本人の勉強量は別にして、「競争する環境」には確実にいるんでしょうね。
東大実戦(あるいは即応オープン)と駿台全国模試の最上位層はほぼ完全にラップします。そして彼らはその他の模試を積極的には受けません。それ以外の模試は「主役不在」といってもいいほどです。その最上位の多くは現役灘高生で毎年占められます。灘は理系偏重なので、文系各学部はその限りではありませんが、理系最上位の得点力はすさまじいので、文系に入っても善戦できる、というより文一程度なら楽勝です。なので質問文の4ないし5種の秀才は「ほぼ同じところにいる」「あるいは同一人物」であり得ます。法学部主席というのは大学卒業時なので、時期が違いますが。
彼らと同じような(切磋琢磨できる、あるいは刺激を受けられる)環境にあれば、彼らと同等の力を発揮できる生徒も全国にはいるのでしょうが、いかんせん彼らと同じような環境を、本人も周囲も作り出すことができません。その意味で、その稀有の環境に守られた、あるいはそれを勝ち得た彼らに怖いものはなく、受験生である期間は異次元の万能者としてトップに君臨し続けます。東大ボーダーの受験生からも遠くかすんでしか見えないのに、とても一般高校生には追いつけません。
ただしこれは高校三年生当時の受験適応能力という狭い視点で計られたものにすぎず、それ以降は露骨な得点競争はなくなるし、才能の発現の仕方も変わってくるので、彼らにもおごった気持ちは全くないようです。受験の枠組みで終わる才能なのか、それでは計れないほど大きな才能なのか、それは何十年も経てわかってくるのでしょう。
私は一浪東大ですが、理三を含む現役の最上位はほんとうに優秀で、しかしそれよりなにより勉強することが好きで、その吸収力の高さには舌を巻くばかりでした。私は彼らに会うために、東大に行ったのです。そんな世代の才能が、ごく一部とはいえ「オウムの魔手」に絡め取られてしまったことは残念でなりません。
お礼
みなさんありがとう