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コミュニケーション能力の低い人の就職方法
- コミュニケーション能力の低い人の就職方法について考えてみました。コミュニケーション能力が低い人でも、訓練を積むことで向上させることができます。
- コミュニケーション能力の低い人の社会での活躍には、論理的思考能力の向上が重要です。論理的思考を身につけるためには、研究活動や問題解決に取り組むことが有効です。
- コミュニケーション能力の低い人でも適切な就職先を見つけるには、自身の専門能力を活かす職種を選ぶことが重要です。周囲とのコミュニケーションが少ない仕事や、専門性が求められる仕事が適しています。
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- TANUHACHI
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少なくとも質問の文章に幾つかの矛盾点が見られます。 (1)暗記や記憶力だけで学部4年間を終えることはできない(進級試験もレポートも記述式であり思考の論理性を欠くことはできない)。 (2)専門能力は高いが上手く説明の出来ないケースはゆっくり訓練すれば良くなることが多い(いわゆる「吃音症」一つをみてもその原因が未だに特定できず、心因性によるとされるもの、環境によるとされるもの、聴覚障害によるとされるものなど多様な原因が考えられ治療法も確定されていない。また「アスペルガー」の問題は別であり、現在の医療では全治は不可能とされています) (3)「コミュニケーション能力」の概念規定がなされていない。従ってコミュニケーション能力の向上と論理的思考の結び付きを説明することができない(コミュニケーション能力の低い者が論理的思考能力の低い者であるとの根拠もなく、またその逆が成り立つとは必ずしもいえない。弁舌巧みな者が必ずしもコミュニケーション能力が高いとの裏付けもない) こうした点からこの質問は自身のもつプライドが邪魔していることで「私が見てきた実例」を演ずる形を採っているものと理解されます。 似たような現象に「異文化コミュニティの構築」の問題があります。多民族社会としてのヨーロッパでは異言語や異文化間の交流が自然な形で行われますが、アメリカでは同一民族でのコミュニティが構築され、時にはコミュニティとコミュニティの間での対立が生じます。コミュニケーションの手段に過ぎない「言葉」が壁となった時、欧米では同一言語を話し同一文化を持ち同一の祖国を持つ者が一つの社会を構成します(=群れなす)が、日本で「コミュニケーション能力」に支障を抱えている場合、逆に「群れなさず」に孤立する傾向にあります。 ヨーロッパでは異言語を話し異文化に暮らす相手を、最初から「そういう考え方もある」と許容するのに対し、アメリカは「自分達とは少し違う」として窓越しに観察しそれから「受け容れるかどうか」を決め、日本では「この基準から外れるものは全て論外」と一方的にはじき出してしまう。こうした「基準」のありかた、が問題の本質ではないか?と僕は思います。そしてそこから一歩踏み出すには「基準」を支える価値観、喩えるならパソコンのOSの書き換えが求められているのではないかと思う。現在の「基準」が戦後の高度経済成長をモデルとした「右肩上がり」の継続を前提としている限り、現実問題には適切な治療を施すことなど先ず出来ない事も明らかで、がんを例に採れば適切な治療を施すには患者それぞれの病態を適切に把握することから始めねば有効な治療などできないことと同様です。 結論として「コミュニケーション能力に劣る人」を仕事の場に就がせるのではなく、「コミュニケーション能力に劣る人」が就くことの出来る仕事の場や社会のあり方を模索し構築していくことが大切と考えます。これは能力的に劣る人のためだけの問題ではなく、これから更に加速するはずの超少子高齢化時代の社会をどうデザインしていくかとの問題の解決にもつながると僕は考えています。
- akiyama7
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私もコミュ能力がなく悩んでいる大学生です。 こうなってしまったのは家庭環境、教育制度の問題だと思っています。 人間性の育成よりも受験勉強が優先されてきたのです。 私たちはテストで良い成績を取ることでしか認めてもらえなかったのです。 コミュニケーション能力を育てるためには、人と関わることだと思います。 ただ、私のような人間は自分の人間性に劣等感を抱き、他者に関わることを恐れています。 人と関わることがないので、思考が自分の中で完結して頑固になります。 むやみに「がんばれ」と言ったり、「○○しろ」と指示したり、「なんでできないんだ」と叱ったりされると プライドが傷つき、余計に自分の閉じこもる殻を堅くしてしまいます。 そうではなく、やさしく抱きしめて、受け止めてもらいたいのです。 自分に人間としての価値、自信を与えてほしいのです。 安心できる環境や応援してくれる人がいると分かれば、何も言わずとも自分から進みだすことができると思います。
あなたも同業者の大学教員のように読めるのですが,地方国立大学レベル以上の大学で,そういう人物にお目にかかったことはありません。いくら暗記力でテストを乗り切るといっても,選択式のセンター試験でも思考力は問われますし,大学個別試験の論述式の答案が書けないと合格できません。大学院まで行けるはずがありません。 あるとすれば,なんらかの精神障害を起こしたらしく意志疎通ができなくなった例であり,数百人に一人くらいの頻度だろうと思います。これは卒業できません(したがって就職の心配もしません)。 非常勤講師をやるまで名前さえ知らなかった,いわゆるFランク大学では,論述式答案が書けない学生がおり,しょうがなく出席回数で成績をつけた例はあります。このレベルのはなしですか? 「激増しているのはよく世間で話題になっています」とは,ぼくは思いません。こういう曖昧な文章が,研究者が書いたものとも思えません。