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「平和ボケ」について
「平和ボケ」 よく使われる言葉ですが、字面も手伝って否定的な使われ方しかしません。 飽くまで平和ボケのの状態は「悪い」ことなのでしょうか?
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- kannzou001
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「平和ボケ」は良いか悪いかの以前に、「平和ボケ」とは悪い意味しか使われません。 日本語的にも「ボケ」と言うのは悪い意味しかありません。(ノリ 突っ込みのボケとは意味が違う) 「ボケ」の定義は、「何らかの原因で病的な慢性の知能低下が起きる状態」を言うらしいです。 健常者が平和的な思想を持った状態。これは非常に良い状態です。 しかし、ボケの患者の場合は、平和的な生活をしているからと言って、病気ですので放置してよい状況ではありません。 また、ボケ患者は脳に異常があるため、平和の意味を理解していません。 そして、「平和ボケ」と言う意味もそれを示し、「本来の平和の意味を理解していないにも拘らず、誤った状況を平和と思い込んでいる状態」。それが「平和ボケ」です。 日本の今現在が「平和ボケ」なのかどうかは、いろいろな立場や考え方で異なるでしょう。どちらが正しいなどは私にも分かりません。しかし、「平和ボケ」とはそう言う意味です。だから、「平和ボケ」とは、「悪い」意味しか使われないのです。
- kwanon
- ベストアンサー率100% (1/1)
No.1の回答者です。 本質問で 「良い」と言う回答は現状へのある程度の評価であり、 「悪い」と言う回答は衆愚政治への危惧ですかね。 物事を単純化することは良いことではないですが、 何か有効な結論がでる質問でないですね。 質問の内容が抽象的すぎるのではと思います。 さて、私の私見を1つ。 「500年もすれば国境なんて概念無くなるのに・・・。」 無理だと思う方が多いと思いますが、私には可能だと思います。 FTAなんて当然、ただタイミングの問題。 全世界が「平和ボケ」状態だっていつか来ると確信していますよ。 それが、1000年か2000年か先だと言うくらいで。 今その状態じゃ無いからって、ぶつぶつ言うほどのことでもないと思います。 以上です。戯言です。
お礼
またまた御回答ありがとうございます。 まぁ質問の仕方はその通りなのです。 お分かりのことと思いますが質問に対して一気呵成に意見を述べられる方も いれば、思考が一旦ストーミングして、内包する意味合いまで述べようとさ れる方もいます。なるべく質問自体は無味乾燥のものにしたかったというこ とでご了承ください。 「平和ボケ」という単語に元々悪意のような感情が入っていることを過小に 見てしまったことはあると思います。 >さて、私の私見を1つ。 まっそういうことです。 ただ「全世界が平和にボケていられる状態」になっていないことが不満だと いうことではなく、そうは絶対にならないと断定している人達が「平和ボケ」 という言葉をさも事情通感ダダ漏れで使用し、目には目を的単純で非建設的な 環境が早急に必要と言ってるのを見ると、現実的対応策と将来的解決策の区別 がついていないように思えるのです。二つを同時進行しようとする話しは聞い たことがありませんから。
- bismarks05
- ベストアンサー率33% (221/666)
以前、『平和ボケの善悪は陳腐である』、と回答した者ですが、補足説明しておきます 今だに理解していない人が多いと思われるので、指摘をば そもそも、”日本が「平和」状態であるのか?”という回答と、”日本人が平和ボケ状態であるか?”は別でありえるでしょう 同時に、平和ボケの定義なしに、平和ボケを論じることの適否は当然思慮するべきでしょう 私見として以下のように個人の平和ボケを暫定定義をしています (1)『行政機関が暴力装置であり、武力行使という物理的暴力・強制力を持ち得る行政機構は、強く権力を法的に牽制するべきこと(=暴力装置の暴力行為の合法範囲を精査すること・≒軍隊であれば軍法があること)を理解・想起しえない思考』 おおよそ、巷説の「平和ボケ」については定義論を回避し、情緒的かつ感情論に過ぎない低劣さがありますが、その適否・説得力は当事者たちが思慮することはないのでしょう (逆説的には、それだけ「平和ボケ」が陳腐であることの証左であろう) 私的定義論においては、日本・日本人の多くは『平和ボケ』でありましょうし、同時に歴史的教訓・政治原則さえ理解できない未開人と言えるでしょう。 その部分では、善悪は別にして、低劣・無能と言われても反論する余地は少ないと思われます 当事国の暴力装置の様態は、当事国人民・社会の決定事項であり、他者の意見などは大きな意味を絶対的に持ち得るものではないでしょう そもそも、平和ボケの適否・善悪は別にして、当事国の政治様態については、個別的に勘案するものであって、他国の様態が常に適切でありえる、とは到底言えないでしょう。 つまり、”日本は日本であり、他国は他国とするのが、現実的な政治思考でもある” さて、日本国は戦後、9条1項が想定する武力行使を自制し、PKO法から国際協調として、独自の外交展開してきた。 A:湾岸戦争の戦時処理では、ホルムズ湾の掃海業務を担い世界有数の技術力を提示、 B:第二次湾岸戦争の戦時処理では、ムサンナ地域の給水を主体に、医療・発電などの整備 C:中近東諸国の情勢不安を情勢するインド洋の違法行為を監視する国際的監視行動を間接的に支援 D:カンボジア・東ティモール・モザンビーク・ハイチ・ゴラン高原などの復興・戦時調停・自治支援 E:周辺事態法・有事法制をベースにして極東地域の安全保障に能動的に貢献 など諸外国に比較して「能動的安全保障活動」に勤めていたと言えるだろう。 確かに、自国の安全保障に関しては、日米安保条約との整合性・戦後処理問題から不合理とも言える事例はあるが、 それらは、日本の政治事情の問題であり、『平和ボケ』状態に由来する問題ではなく、外交上の問題であろう。 私は『平和ボケ』という安っぽい挑発を無視するか?その情緒的語彙を精査するか?で対応するのが妥当であろう、と思慮する。 平和ボケの善悪・適否は別にして、「平和ボケ」の定義・その状態の適法性・他国の相対主義の妥当性と相対比較するだけの諸外国に関する知識・情報の有無・・などにおいて、概して「平和ボケ」を論じる人間の程度は低い、と言えるだろう もっとも、平和ボケの適否・善悪などを問題にすることから、無意味である、とも論じていることから理解できるとは思うが、 平和ボケという概念を取り扱おうということがそもそも無意味であろう 結局、『平和ボケ』の批判が建設的になりえた形跡がないのである。冷徹・怜悧・聡明なる人が実際に、政治を動かしている現実からして、『平和ボケ』など思慮する価値は、現実にないのであろう。 所詮は、平和ボケは机上論にすぎず、しかも陳腐なものであるのだから・・・・・・・ 以上
お礼
またまた御回答ありがとうございます。 解釈するのに大変な文章ですが、理解した限りでは ・武力をはじめ警察権や司法権など強大な権力の行使にはそれを厳正に運用し、 濫用を抑止する力が必要である。しかし、今の日本人はそれを理解していない。 このことを以って日本人は「平和ボケ」状態と言える。 「バンバン使えるものは使えばいいじゃん」「軍備でも法律でもいくらでも強烈にして 馬鹿に対抗すればいいじゃん」と思っている人間は「平和ボケ」という言葉を往々にして 使用し、挑発し、「タガ」があることなど無想だにしない。 ・国の安全保障に無関心である状態が「平和ボケ」である。ということが言いたかったのではないかと 思うのですが、「当事国の暴力装置~外交上の問題であろう」については安全保障との齟齬は「平和 ボケ」ではなく政治事情によるもの、ぐらいしか読み取れませんでした。 ・(「平和ボケ」を論じるもの=「平和ボケ」という言葉で人を罵るものと解釈します そうでないと 私自身些が困りますので)「平和ボケ」は罵倒語でしかなく、そういう言葉を使う人は元々そんなこ とに思いを馳せることもない、その上考えてる人は国家組織の中にきちんといる。論じる必要はない。 まっこんな感じです。ただ・・・ 「平和ボケ」は安全保障や権力抑止の歴史に限らず、企業や個人の危機管理意識の疎さに使われている ことが非常に多いです。怪しい土台の上であっても70年近く銃火は交えていない平穏な国です。 過酷な経験の後、争いを起さないことを良しとする教育もそこそこ浸透して平和を享受している状態を それが出来ない勢力の影響で「対応しないのは愚か」としたり顔で言う人が現れて、動かされることが 「降りていく」ようで腑に落ちないのです。「平和が良いというなら平和にうつつを抜かすことのでき る世界を目指してみる」のも正解の一つなのではないのかと思うのです。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
お礼有り難うございました。 > ニュアンスを汲んで頂いただけでもありがたいです。 ニュアンスさえ理解出来ない人は、質問の意図・・と言うより、日本語が理解出来ない、残念な人ですね。 「平和ボケ」を連呼する「平和ボケ」した人は、我々とは「違う平和」を希求する人でしょう。 戦前のナチスや日本が極右のゴール、現在の北朝鮮が極左のゴールとすれば、似た様なゴールでしか無いってコトに気付かないんですよ。 恐らく永遠に・・。 従い、永遠に判りあえるコトもないですよ。 「平和ボケが出来る状態は、概ね良好である。」は間違い無いと思いますヨ。
お礼
またまた御回答ありがとうございます。 フラフープを内側から覘いているようなもので、ある一点から反目し合って 右と左に別れて行った二つの点が、元の場所からお互い一番遠い場所まで来て 「これだけ極端な思想にまで尖鋭させたぞ」と両者とも満足していたらお尻と お尻がぶつかった。 武力・暴力の後ろ盾で己が為だけの「安穏」を求めるならば、なにが礎でその上に なにを構築し、それが招く結果はどういうものなのかなんてことは考えなくていい わけで、上記のように滑稽で無惨な現象が起こるべくして起こるわけです。 今の日本が平和かどうかは微妙です。でも大変多くの国でその平穏さを称賛され 羨ましがられています。「馬鹿がいる」「話しが通じない相手がいる」「人は裏切る」 を前提に「日本人よ警戒を怠るな」は現実では必要なのですが、明らかに精神的成熟度 を一段階も二段階も劣っている者に合わせる行動です。 こんなこともわからずにいかにも「私は油断の無い沈着な常識人感」を醸しつつ、 「あんた平和ボケだよ」などと簡単に言う思考に嫌悪と哀惜を感じるのです。 思考の向け先くらい「理想」でもいいですよねぇ。少なくとも「〇〇△△を目指すことが 本来の姿なんじゃないですか」と言ってもいいと思うんですけどね。すると・・・ 「典型的な平和ボケです」となって・・・。ww
- tamaki1015
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hekiyuさんに賛成です。 日本はいまだに鎖国していると思います。地球で何が起ころうと知っちゃいない、というのが情けないです。 ギリシャが破産しようが(それでユーロという通貨が脅かされようが)イラクで自爆テロが起こって30名死のうが、日本のトップニュースが「ハクチョウのタロウ一家が3年ぶりに越冬にきました」が新聞の一面では、ずっこけます。 平和ボケがいい意味か悪い意味かはわかりませんが、世界の主流から見れば、おめでたい国だと思われても仕方ないかと思います。
お礼
御回答ありがとうございます。 うはは まぁ影響の度合いだとか、好まれるジャンルとか、枕的な意味合いとかあるんでしょうけど。 想像の範囲でも自分が置き換われない状況には共感をはじめとした感情が起きにくいのですかね。
- bismarks05
- ベストアンサー率33% (221/666)
簡単に、 善悪二元論でしか思慮できない低能だけの話でしょう 平和ボケとは縁遠い(といわれる)スイス(出身はドイツ)の私の教え子が指摘していました (要約) 日本は冷戦構造下において、極東の自由主義陣営の防波堤の一翼を似ない、今でも平和憲法の下において国際社会の安全保障の一翼をと勤めている。 「日本国民が平和ボケであるか?」という設問には回答の難しさを感じるが 少なくとも国家として「平和ボケ」であるという認識は諸外国との比較でみる限りは、そう断定するのは軽挙だろう もっと平和ボケな国家はあるし、危機管理以前の国家もあるのだから・・・・ スイスは『民間防衛』といって国民総出で国防体制を整備している特殊な国家であるが、国際政治の論陣を担う彼からすれば、平和ボケ国家とは思えないそうである。 (もっとも彼はアジアが専門ではないが) 個人的には、「平和ボケ」という言葉を濫用する側の方が、平和ボケであろうことを指摘できます 例えば、集団的自衛権云々の話をする人は多々いますが、日本国は、憲法上の嫌疑の低い『個別的自衛権』ですら行政側の憲法解釈で自制されている現実がある これらの集団的自衛権云々以前の自衛権の充実を図らない意見は、平和ボケであるからこそであろう ある意味、平和ボケだから、「他国に守ってもらう・守るため」ということが魅力的で、自前自衛の整備すら失念しているのだろう 仮に平和ボケという批判で、自衛隊が (1)「軍法」(軍法会議)を持ち得ていない、 (2)警察比例原則の拘束下にある (3)自衛隊法及び特別措置法などの限定的な武力行使の制限下にある などという憲法以前の問題を示唆するならまだしも、憲法云々だけで論じているのは、それこそ「平和ボケ」と思います ただ、日本人が大半が平和ボケであるとは私は思います なにせ、『自衛隊が暴力装置である』であるという認識から絶対的に逃避するような国会・世論なのですから 理知的な人の多くが、 「自衛隊が暴力装置である」 ことを理解していますが、そんな基礎すら理解しないような国民が大半であることは「平和ボケの証左」と言えるでしょう これについては、上記した彼が嘲笑していたことが印象的でした その善悪・適否は判然としませんが、国民レベルで騒いでも無駄という部分も多いので、諦観すればいいと思います 私はすでに諦観していますけどね
お礼
御回答ありがとうございます。 武力を一定数持つことは許されたが、それを使用することに大変な抑制をかけられました。 その当時ですらこんな武器の使い方は事実上持ちえた武力の半分を無辜に帰させたでしょう。 こんなことをなぜ日本人は受け入れたのでしょう。 「無理矢理」だけでしょうか。 厭戦や幻想ではあっても戦争の無い未来への期待があったのではないでしょうか。 今現在世界に影響力を持つ国でこれほど非戦闘員を虐殺され、国土を焼かれた国はありません。 こういった経験の無い国が小学生の頃の子供と同じ発想で「力は意志貫徹の手段」であると言って なにをどれだけ持ってる、どっちが強いなどとやっているのを見るのは「間違っている方向へ向かっ ているなぁ」と感じるわけです。 「平和ボケ」の言葉自体は何度か申し上げた通りマイナスからの発信なので元々良くない意味で 使われることは承知いたしました。 いろいろ参考になりました。 回答者さんはこういうところで回答されているわけですから全く諦めているとは思えません。 まぁ折りがあった時には「語る」程度であってもよろしいのではないでしょうか。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
何となく質問者さんの感覚は判ります。 って言うか、「平和ボケ」が存在出来る「状態」は、間違い無く「良い状態」「好ましい状態」だと思いますよ。 ただ、「ボケ」は人物とか人物の思想ですよね? 従い、状態では無く、「平和ボケ」そのものは、害悪としか言い様が無いです。 世界を見るまでも無く、核保有国を相手に領土問題などを抱える我が国で、「憲法9条があれば、日本は侵略戦争被害を受けない」的な、理想論者や平和主義者がいます。 また逆に、戦争の悲惨さを知らぬ上、思いを馳せることもせず、かつ現在の平和には感謝せずに、軽々しく「日本も核武装すべき!」などと言うボクちゃんも居ます。 いずれも一理は有りますが、わずかに一理しか有りません。 軽々しく防衛力などの「放棄」や「拡大」が言えるハズは有りませんが、それを言っちゃってる極論に、正解があるハズもありません。 残念ながら現在の世界では、「戦争」「武力」「抑止力」「防衛」などは、平和を希求する上ででも、現実的な外交上の手段の一つです。 その理由は、たとえば我が国と他国では、希求する平和が同じではなく違うモノだからです。 他国にとっての平和が、「日本を占領すること」であった場合、我が国の平和は、憲法9条では担保されません。 また我が国が安易に核兵器の開発などをすれば、他国にとっての平和を侵害するので、我が国の平和が脅かされる可能性にもなってしまいます。 従い、「平和ボケ」の「状態」を維持するために必要なのは、調和やバランスです。 特に「防衛」などは、我が国の一存で決められるコトでは無く、我が国とは「異質の平和」を望む国とのバランスで考えられねばなりません。 自分の考え以外とは調和せず、バランス感覚を欠いた人物や思想が、最大の「平和ボケ」でしょう。 極論以外とは調和が出来て、双方向とか多面的に考えたバランスの良い思想を持つ人が、極論を持つ人物に向けて発する「平和ボケ」は、「否定的な使い方が正しい」と思いますよ。 極左に限らず極右も、「極」が一番の「平和ボケ」ってコトです。 偏った思想がどうなるか?は、実際に極左になっちゃってる北朝鮮などを見れば明らかで、「不幸ボケ」みたいな国になるしか無いです。 「平和ボケ」が存在出来る我が国は、悪い部分も沢山あるけど、世界の中では、まだまだ良い国の部類なのかも知れませんね。 逆に極左や極右が絶滅した状態が、多くの人が「平和ボケ」で居続けられる「状態」が達成・担保された姿なのかも知れませんが・・・。
お礼
御回答ありがとうございます。 少しでも突き詰めていこうとするとどうしても「話しの通じない相手」が出てきてしまって 先に進めなくなりますよね。 どうしたら話しが通じるようになるのか遠大な話しになってしまいますが、どこかで踏み出さ なければ、一歩は無く、二歩目も無い。したがって目標達成はあり得ない。 現実には話しが通じない相手がいること、ルールを守らない相手がいることに100%依拠した、 話しなんですよね。誰も事実上相手を理解する世界を目指す行動など取れません。 ニュアンスを汲んで頂いただけでもありがたいです。
先の大戦で連合国に原爆を落とされたり。大都市や地方都市まで焼夷弾を落とされて多くの民間の日本人亡くなっでいるのに、日本人はアメリカや連合国を恨んだり非難する人はいません。しかも東京空襲を指揮したルメイ将軍は後日自衛隊創設で勲一等旭日大綬章を受勲しています。これが日本人の平和ボケの初出ですよ。平和ボケとは外国の彼方此方で殺し合いをやっているのに日本人は無関心な事を言います。尖閣諸島や竹島を取られても文句を言わないj事も平和ボケの証拠です。
お礼
御回答ありがとうございます。 質問自体が「平和ボケ」という単語に言及してしまったもので、 こういった感じの回答頂くことは仕方ありません。 意図に気付かなかったわけではなく、「平和ボケ」を追った結果の 御回答であるとして、参考にさせて頂きます。
- sirousagi1
- ベストアンサー率35% (730/2059)
健常である者が、そうでない者を揶揄する言葉として昔から「ボケ」と使っていた気がします。 関西方面での「ボケ」とはまた違った意味であるんだとも思います。 「平和ボケ」は悪いことかとした時、「悪い」と言わざるを得ないと考えます。 「良い」という理由が見当たらないことも付け加えます。 日本人は、周囲を海に囲まれている環境から外敵の脅威にさらされることはなく、唯一太平洋戦争の空襲しか味わってこなかったこと。さらに言えば警戒すべきは地震や台風といった人的にはどうにもならない自然の災害としか対峙してこなかった因子がDNAとして根付いているんだろうと思います。 平和と危機感的な要因とした両者を区別した時 この特殊な要因が日本人の本能になってしまったため、危機を理解し知る者とそうでない者とに温度差を生んでいると思います。主義主張・思想さえも違えば民族どうしで殺し合いをしているのが現実であって、話合いが通じない相手はそこらじゅうに居ます。 南国の海で人間の怖さを知らない魚は人間に寄ってくると聞きます。警戒心が無くなれば絶滅をも危惧してしまいます。
お礼
御回答ありがとうございます。 一瞬でも相手の立場になってものを感じ、考えることが出来ればいいのですが。 そういうことが出来る方法ってないものですかね。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
平和ぼけは悪いことです。 なぜなら、国際社会は弱肉強食の社会だからです。 世界は、自国の国益を最大にしようと 日夜鎬を削っています。 (国際政治学 藤原帰一 東大教授) その為には手段を選びません。 どんな卑劣なことでもやるのが国際社会です。 米国は、石油利権の為にイラクに因縁をつけ 侵略し、10万を殺しました。 それでもあれは正しい戦争だったと、平然としています。 国際社会は、勝てば官軍の社会であることは、 日本はあの戦争で十分判ったはずなのに、 未だに自衛隊が合憲か、海外派兵は合憲か というレベルでもめています。 これでは国益が損なわれるばかりです。 しかも、平和ぼけしているため、戦争は平和な 時でも行われている、ということが解りません。 経済戦争、情報戦争が行われているのに、 何も手を打とうとしません。 それどころか、あの戦争は悪かったから 謝罪や賠償などと寝ぼけたことを繰り返して います。 もはや平和ぼけを通り越して、気が狂ったとしか 思えません。
お礼
御回答ありがとうございます。 性悪説に立つと種の繁栄はないでしょうねぇ。 少なくとも生まれ落ちたその日から「人を信じるな」という世界はいやですね。 回答者さんも含めこの先50年くらいしか未来は見ることはできないでしょうが。 性善説が鼻で笑われていない世界であることを望むばかりです。
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お礼
御回答ありがとうございます。 「平和ボケ」の使用の仕方についてはおっしゃるとおりだと思います。 飽くまで「平和ボケ」の状態は悪いことなのでしょうか。 となると些か趣が変ってくるのではないかとも思うのです。