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時代が変わったのか自分が変わったのか迷います
最近揚げ足取る人や過ちに対して追い討ちかける人が減ったと思いませんか? 90年代はかなりそんな人が多くて、非常に素直になるのが怖かった時代でした。 私は当時20代で引きこもり状態から立ち直ろうとしていた時期でもありましたが、時代のせいでしょうか?それとも引きこもり状態だってことで敢えて厳しく接していた人が多かっただけでしょうか? 今は40間近にして失業保険貰いながらあの頃みたいに暮らしていますが、それで責め立てたりする人や自分勝手な言動を浴びせられたりする人はあまりいません。
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私も40歳前半です。 それは、あなた自身が変わったようにも思います。 揚げ足取る人、追い討ちかける人、という表現は良く、分かりませんが、 それはあなたが若い頃の方が、自分自身に対する他人からの評価を気にして いたからではないですか。 私はそうです。私は引きもこりという事を経験した事は無く、ずっとサラリ-ウ-マンとして働いてきました。 昔は自分が失業して、失業保険を貰うなんて、考えもしませんでした。 昔はそういった事が恥ずかしい、と思いました。私も。 でも、40歳も前半になると、そうも言っていられないんですよね。外聞よりは自分の 苦しい状況を何とかしたい、自分優先になりますよ、どうしても。 まあ、時代というか、声高に「他人」に「何か」を言える人も少なくなっているのも事実 なのではないですか。 それだけ、昔の若者が感じた何か「達成感」のようなものを、今の時代の若者が 感じられない、またそういう「達成感」を感じる機会を等分に与えられない、 日本という国が厳しい時代なのかもしれません。 昔以上に、日本の厳しい「線引き」に、居残れない、そういう人達も多いからではないですか。 社会生活からの逸脱です。
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- tomban
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基本的には人間変わってないんです。 ただ「スタイル」「流行」があるように、人の世の考え方や常識にも「流行り廃り」というのが有るんですね。 今の時代は「みんなが敗者」という感じです。 私は相撲の「朝青龍」さんは好きではなかったけど、一方で「…なんでこんなにシンパがいるんだろ?」ということがいつも不思議でした。 今思うと「強い人を、強いといえないのは何でなんだ?」という、ある意味、社会風潮に対しての「アンチテーゼ」だったんでしょうね。 「勝利は個人ではなく、みんなの所有物なんだ」という思いが、いつのまにか蔓延してたんでしょう。 みんなが敗者…他人と自分を差別化できない社会…底値安定した社会ですから「相手を叩く」という行為そのものに「嫌気」を持っているんだと思います。 ですからそれは決して「みなが理解を持って、慈愛に富んで」って意味じゃないんですよ。 そこは騙されてはいけないところだと思います。 辛いでしょうけど…敢えて言えば、そういう理由なのです。 時代を的確に見る、ということは「自分がどこに居るのか」ということを知るための一歩なのです。
- 2181
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色々言われたのは、あなたが若かったから もしくは“言えば変わるだろう”と望んでいたから …かな
- Gusdrums
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今も昔も、人の対応って、そんなに変化ないですよ。 顕在化しているか潜在的になっていったの差でしょう。 パワ-ハラスメントやモラルハラスメントが過去よりも顕在化したり問題視されて来たので、その分、陰湿化の傾向が横行しているし、鬱病もそうですね、過去は単純にストレスといって処理されていましたが、患者数が増えたことにより、認識性が高まってきました。 ただ、貴方が引きこもっていた90年代は、単なる甘えとか精神面の弱い者とした安直な決め付け、つまり既成概念でしか判断ができない健常者が多かったのです。 これが正論と勝手な自己の価値観を精神論として押し付ける輩は、人間、皆同じという無知な目線の上、経験も無いのに、他人の何が理解できるのか!ということです。 当時の健常者に精神的疾患を理解ができることは難しく、最近になって鬱病の患者数の増加や精神的疾患についての認知度が高くなり、少なからずも理解を得るようになって来たのです。 以上が今と昔の差ですね、他人の思考や心理というものが人それぞれ異なることは当然、精神へ踏み込みにくくなったということもあるでしょうね。 だから、まともに自分勝手な言動は表面化していないということですね。 反面、良識のある人は、人に対する限度というものをわきまえている人も多くなった分、上述の通り、陰湿な傾向は鳴りを潜めながらも、結構ありますよ。
お礼
ありがとうございます。