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なぜ大衆はこれほどメディアの影響を受けるのだろう

さすがに、昨今は、学生でもメディア情報は嘘だらけなことくらいわかってそうなものだが なぜこんなにメディアの影響を受けるのだろうか? 少しは疑わないのだろうか? 疑い自分の頭で考える教育を受けていないからだろうか? それにしても... 非常に抽象的すぎた質問で困るかもしれませんが、どう思いますか?

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  • ベストアンサー
  • pokoaruki
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回答No.8

No.7です。すみません、追記させてください。 視聴者・読者が食い付きやすい要素として「分かりやすさ」があると思います。 社会問題は、長年の経緯(「歴史」のレベルになることもある)や、様々な人間、組織、国家などの思惑が絡み合ったものであって、 それぞれの言い分にもっともな部分があったり、仮に悪い部分があっても、それを排除すると別の問題が噴出するとか、 解決法を見つけるのがとても困難です。 ところがあら不思議、「悪党がいて、悪いことは全部そいつのせいだ」と考えると、複雑な歴史的背景や様々な思惑など全然知らなくても、「なんで今のような問題が起きているのか」も説明がつけられるし、 解決法も「悪党の排除」でOK。 多くの人が、残念なことにこの思考方法に走りますね。 「他人のせいであって、自分は被害者だ」と逃げるための、無意識のうちの自己保身、打算でもあるでしょうが、 「解決の困難な問題」「すっきりしたカタルシスのない問題」が心理的に不快なため、つい「解決法のある解釈」に走る面もあるみたいです。 人間は理性に基づいて行動していると考える人が多いと思いますが、 想像以上に、ちょっとした(意識すらしないような)快・不快に思考や行動を左右されているものと考えています。

rfrfr111
質問者

お礼

たしかに、視聴率主義のメディアであったり、自分主義な人間の手で情報発信・受信している限りは、その立場における何かしらの意図を含んでしまいがちですよね。 有難う御座います。

その他の回答 (7)

  • pokoaruki
  • ベストアンサー率35% (117/332)
回答No.7

>少しは疑わないのだろうか? 多くの人が疑ってると思います。 それでも結局はまんまと騙されています。 自分が詳しい分野についてはそれが分かるのですが、そうでないことについては私もきっと騙されているでしょう。 それに、些細なことにも印象操作を用いてるので、本当に根本的な部分でも騙されていそうです。 例えば、災害で断水した地域で、給水車が家の前まで来てくれるのに、ポリタンクを運ぶよう頼んだりとか、 期待する回答に誘導するような質問の仕方をするとか、発言を都合良く編集して、言った人の意図していない内容に仕上げたりとか。 >なぜこんなにメディアの影響を受けるのだろうか? 生存本能など、色んな本能によるものだと思います。 メディアは経験上、視聴者・読者の行動パターンや食い付きやすい情報を熟知していて、 それぞれが儲けや生き残りを賭けて、仕掛けてくるのだろうと思います。 ひとつには、人は「今見たもの」に刺激を受け、「いいな、ほしいな、やりたいな」と感じます。 見たことない美味しそうな食べ物が雑誌に載っていたら、食べてみたくなります。 昔好きだった音楽がたまたまかかったら、すっかり忘れてたのに、久しぶりに聞きたくてたまらなくなります。 こういうとき、「前に受けた刺激による欲望」は、どこかに行っちゃいませんか。 それを分かっていて、ひっきりなしに新しい情報を、過剰なほど発信するのでしょう。 そして、そのやり方で自社製品やサービスを「我こそは」と売りたい企業の存在があります。 犯罪者や、モンスター何とかといった桁外れに非常識な存在、不祥事を起こした芸能人や企業、政治家、官僚などを叩くニュースも、極めて人気が高いですね。 企業や政治家、官僚を叩くのが人気あるのは、「あなたは騙されている、損している」という情報が、人間にとって非常に無視しがたいものだからでしょう。 ちなみに、「マスコミは嘘ばかり」と考えるのも、実はその心理に含まれると思います。 しかし受けが良いからといって、何でもマイナスに解釈して叩く事が常態化し、大変な相互不振(国民は政治や行政を信じない。為政者側も国民を信じない。)を生み出しています。 そして何より、「他人を叩くのが、人間にとってとても気持ち良いことだ」ってことを、マスコミはばっちり分かっているのでしょう。 騒音おばさんやゴミ屋敷、モンスターペアレント、児童虐待した鬼親などの報道は「さあ視聴者の皆さんエサの時間ですよ~。どうぞ叩いてください」と聞こえるような気がします。 しばらく前に、「他人の不幸を見ると、報酬を得たときのような喜びを感じる脳の仕組みがある」という研究結果が発表されています。 同じような感じで、他人のことを「なんて馬鹿・強欲・怠慢でダメな奴なんだ」と感じる刺激を受けると、「自分は利口で善良で勤勉だ」という優越感にスイッチが入るのではないでしょうか。 マスコミの「マスゴミ」な面は、マスコミ自身はもちろんですが、企業や政治、そして国民(視聴者、消費者などとして)が「協力しあって」作り上げていると言えるのではないでしょうか。

  • phj
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回答No.6

#5です。お礼ありがとうございます。 ちょっと補足です。 >責任を取りたくないからですか?情報に向き合う態度に責任関係ありますか。 関係ありますよ。だって、すべての生活は「情報」から成り立っているわけですし、情報を聞いたうえで判断するのが普通です。 たとえば、自動車を買うときもモデルチェンジの情報を聞いていれば新しくなるまで待つ、ということもするわけで、待った結果かっこ悪くなっていて「前のモデルのほうが良かった・・・」と思っても、それは自分の判断であり責任になるわけです。 逆に全然情報を入れないでモデルチェンジ直前に旧モデルを購入して「失敗した」と思っても情報を入れない自分が悪いわけです。 そして日本は国民主権国家です。国民ひとりひとりの投票によって政治が動き、国の方針が決まります。国の運営の成否も経済発展も国民の投票行動が決めているわけです。 逆を言えば、メディアにだまされようが、ばかばかしいと思って投票をしなかろうが、顔がいいからと泡沫候補に入れようが、すべて自分の責任といえます。 それらの総和がこの国の行く末を決めているわけで、大衆がまじめに投票しなければ政治家と官僚がすきかってにやりますし、なんらかの意図をもつメディアに踊らされているなら結果として大衆は自ら望んで操り人形になっている、といえるわけです。 国民主権である以上、この状態から抜け出るには「自分で結果責任を負う」という自覚をもって情報を取捨選択することであり、その結果に対しても責任を負うことです。 情報は「判断」するために必要なものです。責任の伴わないことに関するコンテンツはそもそも情報とはいわないのです。

rfrfr111
質問者

お礼

丁寧な解説、有難う御座います。 ただ、すいません、頭悪いらしくちょっと意味が理解できなかったのですが、 自動車のモデルチェンジ情報を収集するかしないかによる、判断の成功失敗は自己責任によるもので、それの責任をとりたくないという意味ですか? そんなわけないので、どう考えても違う意味ですよね。笑

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.5

みんな少しぐらいは疑っていますよ。 でも、メディアの影響を受けてしまいます。 理由のひとつは「正しい情報」というものを誰も知らない、からですが、もっと大きな理由は「責任を取りたくない」からです。 日本人はもともと「赤信号みんなで渡れば怖くない」(ビートたけし)という習性をもつ国民性が大きいですが、みんなで一緒に行動していれば「だって、みんな渡ってるじゃん!」=なぜ俺だけ捕まえる=捕まえるなら全員捕まえろ=出来るわけない、という思考回路をもっているといえます。 メディアで大きく報道していることはまさに「みんながそう思っていること」であり、多少の疑いを持っていても、自分の身近に感じるデメリットが無ければ、流されてしまうほうが楽なのです。 またどんなに「それは違う」と思っていてそれを近隣の人々に伝える人がいたとしても、発信力という部分でメディアの前にはほとんど無力です。 昔に比べると、インターネットのおかげで個人の発言力も大きくなってきましたが「個人」だけではやはり限界がありメディアに本気で対抗するには「個人同士の連帯」が必要になります。 このレベルになると(このレベルでなくても)このような行動はリスクを伴いますから「流されたほうが責任を負わなくていいから、それでよい」と考える大衆がおおくなるわけです。 もし、これらを打破したいなら教育システムと価値観・道徳観を根本的に変える必要があります。 「出る杭は打たれる」ではなくて「出る杭を大いに誉めそやす」ですね。 日本人にとってこれがどのくらいむずかしいかは、中学生になると途端に授業で手が挙がらなくなることでも分かると思います。 日本人は「みんな」という一括りが大好きなのです。だから「みんな」の意見(のように感じる)であるメディアの主張を鵜呑みにするのです。

rfrfr111
質問者

お礼

有難う御座います。 責任を取りたくないからですか?情報に向き合う態度に責任関係ありますか。 またメディアに対抗しようとしなくてもよいのでは? ただ、確かに、大きな意見や存在に合わせがちな日本人にそれはあるでしょうね。 教育も、出る杭視点もあるのですが、基本的にインプット型故、検証するトレーニングを受けてませんしね。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.4

 嘘だらけでもない。  まず、メディアのは基本的に公式な情報です。これが基準。それを疑う人が情報を追加したり、ゆがめたりしたのが、ネット上にあふれる。馬鹿な記者などがこれをまた公式として出してしまう。  本当と嘘とが同居しているのは昔からなんですが。  疑うことをはじめると、止まらないのです。全てが嘘に見えるのです。本当のことでも。  そこに、歯止めを止められるだけの自信をもって判断出来るかなんですね。  正しいと思い、行動する事で少しずつは本当に近づけるのですが、多くの方行動しない。むしろ逃げる事ばかり、他人任せにする。それは情報に対しての責任を持つことを怖がっているからです。怖がるのは、失敗したときに、一斉に攻撃する、人格まで壊しかねないような中傷をするなどが行われるからです。だから自分で考えない。誰かの責任にしたいと。  それと、自分達で情報を集めない。体を動かして集めないから本当かどうか確かめる基本が無いのです。  ネットは便利です。でも、自分が体験した情報は本当ですからね。ネットはそれが無いから、混乱するんですよ。

rfrfr111
質問者

お礼

そうですね。どうしても視聴率主義の為、情報を修飾してしまうのでしょうね。 疑うというか、情報はどうしても自己都合の解釈に歪曲されがちですからね。 仰るとおり、現場で経験を増やすことを欠いたら情報に振り回されますね。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.3

 仕事を何年もすれば正しい情報だけでないことは大人はわかってる。それをわかったところで何が変わるか、たいしたことが君にもできないことがわかっているだけだ。  君の正しい情報をここで言ってみなよ。それを知っていて、何か救われるのか?  それをモノともせず生きる方が幸せで正しく、そのまま寿命で死ねばどうと言うことはない、気にする方が小さいことを知っているからなんだよ。

rfrfr111
質問者

お礼

ありがとうございます。 ただ、それはちょっとどうてすかなあ。 とても単純なことで、正確な情報を掴むことは、よりよい判断を導きます。 気づかないように生きていくとは生き方ですから否定はしないですが。 また無力とか、世界中を変えようなどという次元でなくともよいのでは?

  • mimazoku_2
  • ベストアンサー率20% (1905/9109)
回答No.2

知識はあっても、情報の精査能力が低いのです。 また、今の学生は、物心が付いたときには、メディアは全て、デジタルであり、携帯があり、PCは標準です。 そんな中で、デジタルデータが書き換え可能な情報であり、絶対的ではない状況、そして、飛び交う情報には、作成者や、伝搬に関わった人間の意志が介在する危険性を知りません。 いや、そんな、気持ちは毛頭無いのかも知れません。 一番良いのは、新聞を数社分並べて、同じ記事を追うと、同じソースなのに記事内容に大きな違いがあると気づくはずです。

rfrfr111
質問者

お礼

確かに。ひとつのテーマに対してあらゆる角度からの情報を検証してみることが有効ですね。

noname#203300
noname#203300
回答No.1

> なぜこんなにメディアの影響を受けるのだろうか?   自分で状況を分析して判断する能力のない者は、仮令馬鹿100人(『馬鹿』と判断する能力もないわけですが。)でも、まともな一人の言うことより“信じるしかない”のです。馬鹿の宿命ですね。 > 少しは疑わないのだろうか?  私も大学時代には散々『テキストだってバイブルじゃない!』と指導教授に言われ続けましたが、『疑う』というのは相当な能力を必要とするものなのです。信じちゃった方が“楽”なんですよね。 > 疑い自分の頭で考える教育を受けていないからだろうか?  そもそも自分で考える教育なんて受けていないでしょう。それは相当な“高等教育”です。指導する方にもかなりの能力が要求されます。

rfrfr111
質問者

お礼

まあ、官僚システムを維持するには国民に考える力を与えぬほうが都合いいですからね。

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