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【大学でやりたいことが見つかるか?】
東大か北海道大学に行ったら 一年の時に学部決めなくていいですよね? でも二年になったら決めないといけないし成績が悪ければ 勝手に決められる それって意味ありますか? 高校の時 やりたいことを見つけられなかった人間が大学に行ったら急にやりたいことが見つかる、 一年の間にやりたいこと見つかると思いますか? やりたいことを決めるのを先送りにするだけで 結局、問題解決になっていない気がします 高校時代にやりたいことなくて 北大、東大に行って やりたいことが見つかった人を教えてください
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ずっとなにか書き忘れていたような気がしていましたが,いま思い当たりました。最近はボケてしまっているので 笑。 ぼくの記述にどこか似たようなエッセイを読んだ記憶がありましたが,「動物王国」で知られる畑正憲のムツゴロウ・シリーズのどれかです。『ムツゴロウの青春記』だったか? 彼も東大理学部で動物学を専攻した大先輩にあたります。世間では変人と認識されているようですが,なに,じゅうぶんに「理学部の標準範囲内」です。 覚えている記述は・・・ ・作家志望だったようですが,駒場時代に「とても適わないやつ」を知って断念します。東大新聞にデビュー作である『死者の奢り』を発表した大江健三郎です 笑。競う相手が悪かったといえますが,東大では同級生にこんなとんでもない人物が実在するのです。まあ,そいつの顔を見るだけ(当時はむろん気づかない)でも入る価値はあるかも。 ・彼も研究者になることを断念しますが,その理由をくどくど言い訳をせずに,「才能に見切りをつけた」としか書いていません。研究者というものは,自分が正しいと思う方法を,あくまでも貫くものだ(自分にはできない)。そんなことも書いていたと思います。 受験生または駒場時代に読んでいたら,なにか得るものがあったかもしれません。
No.6の補足。 ・高校生までずっと理系少年だったわけじゃありません。部活動で入っていたのは,文芸部,写真部,放送部など文系でした。こちらは趣味以前の「遊び」。遊びでへたな作文を書くくらいじゃないと,東大入試の国語・英語はむずかしいかもしれませんね。(いまぼくが文学部系に勤めているのは,「遊び」か? 爆) ・機械いじりや電子工作の趣味には金がかかりますが,うちは裕福だったわけじゃありません。新品のパーツはめったに買えないので,秋葉原のジャンク屋どころか,廃品回収業者のゴミの山から「地金」の値段で譲ってもらっていたのです。いいパーツが入っているのは電電公社(NTT)や警察の機材でしたね。ぼくはそういう方面の目利きもできるのです。ぼくが設計したものがしばしば軍用規格部品を使っているのは,こういう経験に由来します。
「補足」がついたので答えますが,あまり寄与しないかもしれません。 >出来たら自分のやりたいことを仕事にしたいですよね? >僕はしたいです そういう職に就けたと思っても,現実には予想もしなかったことが発生するでしょう。 たとえば,多くの業界に普遍的な仕事として,「企画書・報告書を書く」ということがあります。知ってますか。自分が立てた企画で莫大な予算を使って,本当に成果がでるのか? ふつうの神経の人間なら胃が痛くなります。そしてろくな成果がでなくても報告書はまとめなければならず,自分にたいする評価が下がります。自分の作品にミス(極致は原子力発電所の暴走)があると,その対応に徹夜で追われるでしょう。はじめは必要な人材として採用されたはずなのに,組織改編や人件費削減のために別部門に飛ばされることもあります。自分が悪くもないのに,顧客にペコペコ謝らなければならないこともあります。 あげくのはてには,「なんでこんな職業に就いたんだろう」と悩みます。好きで始めたはずの仕事で悩みぬいて落ち込んでいくと,精神に異常をきたすか,なにもかも放り出して有機農業をやるなどしか逃げ場がなくなります。じっさい,大手銀行をやめて喫茶店を始めたものの,うまくいかないらしい友人もいます。金融のプロでも,こぢんまりした店舗経営は素人だったということでしょう。 ぼくは薄々そういうことに気づいてもいましたので,仕事は仕事,趣味は趣味(逃げ場),という安全策をとることにしたのです。だから,仕事でいやなことがあっても,「おまんまのため,扶養家族のため」と割り切り,「これは本当の自分じゃない」とシラケることができるのです(大学紛争・団塊世代に続くぼくらはシラケ世代と呼ばれました)。もっとも,副業感覚で大企業社員やら大学教員やらが勤まるだけの能力は必要ですよ 笑。たぶんあなたは,能力があると自称しているようなので。なお,ぼくは人間関係を築くのが下手なので,会社勤めもしたくはないと考えていました。 >どんな職業があるか分からないから ぼくの幼少のころの絵本に,職業一覧のようなものがありました。そのなかに,白衣を着て試験管を持っている人がおり,「がくしゃ」と書いてありました。電車運転士やスポーツ選手よりもなによりも「かっこいいなあ。ぼくもなりたいなあ」と思い,そのまま成長しました。いけませんか。 ぼくの幼少期は高度経済成長期で,たとえば新幹線(団子っ鼻の初期型)の第1号列車が東京駅を出発してから新大阪駅に着くまで実況中継するというお祭り騒ぎをしたり,日本初の連続TVアニメとして「鉄腕アトム」が放映されたりしました(それより前に実写版アトムもあったんですがね 笑)。松下電器提供の実写ヒーローもの「ナショナル・キッド」は胸にでかでかと「N」と書いてあったり,そういう陽気で理系指向の時代でした。 気質としても,ぼくの両祖父は技術屋だったのですが,隔世遺伝だとよく言われました。で,「おじいさんの柱時計」をバラバラにしてしまいました。どうして針が回るのか,確かめたかったからです。当時は最新式で高価だったはずの電気掃除機も分解してしまいました。「さすがおれの孫だ」とはほめてくれず,祖母は泣き出し,さんざん叱られ倉庫に閉じこめられましたが 爆。 つまり,白衣を着て機材を操るような職業なら,なんでもよかったのですね。大学生になってからも。いけませんか。そういういいかげんな選択でも,ちゃんと博士課程までは理系でやれたので,いいじゃないですか。 なお,東大理科一・二類に入る連中は,すでに「医者にはならない」という将来選択をすませていることは,お忘れなく。ぼくは血を見ると卒倒するうえ,他人の苦しみにつきあうのはごめんだと思いました。あなたがそうではなく,地方国立大学でもいいなら,医学部を受けたらどうですか。
- tekcycle
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見つからない人もいるし、見つかる人もいる。 高校生の時と何が違うかというと、実際の現場が、いくらか歩けば着く距離に実在しているわけです。 そういう人と話をしてみればいいわけです。 少なくとも消去法で進路を消すくらいのことはできるでしょう。 また、東大君の場合は、勉強勉強また勉強で、視野狭窄になっていることだってあるわけです。 進路が見つかるとか見つからないじゃない、そんなこと考えてもいない。 落ち着いて視野を広げさせてみれば、見えてくることだってあるでしょう。 見つからない人は見つからないで仕方ありません。それなりの進路を取れば良いだけのことです。 吹き溜まりに入れば入ったで、そういう先人の進路は見えるわけです。 ただ、私個人は、ろくに進路も決まってない人は情けないな、と思います。 しかし東大生ならそれだけの勉強を積み重ねてきたわけで、それでちゃらでしょう。 でも北大だともう....。 ま、意味があるか無いかなら、間違いなく意味はあります。 その人がそれで良いのかどうか、ってのは別問題ですがね。 んで、あなたはどうなの? 一般論として他人のことを議論したいのか、それとも自分がどうだからどうすべきかと相談したいのか。
- snaporaz
- ベストアンサー率40% (939/2342)
部活(と勉強)の合間に考える高校生の時の将来と、学問(と一人暮らし)の合間に考える大学一年時の将来は、違っても無理はない、むしろ自然だと思っていました。他の大学に、学科まで絞って進んだ友人たちの選択が当時の私には不思議に思えていました。 先送りにすることも、問題(?)解決のひとつです。東大に入ってしまえば、「何を選んでも一級品」という安心感も得られます。もちろん「成績が悪ければ(大学側に)勝手に決められる」わけではありません。北大は知りません。 私自身も、理一に入る前は考えていなかった道を選び、好きかどうか、満足しているかどうかは別としても、辞めずにその道で今も食べています。
まだいたな。 ・大学院進学時に,なんと文学部から理転してくるやつ。いまは某国立大学のプロフェッサー。 ・理学部内で転学科したやつ。当時,転学部・転学科という制度さえ知られていなかったので,「へえ,そんなことができるんか」という周囲の反応でした。こいつも某国立大学プロフェッサーで,ちょっと有名人。 ・北京放送(北京から深夜に送信している国際ラジオ放送)の語学講座を聴いただけで中国語がベラベラになり,就職がなかったので韓国の国立大学でプロフェッサーになったやつ。かみさんは,たしか韓国人でも日本人でもなかったはず。 ・タイ人研究者と,「もっとも意志が通じやすい共通語」としてドイツ語でやりあっているやつ(こちらは教養学部出身でドイツ語は専門じゃない)。 いったいなんなんだ 笑。
ちゃらんぽらん氏とかぼく以外の,ちょっとヘンな人たち。 ・早く結婚し,かみさんに「大学院をやめてくれ」と迫られたために,躊躇なく退学したやつ。後年,とある仕事で顔をだした会議室にコンサルタント会社からやってきた担当者が,彼でした。 ・在学中に郷里(さすがに銀座の画廊じゃない)で個展を開くほどの腕前だったらしいが,いまは理系独法研でそれなりの地位にいるやつ。この歳になると最前線にはいないのか,生協で彼が書いた啓蒙書(ぼくにも楽に読める 笑)をみかけました。 ・「画家になる」と宣言して退学したやつ。こちらは行方知れず。 ・いまは東大でさえも学内がガチャガチャになっているらしく,辞表をたたきつけてちょっと筋ちがいのところに潜り込むやつ。 ・卒業間際になっても就職が決まったではなし,大学院進学するでもなしの後輩。心配して尋ねたら,平然と「ああ,千葉大医学部に受かってますから,ボク,医者になります」。後年,ある教員の退職記念会で再会したら,貫禄のある(たぶん収入も相当にある)医師になってましたね。 ・在籍学科では必修科目だけを履修して,あとは他学部履修で卒業単位をかせぎ,筋ちがいの業界に就職したやつ。 ・東大内部で学士入学をくりかえしたやつ。けっきょく,なにになったんだろ? 爆 ・宴会でピアノの名演奏を披露して,一同の酔いを醒めさせ,白々とさせるやつ。 あんがい,こういう連中のほうに「いいやつ」が多かったような気もしますね。なお,これは変人が多い理学部でのはなしです。
内容は詳しくなっていますが,大筋では前の質問とおなじですね。 http://okwave.jp/qa/q7130890.html この質問でわかってきましたが,受験相談というよりも人生相談の気配が強いようです。この点についても,前の質問で回答がついていると思います。以下は屋上屋を架すような回答になります。 >高校の時やりたいことを見つけられなかった人間が大学に行ったら急にやりたいことが見つかる、一年の間にやりたいこと見つかると思いますか? この質問コーナーでは,「やりたいことが見つからない」(中学・高校生)とか「入学した学科がやりたい内容ではなかった」(大学生)という質問が頻発しています。ぼくは,「そんなこともあろうさ」としごく冷淡に受け止めていますし,そもそも「やりたいこと」でメシが食えると思ってんのかい? と冷笑もしています。「やりたくないこと」でもしぶしぶやって,扶養家族が3人いれば自分をふくめて4つの口におまんまを詰め込まなきゃ餓死するんですよ。いくら豚児でも文盲というわけにはいかず,学校にはやらなきゃいけないし。 ぼくの知人(あえて友人とは呼ばない)は,ちゃらんぽらんにやって「底なし沼」の学科に進学しましたが,ちゃんとその系統の大企業に就職しました。なんの機会だったか忘れましたが再会して雑談したら,まともに仕事も覚えたようでしたし,結婚もしたようでした。あいかわらず「会社をやめたい」とほざいていましたがね 笑。 ぼくの趣味は前に書いたように機械いじりや電子工作ですが,いまの職業(じっさいに文転していまは文学部系プロフェッサー)とはなんの関係もありません。あえて関係がある業務といえば,図面や理科がわかるので施設委員や廃水・放射性物質管理委員をやらされたり,理系入試問題もチェックできるので入試本部委員をやらされたり。ぼくは理系研究者としてはモノにならなかったので,文系に拾ってもらってそういう付加価値でおまんまを食べられているのかもしれんなと,妙に納得する部分もあります。 休日にやる趣味のほうでは,秋葉原のとあるパーツ屋は40年来のごひいきで,いまでも小遣いをはたいて大人買いをしています。アメリカからも通販で特殊なパーツを仕入れます。パソコン画面で回路設計したり,ハンダごてを握っているときが,浮き世を忘れられる至福のときですね。こういう楽しみを,仕事として台無しにしたくはありません。 ぼくが前に回答した「なにをやっても,そこそこできてしまう」とは,こういうことです。また,「自分に自信がある」とは,必ずしも好成績をおさめて希望学科に進学するということではなく,「おまんまを食うためなら,なんだってやれるさ」と開き直っていることも含みます。
補足
出来たら自分のやりたいことを仕事にしたいですよね? 僕はしたいです 自分が何をすべきなのか分からないのです 自分がしたいことが分からないから なぜ分からないかを考えたら どんな職業があるか分からないから 東大や北大は1年次に学部を決めなくていいから その間にやりたい職業が見つかるかなと思った。 だから 東大か北大を目標にして合格したら意味があるか? つまり 職業を決めるのを先送りにする目的で 東大か北大を目指すのはいいことなのか 意味分からなかったら無視してかまいません