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「サラダ記念日」の女心は?

俵万智さんの有名な短歌、 この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日 これはどういう女性心を表現しているのでしょうか? 最初に思ったのは、これは実際のことではないのでは?という疑問です。 恋人に褒められたという理由で、料理に記念日をつける人がいるとは思えません。 もしいるとすればこれは「純情」「純愛」ということになります。 これが短歌上の虚構とすれば、「純愛を演じてみせる女心」のように思われます。 それが「したたか」なのか、「かわいい」のはわかりませんが。 また、この短歌が恋人に見せるために詠んだのなら、一種の恋文でしょう。 しかし全くの虚構で、発表するために作ったとしたら、どういう心理が作用しているのでしょうか? 教科書にも載っている有名な短歌ですが、とても含蓄のあるように思えます。 どなたかこの短歌の女心を読み解いてください。 それとも質問者の深読みでしょうか。 よろしくお願いします。

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  • hanzo2000
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回答No.2

まあ別に、解釈は自由でいいと思いますけどね。 唯一の解答のような、そんな解釈はないですよ。 で、それを前提に私なりに考えますけれど、 「恋人に褒められただけで記念日なんてつけるヤツはいねーよ」 というツッコミもひとつの解釈ですし、 「恋人に褒められただけで記念日なんて普通つけないけど、それでもつけちゃいたいくらいにうれしかったのね」 という解釈もできるでしょう。 まあどっちもどっち、両方アリの解釈です。 でも逆に言えば、「そんなのありえないからこそ歌になる」んですよね。 「この味がいいねと君が言ったから うれしかったよ 嗚呼ありがとう」 では、あまりに普通で、いい短歌になりませんよね(笑)。 「この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」 そんなことあるかい!と思いつつ、同時に、 そんなにうれしかったんだぁ……、と詠み手の気持ちを想像したりもするわけです。 きっと若いカップルで、彼女が初めての手料理を披露したのかな、とか、 (まさか熟年夫婦でこれはないだろう、と) この初々しさから、まだ肉体関係はないんだろうな、とか、 肉じゃがでもなくてビーフストロガノフでもなくて、 サラダってのがまた料理の初心者くさくて、 それしきのことで喜ぶ彼氏も褒めすぎだろう、オマエ彼女に惚れてるだろう、とか、 そんなことを思ったりしますし、 一首の歌から、こんな風にいろいろなことを想像できるということがとてもすばらしいと思います。 料理にサラダという、語感もキレイで、作り方が簡単で、 料理として偏った印象がなくて、さわやかな感じのする料理が選ばれていたり、 そんな簡単な「サラダ」と、言葉としては重たい「記念日」が組み合わされているところなど、 歌の構成が、いろいろなことを想像できる仕組みになっています。 それに、男性の眼から見たら、かわいい女性に映りますよね。 俵万智さんは、「ほら、こんな女の子がいたらかわいいでしょ」 って男性に気持ちよくなってもらうために、 フィクションとしての男女関係を作ったのかもしれません。 (私は男性ですが、個人的には、あまり女性ウケする歌だとは感じられません) テレビドラマの純愛を楽しむように、 フィクションとしての理想的な恋愛関係を想像して楽しめばいいだけです。 俵万智さんが女性で、その当時妙齢であったがゆえに、 詠み手と歌の中の女性を重ねてしまいますが、 重ねる必要など全然ないわけです。 このカワイイ短歌を、むさいオッサンが詠んだ可能性もあるわけで、 それくらいに思えば、この歌のよさもよりわかるような気もします。 ちなみに俵万智さんご本人も、「サラダ記念日」の歌は、 そのほとんどがフィクションだと、どこかでコメントしていました。

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 おっしゃる通りに多義的な解釈が可能ですね。 作者はそこまで計算に入れていたのかもしれません。 いずれにせよ「フィクションとしての純愛」はそれまで 詠まれたことはなかったのではないでしょうか? 与謝野晶子に代表されるように一途な恋ばかり詠まれてきたのではと思います。 >個人的には、あまり女性ウケする歌だとは感じられません 女性受けすると思っていたのですが。 今考えるとその内容というより、そのスタイル(様式)が。

その他の回答 (2)

  • tukimayu
  • ベストアンサー率14% (189/1345)
回答No.3

No.1さんとほとんど同じなのですが。 彼女の短歌は大体経験から来ているものが多いらしいですから、実際にあったことじゃないんですかね。 あの歌集を見て思ったことは、日記だなということ。 女性は本当にいちいち記念日好きですし、日記に書く場合、今日は彼にサラダがおいしいってほめられちゃったわ~で「サラダ記念日」、 カンチューハイ2本で口説かれちゃったわ~で「カンチューハイ記念日」(そんな短歌ありませんけどもカンチューハイが出てくるのありましたよね)等々、その程度の話だと思うのですが。 普通の恋人同士であれば「今日は初めて二人でドライブに行った日」「今日は付き合って1年の日」みたいなのと同じ次元だと思いますよ。 深読みしようと思えば、初めて恋人を家に招いて(もしくは男の家に上がりこんで)料理を作るわ、と張り切って見せたとします。 そこであえて手の込んだ料理を作るよりも、作れない振りをして簡単なサラダ程度で男の度量を測ったというかね。 手の込んだ料理なら「こんなの作れるんだ、すごいね!」なんて味以外でほめることできますけど、サラダ程度で「この味がいいね」なんていう男もあんまりいなそうじゃないですか? そう考えれば、料理の味について「ほめる」ことをしない男が多いのに、そんなささいな味付けをほめてくれるやさしさというか気遣いというか、そこを彼女の中で「合否」にかけたのではと思うのです。 それプラス、「サラダを味わって食べる時間帯」を考えると、普通の恋人同士で手料理を作るなら夜にサラダというよりは、初めて朝を迎えて彼女が料理を作って、みたいなしっぽりとした雰囲気も感じ取れるわけです。 あくまで深読みですよ、深読み!(w そこまで深読みすれば、あの時数で端的にあらわしたなんでもない日常が絶賛されたわけもなんとなくわかりますがね。

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 深読みしますね。 朝のサラダや「しっぽりとした雰囲気」までは読み取れませんでした。 男女関係での「サラダ」は、前菜程度のものと思い込んでいました。 いずれにせよ「実体験」というより、「少女の夢日記」のような気がしてきました。 「かわいいだけの女」じゃ短歌は詠めないということでしょうか。

  • hato_pop
  • ベストアンサー率34% (58/167)
回答No.1

日本文学の研究をしているような人に聞いたら、すごい解釈を教えてくれそうですね。私は一般人の女性として感じたことを一言だけ。 好きな人に料理の味を誉められるのはとても嬉しいことです。手作りの食事は、夫婦の幸せを左右する大事な要素ですから、女性としては並々ならぬ気合で料理に臨んでいるんです。 >恋人に褒められたという理由で、料理に記念日をつける人がいるとは思えません。 まさにご質問者さまが思っているように、ありえないことです。肉ジャガ記念日とか焼きサンマ記念日とかいちいち祝われてたら、旦那さんは財布がからっぽになってしまいます。 このありえないことで、大きな喜びを表現してるのでは?「地球を一周するほど嬉しい」とか、そんな表現に近いのだと思ってます。女性は記念日好きですしね。

yoshinobu_09
質問者

お礼

ありがとうございます。 一本とられたような気がします。 女性が記念日好きということを忘れていましたし、 「一種の誇大表現」という解釈も理にかなっています。

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