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幼稚園の子供のお手伝い
通う幼稚園がカトリックで、月に二回おにぎりの日があります。 本来あるおかずの分のお金を恵まれない子供達へ寄付するのです。 金額は五円とか十円とか人によっては百円だったり。 持たせるお金を当たり前のように子供に渡したくないため、寄付金を子供に稼がせようと思うのですがどう思いますか? お金はただでうまれてくるのではないという事、一生懸命働いた大切なお金を寄付するということ、 そして恵まれない人々への祈りなどを教えて行きたいためなのですが、年少には難しいですか? 子供にさせる仕事と言っても普段の事お手伝いとはまた違う内容にしたいのですが、 年少のレベルでどんなお仕事ができるのでしょうか。 風呂掃除で一回五円というのも何か違う気がしますし・・・ お手伝いはお金を貰ってすることでもないし・・・・ 色んな方のご意見を頂きたいです。 子供に働かせて稼ぐという反対のご意見でも構いません。 アドバイス下さい。
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カトリック幼稚園に勤めていた事があります。○○弁当の日と言って、お弁当のおかずを○○1品だけにして質素倹約し、その分を貯めて恵まれない人へ、という活動もした事があります。(食材を書いてしまうと特定されるかもしれないので伏せさせて下さい(^^ゞ) >お金はただでうまれてくるのではないということ >一生懸命働いた大切なお金を寄付するということ >恵まれない人々への祈りなどを教えて行きたい お気持ちはわかるのですが、今回のおにぎりの日寄付と結び付けるのは少々違うように思います。 『普段は、ご飯(白米)、主菜、副菜、汁物など数多くの皿が食卓に並びます。お弁当にしても色々なおかずが詰められています。しかし恵まれない人はみんなが普段当たり前に食べている食事がなかなか食べられないんだよ。そういう人たちがいる事を知り、機会を見つけては自分が我慢する事で相手に嬉しい食卓を経験してもらいたいね』という説明を子どもたちは年齢相応にされていると思います。痛みを分かち合おうという精神ですね。 いきなりお金を出す、という流れではなく、「まず自分が我慢をする。その分を譲る」ためにおにぎりの日が設定されているのです。 ここに働くとか、お金の大切さとか、手伝うとか要素を詰め込み過ぎると、子どもたちには理解しずらいです。『よくわかんないけど恵まれない人を支えるには辛い思いや我慢や遊ぶ時間を削るとか色々しないといけないんだ』というズレた考えにもつながりかねません。 おもちゃを友達に譲ったら喜んでもらえたように、おかずを我慢してその分で誰かに喜んでもらう。シンプルな考え方と行動からスタートした方が良いです。 おにぎりの日にもっと気持ちを込めたいと言うお考えでしたら、お金を渡す時に『これは○○ちゃんがおかずを我慢して使わずに済んだ分のお金だよ。これでいつもお腹を減らしている子どもがたくさん食べられて大喜びできるといいね』としっかり伝えることで十分ではないでしょうか。まだ年少ですしね。 幼稚園の指導方針としても、年長には時間をかけて育んだ分、奉仕の精神や自発的な手伝いを求める時もあります。しかし年少は何と言っても神様の存在に触れて(信者さんの家庭をのぞく)、まだ1年足らずです。見よう見真似で祈ったり、年上の子や担任と一緒に行動することで十分だと考えます。あまりに負担が多いと、嫌がってしまい本末転倒になります。 お金の大切さはもう少し大きくなってからで良いと思いますよ。