• ベストアンサー

若干アダルトチルドレンです。

アダルトチルドレン(以下ACでお願いします。) 僕はACです。(ACの判断基準は自分がそう思えばそう、ということが多く言われていると思うので。) 今18歳で高3です。 そして生きづらさを感じています。なので質問、というか解決に一歩でも近づけたらなあと思いここで投稿させていただきました。 ACのなかでも軽度のほうだとは思います。(様々な情報を見て、自分と比べてみて) どんな生き辛さかというと、自己目的的になれないというか、何かしよう(勉強や趣味など)自分の内面から沸き出るやる気というよりは、そんな学歴を持ってる、とか、スキルを持ってるとか、趣味の中の特技でこんなことができる、という「ステータス」をたくさん持つ、といった動機で活動に取り組むことが多いです。 だから自分はいやらしい人間だなあと思うし、そんな動機で趣味とかに取り組んでその趣味極めてる人とかにごめんなさいと思うとともに、人の目なんか気にしたり自慢なんかすることなく自分の世界に没頭してその趣味を楽しんでる人がうらやましいです。また、そんな人って純粋で人を引き寄せるよなあ、なんて思います。 あと、自分のなかで「特別な人間になりたい(すごい職業やプロスポーツ選手のように)」と思う時期があって(今はそうでもないですが)、何か見えない(具体的ではない)何か(誰か)を打ちのめしてやる、という気持ちで勉学やスポーツに励んだ時期がありましたが、動機が動機なので、充実感や周りへの感謝が出来ず、心から楽しむということができませんでした。(結果が出た時はその時だけ楽しい。結果が出なければ自分は価値がないと思う。) また、部活動に励んでいる最中も、「この練習、どういう効果があるの?」とか、自主練習していても、マニュアル(教則本のような)を読んでその通りにやっても「何か足りない気がする。」とか「効果あるのかな」などと気持ちばかり焦ってしまい練習そのものを充実させることが出来ませんでした。 気持ちばかりが焦るというのは「プロスポーツ選手のやっているような練習がしたい」とか、「もっと高度な施設が見たい」などといった欲求で、対して実力もないのに気持ちだけが焦ってしまいました。 そして高度なものばかり求めて、今、目の前の環境に感謝できないので、よく、「子供らしくない」とか「大人びてるね」とか「落ち着いてるね」と大人に言われました。 様子に子供は子供スケールで考えて、子供スケールで頑張る、という子供らしい子供時代が無かったと思います。 もちろん純粋な気持ちで上手くなりたい、とか思ってなくて、劣等感を消すとか、何か(誰か)を打ちのめすようなイメージで励んでいた(俺はこんなことも出来るようになったぜ、お前は出来ないだろ。ざまあみやがれ。みたいに)ので、充実感も結果が出たその一瞬とかで、冷たくて感情の無い行動ばかりしていたんじゃないかと思います。 今はスポーツはしていませんが、スポーツに関しての劣等感がぬぐえません。いつもスポーツが出来るか出来ないかで人をすごいと思う反面できなさそうな人をとてつもなく見下してしまう自分がいます。(「何言ってんだコイツ。スポーツも出来ないくせに・・・。」などと人生の先輩のお年寄りなどに対してもそう思ってしまいます。ああ、最低、自分。)自分は実力も無いし、中学時代レギュラーでも無かったくせに・・・。 あと筋肉がもっともっとつけば自信もてるかなあと思ってます。 また、趣味(一応競馬観戦と楽器演奏というステータス的趣味を持っていることになっている)においても、情報収集(雑誌など)するときも、「この話題を知っていれば話が合うだろうか」とか、「これを知っていてもだめだ、役に立たない」などとステータスにつながらないような情報は排除しがちです。その証に自己啓発本に没頭した時期があります。 しかもそんな動機で情報収集するのであんまり頭に入ってきません。 だから純粋な動機で、まっすぐに趣味や仕事に没頭して、それだけでも尊敬に値しますが、うまくいけば結果を出している人なんかも「すごいなあ、いいなあ」と思います。 ここまでが症状(生き辛さ)ですが、原因を書いてみたいと思います。 ACなので、家族がメインな原因だと思いますが、やはり「子供らしい子供時代を過ごさなかった」というのが大きな原因だと思います。 家族構成は兄2人、母、父、母方の祖母の6人です。 自分自身に劣等感を持ち始めたのが、母方の祖母の家から父方の祖母の家に家族全員(母方の祖母以外)引っ越したときからだと思います。(父方の祖母の病気のために引っ越した) 母方の祖母は綺麗好きで、家も綺麗だったから、友達とか家に呼んだりして遊んだりできたし、お料理も上手で派手じゃないけど毎日栄養のあるものが充分食べれました。 一方引っ越してからは、(僕は5歳だったかな)、家は汚い(というか法律上の登録は小屋)、夏は蚊だらけ(家の裏が不潔な竹林なので)、冬はネズミがでる、料理はこういってはなんですが母の料理は栄養が有るとは思えないし、質素。見た目も良くない。量も少ない。いつも満足できずに食卓を去る。(小遣いが少しでもあれば食品にあてがう)と言った具合でいつも「ああ家は普通の家じゃなくなったんだ。友達ももう家に呼べない。」と思っていつも悔しさとか、劣等感とか、情けなさを自分に感じて生きていました。 だからいつも「大人になったらお金を稼いでお肉をいっぱい食べよう」とか、「大人になったら○○しよう」とか、いつも希望やしたいことの頭には「大人になったら」という条件をつけて自分を抑え込んでいました。 だから子供スケールで生きてなかったから、学校でいい点数取っても、「同年代の中で良くても嬉しくない」とか「大人向けの難しい本が読みたい」と思っていました。 あと兄弟は兄が2人で長男とは8つ年が違います。 だから兄は中学生まで母方の祖母の家にいれたことがうらやましいし、僕は5歳のときからこんな最悪な家にいることで失ったものやACの度合は兄よりも深刻だと最近気づきました。 だから辛い家庭環境でも兄弟と苦しみを分かち合えればいいけど、兄には僕の苦しみはしっかりとは分かってもらえていないと思っています。 「君は中学生まで母方の祖母の家にいれたんだからいいよね。成長期にしっかりご飯をもらって。子供らしい子供時代をすごせて。僕と君とは違うんです。」と心の中で最近思い始めました。 また、最初の方で頑張る動機は「何か(誰か)を打ちのめすためだ」と書きましたが、多分兄のことなんだろうなあと感じてます。あとは力をつけて最悪な家庭環境にいさせた親、意地悪してきた兄を見下してやりたい、という気持ちだったのかな、と思っています。 また、家は自分の優れているところはあえて表に出さないことがかっこいい、というような概念を植えつけられがちだったので、優れた成績でも、心の中で優越に浸ったり、心の中で「ざまあみろバーカ」 などと見下すだけです。口に出して喧嘩になっても損ですし、親の評価も下がっていいことないですから。 ここまで自分のことを分析、表現できるようになれたのもACという概念のお陰かなと思っています。 結局家族でありながら自分の家庭環境に対する不満を誰にも分かってもらえなかったこと、子供時代を子供スケールで頑張り、楽しむことができなかったのが原因だと思っています。 事実今だって、高校生でこんな文章ここに投稿したりして、子供らしくないと自分でも思います。 なりたい自己像は、自分の趣味に没頭(自己目的的に、ステータスじゃなくて)したり、人付き合いも心の中で見下したりせずに、なるべく何も考えずに純粋に充実感が得れるような生活がしたいです。もう特別な人間(プロスポーツ選手など)になりたいとはほとんど思いません。 純粋な動機と、心から湧き出る情熱、純粋に勉強、趣味を楽しめるようになりたいです。 人生の諸先輩方、同じような悩みの方、専門家の方、WEB上ではありますが御指南頂けたら幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#156453
noname#156453
回答No.2

割愛しますが、貴方の苦しみは私が感じていた事の一部と全くの丸被りで、過去の自分を見ているようです。 貴方がご家族に感じていた不満。 もし出来るのであれば、勇気をだして、思いっきり真剣に、でも笑い話にしてご家族に話してみてください。 私は幼少期から学生を卒業するまで、長年家族に不満を持ち続けていました。 気付くのに時間が掛かりすぎて、大人になってしまいましたが。 他人に対しても自分に対しても『容す(ゆるす)事』『苦を笑に変えること』 …極端に言えば、この2つのスキルを身につける事で、生き辛さは大分克服されました。 あんなに恨んでいたのに、本人達に不満を打ち明け更に笑いで終われたことで、全て容せた気がします、私は。 記憶って良くも悪くも、形を変えるものだと思います。過去の事実は変えられないけれど、それに最終的に付加価値を付けられるかどうかは、自分次第なのです。 人は、自分の中で空白の期間があったと思うことが、しばしあると思います。それに意味を見いだしたくて、自分の中のハードルを上げたり、人と違う事を模索したりする。他人を見下すのは、貴方が心の底から他人を馬鹿にしている訳ではなくて、そうすることで自尊心を守る自分防衛だと推測します。 そしてそれは皆が心にしまっているだけで、あなただけが持つ負の感情ではないのです。 社会的な考えは除外しますが、ステータス(~ができる、~スキルがある等)は、人間関係においてほぼ不必要なものです。どんなに素晴らしいものをもっていても、他人は自分以外のステータスや栄光に固執しません。 貴方の人生を豊かにするには、 ・自分の気持ちや感情に蓋をせず、素直になること ・何事も他人と比較しないこと(環境や価値観は存在する人間皆異なるので、比較してマイナスになるのは無駄) ・自分も他人も容すこと ・出来るだけ、辛い記憶は笑いに変えること 子供時代に自分らしくいられず、背伸びするしかなかった貴方。頑張ったね。 そうして積み重ねた今の自分を認めてあげて、今後はきちんと自分の心の声に耳を傾けてあげてください。長くなってごめんなさいね。 AC克服した女性より

takosisyou
質問者

お礼

同じような感じ方をしていた方がいたこと、僕はとても嬉しく思ってしまいました。 僕は今現在の自分の辛いことなどは笑い飛ばしたりできるんですが、過去の自分となると、暗い気持ちになってしまい、まだ笑うことはできません。 「今の自分は変わった。あの頃の情けない自分とは違う。」と思い、過去の自分をアルバムで見たりすると、過去の自分さえも見下してしまいます。 でも、そういう過去の自分を見つめ直して、容し、笑い飛ばし、スッキリとした気持ちで生きていければな、と思っています。 アルバムなどを頼りに過去の自分を見つめ直してみたいと思います。 回答していただき本当にありがとうございました。

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (1)

  • ni_si_ki
  • ベストアンサー率19% (302/1586)
回答No.1

私がカッコイイと思うのは、自分のやるべきことを地道にコツコツと継続している人です。 要は自分の意思で「する」か「しない」かだけなんだと思います。 例え話です。 君がエレベーターの最上階から1階へ一刻も早く降りたいと願っている時に、途中で誰かが乗ってきたらどうしますか? その人が乗り込んだのを確認したら、君が自分で閉まるのボタンを押しますか? それとも乗り込んできた人が押すのをイライラしながら待ちますか? 前者は自分で目的を達成し幸せになろうとする人です。 後者は誰かに自分を幸せにしてもらおうとする人です。 第三者の反応にこころを乱されることなく、自分のために歩んでいきましょう。 結果は随分先にしか見えてこないかも知れません。 しかし一つのことに打ち込み継続し続けたことで得られる自信は何物にもかえがたいですよ。 抽象的な回答でごめんなさいね。 きっとあなたがご両親から与えて欲しかったのは、失敗しても泣いたり怒ったり出来る環境、許してもらえる支えだったんですよね。

takosisyou
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 第三者に心を乱されたくはないです。たしかに。 失敗しても泣いたり怒ったり。家の中で泣いたり怒ったりしても、受け入れてもらえることはなかったな、と思い出します。泣いたり怒ったりしても、逆に跳ね返ってくるだけでした。 ACだけど、僕はいい親っていうか、ACの連鎖を断ち切る親になりたいです。 ちなみに僕が充実感や自己目的的さの大事さ良く感じた以下の動画を回答者の皆さんにも見ていただけたら幸いです。 http://m.youtube.com/watch?v=Un1tOn_nVLc

takosisyou
質問者

補足

今のところ、一人でも僕の生きてきた環境や、気持ちを見てくれた人がいたことが、嬉しいです。 長文ですが読んでくださってありがとうございます。 僕、心の中に、過去の怒りとか、寂しさとかある、確かにあるはずなんだけど、今はそういう感情を笑ってごまかしたりしてしまって、家庭内では過去のことをいつまでもグチグチ言うのは、良くないって家の方針があったから、うまく思い出せない部分とか、表現がしにくくて、何かをされた(虐待)っていうよりは、何かをしてもらえなかった、と思う部分が大きいから、うまくイメージしにくいんです。 お一人でも、僕の表現したものを見てくれる人がいて嬉しいです。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A