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勘違い、誤解はどこまで許せますか?

単純な第一印象や そっからの性格のイメージは ちょっと話せば勘違いや誤解はなくなりますが 自分の夢や考え、行動など深い部分での誤解や勘違いは許せますか? じっくり話さなきゃこればっかりは理解しづらく 僕は勘違いや誤解を身内からされると辛いものがあります。 「言わせとけばいい」「いつかわかる」「ホンモノなら自ずと理解される」 となる考えが正解なら 一番身近で自分をわかってて、「毎日自分と話す人」にさえ 誤解、勘違いは元より「決め付け」までされても そういう「自ずとわかる」「言わせとけ」といられますか?許せますか? 話し合うとしても 「決め付け」からこられても平常心で返せますか?

みんなの回答

  • boseroad
  • ベストアンサー率26% (149/558)
回答No.5

人間は誤解する生き物や。 自分のことでさえよう分からへん。自分のことすら誤解しとるかもしれへん。まして、周りのことは誤解するのが当たり前。周りからも誤解されるのが当たり前。 せやから、誤解されても、さもありなん。それで仕舞いや。いつかは分かるとかも幻想。 分かってもらわんでも構へんやん。自分は自分。言わせとけばええ。 ここでの質疑応答かて、相手から誤解されることしばしばなのと違う?わしなんか、ついさっき締め切られたやり取りでも、質問者から誤解されっぱなしやったし。(苦笑)お前そう読むのか、と。 それでも、別に構へん。誤解されへんこととか、微塵も期待しとらん。 もち、自分で修正点に気付いたのなら、修正するのがええ。それによって誤解が解ければラッキー。人の誤解なんて、その程度や。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1499/3651)
回答No.4

自分の声をテープレコダーなどで普通に録音して聞いてみると、普段自分が「自分の声」だと考えているものとは違うことに気づきます。これは自分で聞く(録音以外の)生の自分の声は、自分の内部(骨など)を伝わって来るものも加わるため、他人が聞く場合とは違って聞こえているためです。 ここで、果たして本当の声はどちらなのだろうかという疑問が生じますが、もちろん一般には普通に録音した音声の方が「その人の声」であって、自分一人しか聞けない「自分の声」こそが本物だと言い張っても他の人には理解されないでしょう。そう考えますと、「声」という表面的なものとはいえ、自分が考える「自分」と他者が理解している「自分」のうち、少なくとも一部は他者が理解しているものの方こそが、正しい「その人」であるということになると思います。 要するに、「自分にはこんな夢や考えがあり、こう行動している」ということをすべて他者に理解してもらうことは、たとえ相手が自分の身内であっても、本質的に無理ではないかと考えています。他者の目から見たら、自分の認識とは違う姿に写るのは、仕方のないことでしょうから、「決め付け」られても、特に平常心を失うこともなく、「そう言われれば、そうにも見えるかな」ぐらいに考えています。

kou_dt
質問者

お礼

確かに言えてますね。バンドやってるんでわかります

noname#159516
noname#159516
回答No.3

全部をわかってもらおうとは期待してません。 ミステリアスな私でいよう。後で合点する楽しみを残します。 いちいち「そうじゃなくて」とか説明しません。

kou_dt
質問者

お礼

なるほど。合致する楽しみというむしろたのしむんですね。そんな余裕がほしいもんです。

  • ma410
  • ベストアンサー率37% (13/35)
回答No.2

平常心で返せます。 自分のことだってよく分からないので、 ましてや家族であろうと、 他の人に分かってもらおうとは 思っていません。 もし勘違いや誤解をされても 自分が分かっていればいいか、と思います。 >「言わせとけばいい」「いつかわかる」「ホンモノなら自ずと理解される」となる考えが正解なら これを正解と思ってないからだと思います。 誤解や決めつけで怒られたら 流石にイラっとしますが… 「それはあなたの中で作り上げられた 私(想像)でしょ?」 って思います。 むしろ 「私はこう思ってるんだけどなー」 「だからこうしてるんだけどなー」 という周りとのギャップに 「私ってそう見えるんだw」 って楽しんでる面が強いです。

kou_dt
質問者

補足

自分の事がよくわからないのに 自分がわかっていればいい って矛盾してませんか? 正解と思ってるから書いてますよ。 ただそれを実践にはなかなか難しい 言うは易し行うは難しってやつです 作り上げられたとか表面の話はしてません。 アナタが夢をみたり、アナタが何か行動したり、アナタが考えたりする 事は空想世界の想像ではなく 現実になってますよね?(夢→看護士になろう→だから勉強しようなど) そういう作るも作らないもなく「自らの意思で起こしたアクション」 つまり「中身」の話です。 これは「作り上げるものではなく」 「わきでるもの」だと思います。 ご機嫌をとるための作り笑いと ホントに面白くて笑ってるのかの違いです。 作り笑いならあなたの「作り上げたものでしょ?」ならいいですが ホントに笑った顔を 「何バカにしてんだ」 と捉えられたりって事です。 まぁそんなとこです

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.1

そもそもいつかは判るという考えが正しいというのは何処から生まれた考え方なのかしら? 何事も最初が肝心。誤解される事が多いなら自分の言動を反省し誤解を解くべきだし、言わなくてもそのうちというのは、一生そのままと云うことはありえますから、これも度々軌道修正するべきでしょう。 私なら、自分を正当化しようとは思わないけれど誤解されたまま間違って人格を評価されたくないので、早めに誤解を解くことを優先します。 つまり、我慢はしないし出来ないし、したくないと云うことです。 決めつけて議論になるというのは親子関係かな?でも一理はあるんだよね。過去の経験から推察したり、人生経験からの判断は客観的であれば有るほど当たる場合が多い。 それを否定し相手を納得させるには、やはり行動が伴わないと。 それがいつまでも繰り返しになるなら、やはり自分にも非がないか、考えて見ることは、回り道ではないよ。 また、正しく自分を見てくれていないからと言って存在や全人格の否定や誤解にはならないと思う。 自分だって他人をどれだけ正しく分かってあげられているのか、考えたら、かなり怪しくないですか?

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