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困難を避けるか?向き合うか?
困難を避けますか?困難に向き合いますか? 独りででは、難しくてもパートナーがいれば出来るものですかね? 困難の無い人生は無いし、また多少の困難は無くてはね。 安易で味気ない人生を歩むことに意味が少ない様にも感じますが。 話は変わりますが、最後の聖戦(インディージョーンズ)で聖杯を諦めるシーンがありましたが、 聖杯を守る勇気なくして、聖杯を得るべきでは無いだろうし、聖杯の存在したという事実だけでも 気持ちの整理が出来てしまったように感じました。 何事にもタイミングと勢いがあるし、火中のクリを拾うも、困難に向き合うのも 高い意識を持っていないとね。
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>高い意識を持っていないとね。 ここがよくわからないんです。 困難は、自分が進むべき道に必ずある「一里塚」です。 排するのはひとつの「方策」であって、わざわざ困難を追い求める必要はないのです。 火中の栗をわざわざ取らなくても良いんですよ?。 タイミングと勢いは、何か違うことのときに使ってください。 そうじゃないと、本当に「火中の栗」の寓話の通り (火の中の栗を取ろうと試みた猫が失敗して、サルに横取りされるという物語) 「地に落ちたヒーロー」になってしまうから。 人生は面白かろうが、つまらなかろうが、大切で大事な、あなたにとって一度きりのものです。 自分の人生を愛せるようになって欲しい…それがどんな人生模様であろうともね。
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凡人の人生では『逃げるに如かず』です。別に『困難』なんてものは好き好んで『立ち向かう』ほど私のような凡人に価値のあるものでもないでしょうし、『苦労』なんて“買って”しなくとも、こっちの都合も考えずに勝手にやって来ます。まぁ、『高い意識』とやらを持てる聖人・君子ならこの限りでもないでしょうが。
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ご回答ありがとうございます。 確かに、広義でね困難はいっぱいあるし、困難と思っていようがいまいが社会にいれば 対応を求められますよね。 今の僕には、やっぱり無理かもしれません。 僕はただの凡人ですから、意識など持てなくなっているのかもしれませんね。 ご回答頂きましてありがとうございました。
困難から逃げています。 パートナーが居なければ自分自身のみですむと考えてしまい パートナーはいらないと考えています。 ですから、逃げていますよ。そして現実を受け止めています。
お礼
ご回答頂きましてありがとうございました。 確かに独りであれば、逃げられますよね。 逃げられないこともあるかもしれませんが。 僕も良くわからなくなってきました。 恐らく自分がどうしたら良いのか? 積極的に背負うとか困難に立ち向かうとか、 気になれなくなっているのも事実でして。 安易な事が、気楽ですからね。 ありがとうございました。 ご回答者さんも、いつの日か、困難から逃げずに立ち向かえる時が、自信が 芽生えますように。 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 勉強になりました。 確かに困難は、全ての道に存在し、超えまいが避けようが、振り返った時には 一里塚と感じられるかもしれませんね。 克服できなかった困難は、形を変え、若しくは同じ形で困難として現れるでしょうから、 同道をめぐるのも必然と思います。 僕の喩はあまり良くありませんでした。困難を予期していて、それに向き合っていけるかどうかと 言う問題でした。 火中のクリの寓話があるのですね。面白いですね。知らないままに偶然用いいた表現でしたが 言い得て妙でした。 ありがとうございました。