追記ですが、僕は実際に大学の教員としての職も兼務しています。そうした背景もあって「高校程度の知識では何の役にも立たんよ」といわせていただいた次第です。高校までの教育課程で習得した知識の性質はいわば「クイズの答」にも似たものであって「この問題に対しての答はこれ」と唯一の正解をより早く求めるテクニックを磨く場でしかありません。これに対し大学以降の教育課程では「自らの思考様式に基づいて自らの論理構築を行い結論に至るまでの過程を検証できる人間の育成」です。つまり高校までは通用したはずの「正解」や「模範解答」などがない事を知って叩きのめされることから始まります。文字どおり「無知の知」です。
僕が前回のコメントの中にどれ位のヒントを隠していたかお判りですか?。歴史学の網野善彦氏の名の他に幾人かのお名前を挙げさせていただいた事由が判りますか?。質問者様の姿勢(日本文化=日本の歴史と恰も自明の前提であるかのような断定)が入学式を境に百八十度ガラリと変わるとはとても思えません。
能楽の世阿弥や歌舞伎の阿国は身分的に卑賤の民に属するともいわれていますが、そうした階層の人々が一方ではなぜ全国を興行する自由を持つことができたのでしょうか?。このように考えていくのが「歴史学のスタイル」です。「○○年に××が△△をした」と暗記したデータを答えるだけでは意味がないのです。「では君はこの史料を読んでどう考えるのか?」と教員から必ず突っ込まれます。情け容赦などありません。試験の答案で「あなたが規定する文化について、なぜその様に定義づけるのか述べなさい」との問題が課せられていたなら今のままでは間違いなく爆砕です。それは質問者様からのコメントを見ても論理構成ができていないことがわかるからです。大学に入った後にはレポートを数多く提出させられるでしょう。その時に初めて「どう書けばよいかわからない」とこのようなサイトに泣きついている大学生も多勢います。そうした轍を踏まないためにより多く「社会科学」や「哲学」の書物に親しまれることが必要です。
それでも「どうしても歴史に関する本」というのであれば、E.H.カーの『歴史とは何か』と高島善哉の『社会科学入門』大塚久雄の『社会科学の方法』(何れも岩波新書)を薦めます。大学では一般教養の単位も必修です。人文系・社会科学系・自然科学系から二年間で規定の単位数を取得する必要があり、社会科学では高島・大塚は大学生の必読書などともいわれていますので今から読んでいても損はないはずです。
言っておきますが高校で一番だったからといってその成績は大学では全く意味を持ちません、全員がゼロベースからスタートする世界であとは本人次第です。
お礼
回答してくださってありがとうございました。
補足
存じています。 以前も同じような質問でお世話になりましたから。 しかし失礼ながら私にはあなたの言葉は難解すぎます。 >コメントの中にどれ位のヒントを隠していたかお判りですか? という言葉も毎度のことながら不愉快な気持ちになります。 回答ではなく、ご自分のおっしゃりたいことを おっしゃっているようにしか感じられません。 私の質問の範囲を越えています。 非論理的でもなんでも結構です。 こういうとあなたはご自分の言葉を理解しようとしない私の姿勢には失望しただとかなんとかおっしゃりそうですがいっこうに構いません。 申し訳ありません。大変お世話になりました。