話とも言える とりあえず、質問は法的な領域だけではなく、民意を総合的に勘案したものであるので、意見は首肯しますが、趣旨が若干異なります ちなみに、適法ではない行為さえも公務員は求められてしまう現実も思慮する必要性があるでしょう それこそ、法律上の問題ではなく、良心や道徳の意味での「法」の領域での問題であるわけですがね 法律だけの話ならすでに適法なので、それまでの話なので、理解してください >制度の功罪を勘案できる情報なんて永遠に十分には集まらないよ。 死刑判決自体がレアケースだもん。未来永劫サンプル不足でしょ。 永遠に集まらないとは? 死刑の実施数は少ないながらも存在するのであって、いずれ資料として評価に堪えうるだけのサンプル数はいずれ揃いえると思いますが、永遠に無理なのでしょうか? もっとも、社会状況などの変化を鑑みて、サンプルとしての絶対数と状況変化との関係性まで思慮しての話なら理解できますが、そもそも、サンプル数が少ないから功罪を検証できない、というのは暴論でしょう サンプル数が少ない状況でも功罪を判断することは無理ではないし、それが仮に暴論でもあっても不可能ではないでしょう 実際に、絞首刑の残忍性については司法判断があるわけで、その資料をもって功罪を論じることが間違いというほどの話とは到底思えないのですが、無理だという論拠がまったく理解できません・・まぁ、回答者当人がそう思うのは勝手ですがねw >そもそも、一度制定された法律も、それが本当に適切か、これから先も通用するかはずっと考えていかなければならん訳で、 「現時点でシロクロつける」ことと、「存否の議論の継続」は並行してやらなければいけないと思います。 議論の継続は、帰着点を模索する手段であって、結論ありき、では暴走してしまう、ともいえるわけです 現実に死刑制度が現行法上において適法である限りは、すでに政策的には結論が出ているからこそ、議論し続け、各人が思慮するために、シロクロの断定的論調を避けて議論するのが建設的という話です 簡単にいえば、結論は個人の問題であっても、議論から逃避し続ける姿勢が醜い・・というだけの話でもありますが
- at9_am
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> 「どうでもいい」という表現は適否ありましょうが、単純に当事者が「積極的意思を持ち得ないがゆえに、政治的決定に追従する」という意味の「どうでもいい」がなぜ問題であるか?というのはサッパリ理解できません。 別に質問者氏の政治的スタンスなど問題にはなっていません。問題なのは、評論や議論で結論が「どうでもいい」という態度をとることだ、と指摘しているはずです。 例えば、会議の議論の場で長々と喋って、結論が「今現在は分からない」というのであればまだしも「まぁ、どうでもいいからみんなの意見に従うよ」は認められないだろう、と言っています。 > もちろん、議論することが目的であれば否定はしませんが、本件は議論することを目的とする前提ではなく、現実政治の視座で思慮する話ですから、小生は、それはアリだと思います > 小生ならば、議論を目的とするものではなく、政治的意義を踏まえて、問題があるなら問題を問題として正鵠に捉え、問題解決の手段として必要な情報を求める努力はしますし、それがあるべき有権者の姿だと思います。 こういう後付けを質問者氏はよくやるようですが、はっきり言えば死刑の存廃などという話を現実的に左右できるような場に質問者氏が参加できるとは到底思えません。したがって、単なる飲み会か何かの場での座談だとと思いますが、それが「現実政治の視座で思慮する」などとは、また大きな話ですね。 議論の場に行って「議論が目的ではない」とは、一体何を言っているんだろう? と思いますが。丁度、場末の食堂か安居酒屋へ行って「食事や飲食が目的ではない。食材の輸入や自給率について、政治的意義を踏まえて考察し、必要な情報を求める努力をすべきだし云々」と行っているようなものです。 要するに、TPOの問題です。 もう一つ。 > アメリカ国法上には死刑制度は肯定・否定もされていません。刑罰そのものが州レベルで<略> だったら、中国とスペインは? 中国・スペインの犯人引き渡し条約は2006年に批准されています。 これ以上探す気はありませんが、探せば他にも死刑存置国と廃止国の犯人引き渡し条約の例が多数あるでしょう。 要するに、死刑存置国だから犯人引渡し条約が締結できないというのは、事実に反しています。
お礼
お礼おくれてすまそ
- at9_am
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> どっちつかず、というのは不満に感じられる気持ちは理解しますが、それが政治意思(意志に近い)として尊重されるのは当然であります > なぜ判断留保であるのか?という理由まで思慮するべきように思う次第です どんな崇高な理由かは分かりませんが、質問文その他を読む限り > 制度の功罪を総合的に勘案するに十分な知識・情報がないことから判断留保 とあるように「勉強不足だから」ということのようです。だったら議論に口を出すな、とその参加者は思うことでしょうね。 いずれにせよ、別に結論を出さないというのが悪いとは言いませんが、評論・議論として結論が「どうでもいいよね」はおかしい、ということを指摘しています。 質問者氏も、例えば何らかの評論文で「別にどうでもいいじゃね?」と書かれていたら「何だそれは」と思うでしょう? > Aについては、EU諸国の憲法解釈上の要請といわれていますし、そのような見解が出ているので、間違いない、というか、事実認識として外交筋は持っています。これは、条約局レベルでも指摘されている話ではあります。 例えば、アメリカとイギリスの間にこの10年に締結(再締結ですが)された犯人引き渡し条約があります。アメリカはれっきとした死刑存置国です。 このように、アメリカとEU諸国の犯人引き渡し条約が存在します。 したがって、あまりこの問題でどの国とどの国が締結しているのかを調べていませんが「死刑存置=犯人引き渡し条約締結不可」というのは事実に反しています。 > Bについて > 特殊事例であるから無視していい、という論説は政治的にどこまで妥当性があるでしょうか? 無視して良いのではなく、特殊事例を基準に物事を考えたり決めたりするのは、全く妥当ではないと言っています。 前回の回答でも > 特殊ケースを全体であるかのように考えるのは、完全にミスリードでしかない。 と書いたとおりです。 > (4)について > 個人の見解としては理解しますが、それがリアルポリティクスで通用しないことまで小生は思慮する次第です 私は尊師でも催眠術師でもなんでもないので、残酷な行為だと感じていることを、議論することによってそう感じないようにすることができるとは到底思いません。
お礼
再度の回答ありがとうございます 仔細は補足にて
補足
>例えば、アメリカとイギリスの間にこの10年に締結(再締結ですが)された犯人引き渡し条約があります。アメリカはれっきとした死刑存置国です。 このように、アメリカとEU諸国の犯人引き渡し条約が存在します。 >「勉強不足だから」ということのようです。だったら議論に口を出すな、とその参加者は思うことでしょうね。 そう思う人には、逆に「あなたたちは十分な知識を前提にして論じるのですか?」と 日本国内の政治関係の情報は比較的閉鎖的です。その閉鎖的情報であることをいい事に情報過小であることに何も疑問を抱かない状況の適否は問われて然るべきでしょう もちろん、議論することが目的であれば否定はしませんが、本件は議論することを目的とする前提ではなく、現実政治の視座で思慮する話ですから、小生は、それはアリだと思います。 もちろん、極めて制限された情報状況であることを踏まえて、という議論ならばいいですが、死刑制度のような場合のディスクローズは典型的な情報不足と言えるでしょう 小生ならば、議論を目的とするものではなく、政治的意義を踏まえて、問題があるなら問題を問題として正鵠に捉え、問題解決の手段として必要な情報を求める努力はしますし、それがあるべき有権者の姿だと思います。 「どうでもいい」という表現は適否ありましょうが、単純に当事者が「積極的意思を持ち得ないがゆえに、政治的決定に追従する」という意味の「どうでもいい」がなぜ問題であるか?というのはサッパリ理解できません。 そのような政治意志が違法でもないわけですし、選択を迫られる必然性すら提示できないにも関わらず、それらの意向に反感を抱くほど小生は狭量ではないです。 英米間の引渡し条約の事例について この回答は想定内なので当時の交渉内容資料を踏まえて総論してしまえば、アメリカ国法上には死刑制度は肯定・否定もされていません。刑罰そのものが州レベルでの取り扱いに過ぎないから、アメリカとの条約締結は行われた・・ということで要約できます EU条約締結以後は、死刑制度存置国(厳密には死刑制度を容認する国法がある国)との引渡し条約締結事例はありません。もっとも引渡し条約において特例措置で死刑回避などを盛り込む手法もあるようですが・・・
- at9_am
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> (1)上記のような死刑制度論はやはり、ディベートとしてはナンセンスではあろうと思いますが、政治評論・議論においてはアリだと思うのですが、やはり、白黒つけるのが政治的に正しい(妥当)でしょうか? 議論し続けることに意義があるのは正しいと思いますが、現状維持ということは、要するに「特に何にも考えていないよ」ということですから、はっきり言えば評論・議論としては「別にどうだっていいんじゃね?」というのと同じくらいにナシだと思います。 > (2)その歓談の場で廃止論者が以下のような事例で制度廃止をプレゼンしてきました。 A:死刑制度がある限りは、犯罪人引渡し条約が締結できない。同条約が存在しないことは社会正義の上でも危険 B:自殺できない自殺志願者が死刑になるために大量殺人を行う Aについては、事実ではありません。 日本はアメリカおよび韓国と結んでいます。少ないですが、死刑制度とは関係ありません。例えばアメリカは死刑存置国ですが69カ国と、犯人引渡し条約を結んでいます。 死刑廃止国が引渡し条約が多いように思えるのは、欧米諸国が死刑廃止国であり、日本でも各都道府県が犯人を相互に引渡しているのと同じように、EU諸国の域内では引き渡し条約が結ばれているからです。 Bについては、数がかなり少ない特殊ケースでしかありません。 殺人事件は未遂も含め年に1000件から1500件ほど発生していますが、Bに該当する事件として日本で明らかに該当すると認められるのは、過去20年で3件のみ。 最大限多めに見積もって通り魔事件が全て該当するとしても、年平均5件程度で推移しているため、事件としては0.5%以下。世界的にも、死刑になるために殺人を犯した例というのはほとんど見当たらない。逆にそのような人(拡大自殺)は特殊例として取り上げられるほどです。 特殊ケースを全体であるかのように考えるのは、完全にミスリードでしかない。因みに、アメリカの例では何故か韓国系の拡大自殺者が多い。 したがって、 > これらの事例は事実なわけですが、だからといって、死刑制度の存否を論じる上では絶対的価値が高く思えないのですが、どう思われるでしょうか? 全く価値が高いとは思えない。 > (4)上記した学生はこんな意見を出している<略> > ある程度の犯罪(終身刑に近い犯罪)を起こした犯人は、終身刑よりも死刑を想定して重犯してしまうのでは?という見解である。 終身刑になりたくないために死刑となるために重犯するということだろうけれども、実際にそのような傾向は見受けられない。これも特殊ケースに属する話だ。 大体、日本には終身刑がない。 > 電気ショックなどの拷問・残虐さを回避・最小限になる死刑制度は、36条違憲論をどのように回避するのでしょうか? 「残虐」と感じるか否かは感情であるため、廃止論者はいかなる方法であっても「残虐だ」と言い張ることができる。逆に廃止論者が如何に言っても、残虐ではないと言い張ることも可能だ。 この話は、要するにその程度の話でしかない。 大体、憲法のこの規定は拷問等の禁止規定だから、などというのは話が横道に逸れすぎですね。
お礼
回答ありがとうございます 仔細は補足にて
補足
(1)について 想定された見解ではありますが、小生はその考えが視野狭窄だと断言できると思います というのは、判断留保という姿勢は、その政治問題・意思決定に対する情報不足・知見不足という大前提がありえる場合においては、その意思表明はナシではなく重要である、と判断しえるからです。 実際に死刑制度については”個人の尊厳”との緊張関係から情報公開が進んでいませんし、ディベート題材としてもっとも有名なものであるにしても資料にしても、論理形成にしても独善的かつポジショントークの陥るお粗末さがしばしば見られます。 早い話が、まず結論ありき、というディベートが政治議論ではないのであって、その視座からすれば、日本人は、判断留保という状況の妥当性・正統性についてもっと思慮するべき、だと思います。 どっちつかず、というのは不満に感じられる気持ちは理解しますが、それが政治意思(意志に近い)として尊重されるのは当然でありますし、なぜ判断留保であるのか?という理由まで思慮するべきように思う次第です (2)について Aについては、EU諸国の憲法解釈上の要請といわれていますし、そのような見解が出ているので、間違いない、というか、事実認識として外交筋は持っています。これは、条約局レベルでも指摘されている話ではあります。 Bについて 特殊事例であるから無視していい、という論説は政治的にどこまで妥当性があるでしょうか? 特殊事例の対処まで踏まえて思慮するのがリアルポリティクスであるのは、原発事故の事例からしても言及できるのですが、死刑制度では、特殊事例は勘案する必要性はない!とする論拠はあるのでしょうか? (4)について その程度の話でしかないわけです。では、その程度と切り捨てることの妥当性は・・ということは(2)でも述べたとおりです 個人の見解としては理解しますが、それがリアルポリティクスで通用しないことまで小生は思慮する次第です 相変わらずの私見展開の補足で、すまそ
- kuroneko3
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(1)について 『死刑制度の存否を議論し続けることがもっとも望ましい』というのは,制度論とは言いません。単に結論を先送りしようとしているだけです。 (2)について A:死刑制度がある限りは、犯罪人引渡し条約が締結できない。同条約が存在しないことは社会正義の上でも危険 →犯罪人引渡し条約が実際に機能するのは,外国の官憲が被疑者を身柄拘束したかなり限定的な場合に限られる上,死刑制度があることを理由に条約締結を拒否するような国は,日本との経済交流が少ない一部の欧州諸国しかないので,そのような国との外交関係を理由に死刑制度の廃止を唱えるのは,社会正義について対局を見失った主張に過ぎません。 B:自殺できない自殺志願者が死刑になるために大量殺人を行う →仮にそういう人がいたとしても,いくら人を殺しても死刑にはならないからという理由で平気で凶悪犯罪を犯す人より,そういう自殺志願者の方が多いとはとても思えません。また,凶悪犯罪者が死刑を免れるための便法として,逮捕・起訴されてから「死刑になって自殺するつもりだった」などと弁解するケースも少なくないことから,刑事政策上の重要な判断にあたり,そのような被告人の弁解を鵜呑みにすることには問題があるでしょう。 (3)について 私は死刑廃止論者ではないので,回答しません。 (4)について 別に問題ないと思いますが。 本来死刑にすべき重罪を犯した人間を,敢えて終身刑にする場合,死ぬまで刑務所に閉じ込められるその人にとっても無用な精神的苦痛を与えることになります。死刑より終身刑こそが憲法の禁止する「残虐な刑罰」にあたるという可能性も無視できないでしょう。 また,終身刑は無期懲役と異なり,その囚人がいくら模範的な生活を送っても出所できる可能性はゼロなので,更生の見込みもなく,また更生させる必要もありません。 なのに,国家はその囚人が死ぬまで責任持って処遇を行わなければならず,囚人が病気になれば必要な医療も受けさせなければならなりません。その囚人に刑務所から逃亡されたり,その囚人が病気になったときなどに適切な医療を受けさせなかったりすれば,それを理由に国家賠償請求を受ける可能性もあります。いわばその囚人に「現世の苦しみ」を味あわせるだけのために,壮大な税金の無駄遣いをやることになるのです。 そんな税金の無駄遣いを許す経済的余裕は,わが国にはありません。
お礼
毎度回答ありがとうございます。例の如く補足にて
補足
(1)について 先送りとの指摘はその通りです。そして、それは選択肢として無意味ではないし、簡単に意思決定できない事案であればそれでいいと思います (2)について 量的問題で考えるだけでいいのでしょうか?というのが最大の疑問です。仔細は割愛しますが、量的功利主義の危険性を感じる次第です
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”お疲れのようですから、そのままで” ↑ そんなにくたびれた印象のお人なんですか? 『死刑制度の存否を議論し続けることがもっとも望ましい』 ↑ なぜ人を殺してはいけないの? に対する答えとしても、そういう立場の哲学者がいましたね。 なぜいけないのか、それを議論し続けることが答えだ。 (1)議論し続ける、ということは結果において死刑賛成論と 同じです。 (2)そんな例外的な事から、死刑を廃止しろ、というのは 本末転倒です。 そんなことを言うのなら、死刑を廃止して、それで 被害者が出たら、どう責任をとるつもりだ、と言いたいです。 (3)(4) B:自殺できない自殺志願者が死刑になるために大量殺人を行う ↑ だったら、憲法35条を改正して、そんなことを 考えられないほど残虐で苦しい死刑方法にすれば よいだけの話。 歴史的にみれば、死刑は極刑ではありませんでした。 散々苦しめてから死刑にしたり、死体をギタギタにして 辱めたりは、どこの国でもやられていました。 現在の死刑は、かなり軽い刑だとも言えます。
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1618/6634)
私は存続の意見です。ただ感情論とか、世界の情勢だからという理由ではなく、私の意見を論理的に否定する意見に出会えば持論を変えるつもりはあります。 (1) 憲法九条に代表されるように、日本人は何事も条文を変更せずに拡大運用することで、政治を動かしてきました。あの条文をどのようにひねくれた解釈をしても自衛隊が合憲とは読み取れません。 天皇制に関しても、摂政・関白をおいたり、院政が布かれたり、将軍と同時に執権などの役職をおいたりと、元の制度を廃止せずに、新制度を両立させ続けてきました。これが日本の精神なのです。 死刑判決後に法務大臣は六カ月以内に執行の命令を出さならないと法律で規定されていますが、法務大臣自らが法律違反を犯しています。このことで処罰を受けた法務大臣はいません。 私の意見としては死刑制度の是非については明確に結論をだして、存続させるなら執行しなければなりません。現状を維持するなら、廃止を条文に明確に表記すべきです。 (2) Aについては異論はありません。存続する上でのデメリットであると思います。 Bについては、死刑がないからと高をくくって、70人もの人を射殺するような事件が起こる危険性もあります。どちらもレアケースなのでしょうが、決定する際に考慮に入れなければならない点だと思います。自殺できなくて大量殺人を犯す可能性と、死刑がないから大量殺人を犯すの可能性とのバランスだと思うのです。そしてこのことは「いずれにしても大量殺人は起こる」という悲劇でな結論を導くことになると思います。 (3) 「残虐」のいみが客観的ではありませんので、条文としては成立していません。私が思うには、致命傷を与えずに、長時間にわたっての拷問死を禁止しているのではないでしょうか?例えばキリストの磔刑のような方法は絶命までに数日もかかるようです。 (4) (2)Bと同じ質問だとおもいます。
お礼
回答ありがとうございます
補足
(1)について まず根本的に思ったことですが、法律と政策のリアルポリティクスの視座が欠如しているのではないか?という疑問です おそらく見解としては一面的には説得力を持ちえるとは思いますが、法解釈の猶予というものに対して懐疑姿勢が大前提にあるという問題があるように思います。同時に指摘される見解を全否定することは出来ないでしょうが、法律が例外を完全排除する性質であれば指摘の論理性は認めうる余地はあるでしょうが、法律は例外を網羅できないものですし、だからこそ行政裁量の範囲が法律に内在するわけです。 したがって、運用面での法解釈の変遷の部類はむしろリアルポリティクスであろうと思うわけです。これは政治と法律の乖離・ディレンマという領域で簡単に論じるべきものではないので仔細は述べませんが、実際に政治を行う側に近い立場からすれば、”法律だけで論じるに過ぎない”という視野狭窄な部分は指摘しえるとは思います。と同時に、どのような法律であろうとも完全無欠ではないわけですからこそ・・という領分を思慮されるべきように思います。同時に法律を論じる上では労働法・憲法のように法理だけでは処断できない領域についてどこまで意思決定過程における正当性(正統性)を確立・模索するか?というメソッドの問題も思慮するべきようには思います。本件は純粋に法律の視座に限定したつもりはないので、法律を首座にした論争としては批判は理解しますが、正直、どこまでの論理追及深度で論じているのかな?という部分が怪しく感じられます。 実際に死刑制度論については、存否について研究者でも別れるものですし、それぞれの論理妥当性がありえるからの問題だと思います。おそらく簡単に死刑制度の適否を論じる人は、小生を含めて視野狭窄に過ぎない・・という危険を感じるわけですが、長すぎるので自重します (3)について 残虐という恣意的概念は法律レベルでは仕方ない話だと思いますが、議論ではその抽象性をどう精査するべきか?という課題がありえると思います。当然、”残虐である”とする側の論証責任はありますが、”残虐ではない”と断定する側が「悪魔の証明は出来ない」と論証責任を放棄する現況には説得力のなさを感じるしかありません。 逆にいえば、残虐という主観的評価の怪しさを放棄する方が現実的と思いますので、小生は36条”残虐論”については判然としない立場であるわけですが・・・ 補足というか、私見展開になって、すまそ
- keiryou0303
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(1)政治評論において白黒つけることは正しいと思います。もしくは言わない、言えない。 現状維持の意見は立派に白黒ついていると思います。相手が白黒判断がつかなくて白けたのかな。 (2)Aについてはわかりません、どのくらい危険なのかという根本含めて私に知見がない。 Bについては死刑制度の有無による、殺人件数の比較論に含まれるので価値は一部的な物。 (3)大臣の命令かな。 (4)それは死刑制度部分では解決できない。死刑以外にも終身刑を見据えた重犯など、刑罰すべてに当てはまる犯罪者の価値観しだいだから。刑罰制度全般の問題。
お礼
回答ありがとうございます
補足
(1)について 私は現状維持派ではありますが、制度の適否については判断留保の立場です。それが制度容認と解する余地があるのは理解しますが、どちらでもない・どちらでも良い、という選択肢が存在しえること、と先送りという選択肢を全否定される謂れなど勘案して評価されるべきだと思います。 (2)について 価値は一部的な物、ではありましょうが、それを指摘すれば、全てが一部的な物としてpart扱いされて終了になりますが、それが政治的に妥当とは思えません、 その部分的なものを全体(功利)的に大きな価値を持ち獲ないから無視するというのはリアルポリティクスとしてはありだと思いますが、小生は当事者になった時を考えるとできません。 批判ではないのですが、そう切り捨てられるほど死刑制度という問題は軽くないからこそ、部分的・一部的と処断できない、と判断します。 (4)について 指摘される通りだと思います。 刑罰制度全般の問題であるわけですが、その表彰・象徴性が死刑制度であり、その全般的課題を主権者全体で思慮・議論・意識するために、”死刑制度を議論し続ける”であるわけですが・・・ またまた私見展開の補足で、すまそ
お礼
回答ありがとうございます シンプルながら、思慮のある見解だと思いました
補足
大変遅れましたが、きわめて個人的な見解ながら 本回答をベストアンサーにさせてもらいます