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俵まちの『サラダ記念日』が売れた理由。
職場の上司に『俵まちウオッチャー』がいまして。 会話のお相手がもっとうまくできるように、彼女についてよく知りたいのです。 最近私生児を誕生させた彼女について、なんでもよいので情報をお聞かせください。 私的には俳人なんて職業が成り立つことが不思議です。あの『サラダ記念日』には誰か批評家の様な仕掛け人が存在したのでしょうか?
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売れた理由: 1.口語でわかりやすい 2.内容の普遍性 3.ご本人のキャラクター かな、と思います。 「サラダ記念日」を読むと表現も内容も、ものすごく素直ですよね。多分この素直さは同時代の歌人の盲点だったのではないでしょうか。口語表現を特別なものとして使うのではなく、ごく普通に使うということは。 わたしも現代短歌は俵万智が最初の人だったので、残念ながら当時のリアルな短歌界の状況は知らずに回答をしていますが、やはり作歌の方向としては、普遍性より個人性……「いかに他人との差異を際立たせて”自分”を表すか」の方に行っていたと思います。おそらく今もそうだと思います。素直さとは反対のベクトルで勝負をしていた(している)わけですね。 しかし俵万智の歌は、まるで少女小説のように素直で、(表現と内容に)普遍性があります。早い話、誰もがすんなりと「ああ、この恋の歌は私のことだ」と思えるような歌であったということです。 そこがベストセラーになった最大の理由ではないかと。 3については……そのまんまで(^_^;)。 仕掛け人とまでは言いませんが、「佐佐木幸綱」の存在は重要だと思います。 彼女は大学で佐佐木幸綱に出会い、作歌を始めた。佐佐木幸綱は現代歌人の中でも中心人物。そのサークルに入り、どんどん短歌を作り出す。そこで認められたからこその俵万智であり「サラダ記念日」であると思っています。 ちょっと書くのをためらう部分はあるのですが、俵万智を育てることで、佐佐木幸綱の方にもメリットがあったように思えてなりません。 短歌の敷衍といいますか……まあメリットっていうか、短歌人(の中心)としては当然の行動ですけれどね。 ある意味で広告塔のような役割を果たしたのではないかと思います、俵万智という存在は現代短歌において。 以上、私見でした。
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彼女の作風は道浦母都子さんあたりの影響も受けているかもしれません。
- borneo
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俵万智さんは俳人ではなくて歌人です。もっとも、『サラダ記念日』の出版当時は神奈川県立橋本高校の国語の先生をしていました。出身はたしか早稲田で、そこで恩師の佐々木幸綱に出会い、短歌を始めました。 この歌人の系統は「アララギ」に属します。幸綱氏の父、信綱も有名な歌人です。この「アララギ」系統は、率直な詠みぶりに特徴があり、俵万智さんもそうした歌風です。恩師、幸綱の詠み方にかなりよく似ています。 では、なぜ幸綱が専門家や一部の人にしか知られていなかったのに俵万智さんがもてはやされたのかというと、一つには『サラダ記念日』というネーミングにあったと思います。これは、おそらく出版社の編集者がつけたのでしょう。もっとも、歌集の中の1篇からとっているのですが。 彼女の歌はその後の『チョコレート革命』(これは『サラダ記念日』ほどには売れませんでしたが)にしてもそうなのですが、「ほんとうにそんな感じだ」と読者が共感する内容を歌の調べにのせて詠んでいます。また、比喩がとても新鮮な感じを与えました。 なお、歌が売れるようになってから、彼女は高校教師を退職し、その後は歌人と随筆家として自立。最近まではまた、バーに勤めたりもしていたようです。 『サラダ記念日』は、ぜひともご一読を。おすすめです。たいていの公立図書館に置いてあると思います。また、小学校の教科書(国語)にも一部の歌が掲載されています。
- puni2
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特に「仕掛け人」がいたという話は聞きませんが,いったんブームになってしまうと,その現象自体が原動力となって,さらにブームを加速させたりしますから,そういうことだったのではないでしょうか。ベストセラーって,そういうものだと思います。 素人考えですが,多くの読者(それまで短歌に特に親しんでいなかった読者)にとって,『サラダ記念日』は ・それまでの歌集のイメージと違い,口語体を多く含むわかりやすい言葉づかい。(児童・生徒の作品は別にして,通常の歌集は文語体が多いですね) ・身近で素朴な,日常的な場面を素直に詠み込んであり,親しみが持てる といったあたりが,「ちょっと読んでみようか」という気にさせる原因だったのではないかなあ,と思います。 斬新で,かつさわやかな歌集とでも申しましょうか。 昔から短歌を詠まれている方は,また違った印象を抱かれたのかもしれませんが。