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「子どもたち」という表現は
よく「子どもたち」という表現を、見たり聞いたりします。 「ども」も「たち」も複数を表す接尾語だとおもいますが、 複数を表す接尾語が複数つくなんて変な表現だと思うのは私だけでしょうか? 「子ども」 「子たち」 ではだめでしょうか?
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>私だけでしょうか? いいえ、加地伸行・立命館大学教授 が本年8月17日の産経新聞で、近ごろ気になる言葉があるとしてこの問題を取り上げています。 「ども」も「たち」もともに複数を表すもの。 どもは 相手を低く見る感じ。野郎ども、馬鹿ども たちは 高く見る感じ。先生たち。公達。 「子どもたち」というと、子を下げたり上げたりの感じを否めない。 「たち」の元来の意味を離れ、子自体をさして「こどもたち」の使われるようになったらしい、と諸説ある。 私は反省して最近は「子たち」と言っている。ただし「子どもっぽい・子どもの使い・子どもだまし」は変えない。 (以上、抜粋) まあ、1人でも「子ども一人分」(特におとなとの対比で)言いますから。 他の例ですと、「ひとりの友」でも「ひとりの友だち」でもいいのですが、「ひとりの友」のほうが少し貴重な感じがしませんか。 おかしいといえばおかしいのでが、言葉は生き物ですから、柔軟に考えて、その場にふさわしい言葉遣いをすればいいと思います。
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- ?橋 昌也(@fudousin)
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「子供」という表記はけしからん、供というのは従者の意だとか、子を供え物に捧げた悪習の残滓だなどといって、「子ども」もしくは「こども」と表記すべきだなどという方が多いようですが、私は大反対です^^; 万葉集で山上憶良は「胡藤母(こども)」と表記しているようにこれは「やまと言葉」であり、子等(こら)の意味で「ども」は複数形です。これが、いつからか大人に対する語として単数形で扱われるようになりました。よって、現在は子供は法律用語で使用される場合がわかりやすいですが、単数形として使用されています。無理やり言えば、現在は「子供ども」という言い方はOKなのです^^; ところで、「ども」に見下した意味が発生するのは、時代的には新しく、そもそもはそういう意味はありません。いつのころからか「ども」に「供」の字を当てるようになってから派生した感覚です。よって、子供の言葉の意味を正しく把握していれば、子供という表記を無理矢理分解して難癖をつけるようなナンセンスな話はでてきません。まあ、これは質問とは違うので、余談。それに上から目線というのなら、「大人ども」という言い方は成り立ちませんが、こういう言い方は古くからあります。参考まで。
- trgovec
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#5です。 「ども」はどうしても見下す感じが伴うので普通に children の意味で、単独で使うのは現代の言葉としては難しいでしょう。 「いたずらっ子どもめ!」なら複数と認識できますが、「悪い子ども」は見た目では大多数の人は単数と見るでしょうし、アクセントを変えて言うと(「ど」を上げる感じ)辛うじて複数 bad children と通じるくらいです。
- trgovec
- ベストアンサー率52% (2538/4879)
「子たち」ではありませんが「お子たち」という表現をする人なら聞いたことがあります。「これはおいしいからお子たちはよろこびます」という具合です。ローカル局のテレビに出ていた、料理の先生をしていた人ですが、その言い方はやはり珍しいためかその人が登場すると司会者が「おこたち!」と言ってギャグにしていました。 ちなみに child はもと単複同形でまず er が付き次に en が付きました。
- SPS700
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偶然これも「こども」なんですが、英語のチルドレンがやはり二重です。 ドイツ語で子供一人は Kind 複数では Kinder となるように -er で第一次複数形 雄牛が一匹なら ox で、複数では oxen となるように -en も複数語尾 あわせますと 一人では child なのが、複数になると children と二重の複数語尾を持っています。 別に「子ども」「子たち」で構わないでしょう。千万人と言えども我行かん。自分が「変な表現」と思うか、他人が「変な表現」と思うかの問題で、大したことでは無いと思います。 僕は、「ことば」は出来てから今まで何百万年か知りませんが、間違いの集積だと思っているので気にはなりません。
お礼
回答、ありがとうございます。 >大したことでは無い 確かにどうということでもない。ことの本質さえ見失わなければ、多少表現がぎこちなくても、 間違っていても、大丈夫ですよね。 私も、そのようには思うのですが、自分の表現の仕方によって、自分の思いが相手に正確に伝 わらなかったら、自分が残念でならない。でも「ども」と「たち」でそのようなことはないと は思います。 辞書の一部分の抜粋ですが、 「ども」=複数をあらわす。謙譲、あるいは見下した意が加わることが多い。 「たち」=複数の意が薄れ、ただ複数の形で、軽い敬意を表す。 とあるように、「ども」には見下した意があり、「たち」には敬意がある。 それを同時に使うなどというのは変な表現ではないかと思うのです。 >英語のチルドレンがやはり二重です。 英語でも上のようなことがあるのでしょうか。
- f272
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すでに「子ども」には複数という意識がない,というのが現在の普通の感覚ですから。 でも「子たち」は,復数の子という意味で普通に使っていますよ。
お礼
回答、ありがとうございます。 >すでに「子ども」には複数という意識がない そうなのですか。 参考にします。
>「子ども」 >「子たち」 >ではだめでしょうか? もちろんダメではないんですが。 最近では「単数形」で使われることが多い、というか一般的ですからねえ→こども。
お礼
回答、ありがとうございます。 辞書の一部分の抜粋ですが、 「ども」=複数をあらわす。謙譲、あるいは見下した意が加わることが多い。 「たち」=複数の意が薄れ、ただ複数の形で、軽い敬意を表す。 とあるように、「ども」には見下した意があり、「たち」には敬意がある。 それを同時に使うなどというのは変な表現ではないかと思うのです。
- Tacosan
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もちろん本来は「子」+「供」で, 「供」が複数を表していました. ですが, 次第に「子供」で 1つの言葉として認識され「『供』=複数形」というイメージを失ってしまったために, さらに「達」という複数を表す言葉を追加したんでしょう. 英語でも, なぜか同じように複数の語尾が重複していたりします.
お礼
回答、ありがとうございます。 >次第に「子供」で 1つの言葉として認識され「『供』=複数形」というイメージを失ってしまったために 私も、多分そのようなことだろうと思うのですが、辞書の一部分の抜粋ですが、 「ども」=複数をあらわす。謙譲、あるいは見下した意が加わることが多い。 「たち」=複数の意が薄れ、ただ複数の形で、軽い敬意を表す。 とあるように、「ども」には見下した意があり、「たち」には敬意がある。 それを同時に使うなどというのは変な表現ではないかと思うのです。 >英語でも, なぜか同じように複数の語尾が重複していたりします 英語でも上のようなことなのでしょうか。
お礼
回答、ありがとうございます。 私も、多分そのように考えるのだろうと思うのですが、辞書の一部分の抜粋ですが、 「ども」=複数をあらわす。謙譲、あるいは見下した意が加わることが多い。 「たち」=複数の意が薄れ、ただ複数の形で、軽い敬意を表す。 とあるように、「ども」には見下した意があり、「たち」には敬意がある。 それを同時に使うなどというのは変な表現ではないかと思うのです。