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稲敷市の公共交通

 私は茨城県の稲敷市に住む者なんですが、以前JR常磐線は牛久方面でなく、佐貫から竜ヶ崎、江戸崎、阿見へとつながっていく予定であったと聞きました。そのことを詳しくご存知の方はぜひ教えてください。また、なぜその計画が挫折してしまったのかも教えてください。

みんなの回答

回答No.2

稲敷市を通る予定だった鉄道路線とは、常磐線ではなく、大正11年4月11日制定の「鉄道敷設法」に定められた「茨城県土浦ヨリ江戸崎ニ至ル鉄道」のことではないかと思います。 この「鉄道敷設法」には149路線もの予定線が定められており、その中には「茨城県水戸ヨリ鉾田ヲ経テ鹿島ニ至ル鉄道」や「茨城県鹿島ヨリ千葉県佐原ニ至ル鉄道」のように実際に建設され開業したものもありましたが、土浦-江戸崎の霞ヶ浦線はついにバスのままでした。 もともと稲敷郡は水運の町である龍ケ崎と江戸崎が栄えていたのですが、常磐線建設の際は常磐炭鉱の石炭輸送に主眼が置かれたこともあって東京と水戸をなるべく短距離で結ぶことになり、水戸街道沿いのルートが取られて龍ケ崎や江戸崎は無視されました。それならば石岡以北は小美玉市(旧美野里町中心部)や茨城町を経由すべきところですが、実は常磐線より先に水戸線ルートの方が開業していたため水戸線に合流する形で水戸付近は友部寄りのルートになりました。 流山に関しては常磐線が通る可能性もありました。現在の常磐線は日暮里から分岐していますが、埼玉県内で東北本線から分岐させる案もあったからです。距離的には不利になりますが、荒川に新たな橋を架けずに済むことになるため候補として挙がったようで、この案が実現していれば流山を経由することになったのではないかと言われています。 結局「鉄道敷設法」に定められた多くの路線が建設されないまま国鉄の赤字が累積してしまい、国鉄がJRに転換されるとともに「鉄道敷設法」自体も1987年に廃止されてしまいました。

  • ultraCS
  • ベストアンサー率44% (3956/8947)
回答No.1

「竜ヶ崎が鉄道敷設に反対した」という典型的な鉄道忌避伝説がある地域ですが、これについては、鉄道史家の研究によって、現在では根拠がないとされています。これは、流山なども同様です。 ただ、竜ヶ崎、阿見を亨と霞ヶ浦手前で再び、土浦に向かうことになり敷設距離が伸びること、既に市街化していた竜ヶ崎の中心部に駅を作ると用地買収などで費用が掛かることなどから、用地取得が容易だった現在の線形になったと考えられています。日本鉄道が現在の常磐線を敷設した当時はレールも輸入品でしたから延長を短くしたいという考え方がありました。

inashikisi
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。竜ヶ崎の反対だけが事情ではなかったのですね。非常に分かりやすいご回答でした。  しかし、JRも国鉄でなくなったとはいえ、もとは鉄道の補完事業としてはじめたバスを大幅に便数を減らしたり、運賃も高額であったりと少し面白くないというのも個人的にあります。  地元住民としては、市なども含めて公共交通に力を入れて欲しいという願いもあります。  愚痴になってしまい申し訳ありませんでした。(苦笑)

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